引っ越しだ

 沖縄に引っ越しました。

バタバタしてしばらく大変で。。。。


でも海を見ると、本当に綺麗です。



というのは真っ赤な嘘である。


沖縄ではないけれど引っ越しました。



さて、娘が小学生になりました。


色々と波乱万丈、とはいかないまでも、娘は登校数日で「なんで学校に行かなくてはいけないの?」と立派な小学生のような発言をし、「学校に行きたくない」と初日から毎朝言い続けて大変です。

でも帰宅時は紅潮した顔で、心の底からの楽しい気持ちが溢れているのです。


さて私は、一つ大きな仕事があって、それにバタバタしながら生活しています。


刺繍をしながら、ユーチューブを流してラジオのように聞いたり。

そして養老孟司の話を聞いたり。





私が娘の教育で意識的に最も頑張っていることは、娘を外で遊ばすことと、社会は基本的にフェアでなければならない、ということを感覚的に伝えることです。

休みの日はお弁当を持って、ただひたすらに自然公園などで遊ばせました。
母子二人、ただひたすらに公園に通う。へとへとになりましたが、これは本当に自分を褒めてあげたいのである。

子供を賢く育てるには、外で遊ばせることが一番根本的で、近道なのではないかと思います。
自然にある情報量は、どんな本よりも遥かに多いのです。
手の刺激、足の刺激、耳からの刺激、運動も、全てが健やかな脳の発達を促すのです。

なので、みんな塾に行くより外で遊んだほうがお金もかからないし、賢い子供が育つんでは?と本当に、心から思うのです。

例え親が子供を、高偏差値の大学に入れたいと思っていたとしても、やっぱり小学生の頃は勉強するより外遊びをしていた方が、絶対に有利だと思うのです。

でも賢さと偏差値は比例しないと思うので、日本の学校教育におけるお勉強ができるかどうか、その一点に絞って『学習』させることには、私はネガティブなイメージしかありません。

外でたくさん遊んで、面白い話をたくさん聞いて、話して笑って、本でも読んで工作でもしていれば、その子のもつポテンシャルが、最も健やかに伸びると思うのです。
そして本人も幸福なのだと思います。


小学生に宿題が必要なのでしょうか?と思いつつ、本日から娘が宿題を持って帰ってくるそうな。
小学生の宿題って、親に課されているようなものです。
仕事をしている親は本当にそれがストレスですし、宿題やる暇があったら遊んだ方が脳の発達にいいのでは・・・?と思ってしまいます。
先生も丸付けや確認で大変でしょうし・・・

でも保護者から「宿題出してください」というクレームが多いそうで。

しかし私は、真面目だったので、宿題を必ずやっていた!人生がもう一度あったら、宿題なんてやらないなあと思う今日この頃である。

学校帰りに公園に寄って、ランドセルを机にして殴り書いた漢字の練習。
必ず「もっと丁寧に」と赤で直されていたが、私としてはやる事が重要で、内容はどうでも良かった。

これらの宿題は本当に無意味であった・・・・その時間があれば鉄棒でもやっていた方が、今の私はもう少し賢いのではないかと思うほどである。


宿題なんて、やらなくてもテストで良い点を取る子は取るし、やっても私みたいに無意味な子供もいるし。

仲良しだった勉強のできるマミちゃんは、ものすごく丁寧に宿題をやっていたが、宿題なんてなくても勉強ができていたはずである。


だから娘も宿題をやろうがやらなかろうが別に彼女が決断するなら私は放っておくかなあと思うのだが、先生にご迷惑をかけるのもなあと気の小さい私はモゴモゴするのである。



私は実は一応しっかりした子供だったので、宿題とか提出物とか、身の回りの持ち物に対して意識がちゃんと向いていたのである。『箪笥の整理』とか『明日の準備』が好きだったのだ。
この点が、唯一幼少期の私が、娘よりも得意な点であったと言える。(他は太刀打ちできない)


しかし娘は・・・
新しい教科書にも全く興味がなく、ランドセルにも興味がない。
ランドセルに関しては、「肩が痛い、リュックにしたい」と言い続けるので、騙し騙しいけるかな?と思ったが無理で・・・
本当に、最初からランドセルを買わなければ良かったと思う。

今時は、ランドセルっぽい、もっと軽いリュックが売っていたのだ。
一応、目立たないようにランドセルっぽいのだ。

ああ、それを買えば良かった。


友人が教えてくれた↑
高いので、買い直すことはできないが、、、



私は娘に、全てはフェアであるべきということを教えています。
フェアが無理な場合は、合理的で納得できる理由が必要だということも伝えています。

これは彼女自身が今後の人生でアンフェアな立場に置かれた時、それが不当であるという意識も持てるように、ということと、彼女自身が、自分の利益のために他人をアンフェアに扱わないように、とか、そういうことのために。
いわば過労死を回避してほしいし、セクハラ、モラハラ、いじめたりいじめられたりが無いようにということである。

では、ランドセルで通うべき合理的理由は?と聞かれたら、無いのです。
大人が、買った靴が合わなくて靴ズレするのに、その靴を履かなければならないのと同じで。


そもそも小学校はランドセルで行かねばならない規則はないんですよねえ。

担任の先生に聞いたらリュックでいいですよ、とのことで、とりあえずリュックで通っています。
交通安全の黄色いカバーを、リュックに手縫いで縫い付けましたので、そこまでは目立っていないと思います、多分。