靴下が行方不明

 今朝、服の入っている引き出しに、こんな紙が貼ってあった。



さがしています。みつけたら0128・・・・

のでんわばんごーにでんわしてください


どうやら、ピンクの靴下が片っぽ行方不明のようだ。


その上に、ツチノコの絵が描いているので、ツチノコを探しているのか?と思ったら違った。




娘はひらがなや数字を勝手に読むようになって勝手に書くようになったが、鏡文字がいくつもある。

この時期は、既に正しく文字を書く子もいれば、興味もない子もいて、それはその後の人生には全く関係ないと思うのである。

しかし字も絵も、興味があるだけですげえじゃん!と思うのだが、本人にとっては違うらしい。


先日、数人の大人の前で、絵と自分の名前を書く機会があったが、固まってしまって大好きな絵すら描かない。


変だなあ、と5分して聞いてみたら、「たまちゃん、鏡文字しか書けない・・・」と名前すら書こうとしないのだ。

「え?鏡文字でもなんでもいーじゃん!」と説得したがダメで、結局『お手本』という名の私の下手な字を見ながら名前を書いていた。(ただ、偶然ではあるが、娘は自分の名前に関しては全て鏡文字ではないのだが・・・)


いつも好きで字も絵も自由に家では書くのに、なんとなく「評価される場所」かもと思った時点でフリーズするのである。

実際は、自分だけの卒園アルバムの表紙を描く場面で、評価もなにもなく、なんでもいいものなのに。


そして初めて知った娘の特徴。「プライドが高い」である。

その他の特徴には「超欲ばり」「超食いしん坊」とかがあるが、それは私の遺伝だ。



誰かが見ている

荷物が届いた。目が合った。

ポテトチップスを与えたら、お茶を欲しがった。

お茶を飲ませた。


昨日、娘は一人でこの段ボールに入って遊んでたら、転倒した。
 

ダヴィンチ

ゲシュタルト崩壊をご存知ですか。

例えば娘が「お母さん、なんだか『ふね』という言葉をずっと『ふね、ふね、ふね・・・』と考えていたら、なんだか変な気持ちなる」と言った場合、それは私にとってはチャンスなのです。
「それはね、ゲシュタルト崩壊という現象なんだよ」と言って説明すると、娘は理解し、以降そのような現象があると「お母さん!ゲシュタルト崩壊だ!」と報告してきます。


私も多分10代の頃に、父に「文字をじっと見ていると分裂して見えてきて変になる」と言ったら「それはゲシュタルト崩壊というんだよ」と教えられ、身体に電撃が走りました。

こんなニッチな現象を研究している人がいてその現象に名前がついているなんて!
そして『ゲシュタルト』なんてイケてる単語!


「ゲシュタルト崩壊」レベルの難しい言葉を私はあまり知りませんが、とりあえずこの言葉は私にとって大きな存在なのです。

知識は言葉だと思います。

例えば家父長制の中で生きる人間が、この世で起こる性を理由とした理不尽な出来事に対して、言語化し、考えるためにはジェンダー論を学ぶことがとても有益です。
言葉がないと、不快に感じる出来事に関して、それが正当でない扱いであることも理解しづらいものです。


最近は、子育てにおいて『感情のラベリングの必要性』についての記事を読むことがあります。語彙の少ない、人生経験の浅い子供にとって、自分の感情が大きく揺れた時に、「それは悲しいんだね」とか「すごく怒っているんだね」とか、その子の心の状況の説明をその子自身にしてあげることで、自分自身の感情をコントロールしやすくしてあげる、ということ。

それと同じで、ぶつかった不思議なこと、おかしなこと、面白そうなことを整理して広げてあげることも、その子の人生を豊かにすると思います。
多分、大人は本を読むことで、自分でその行いをしているのだと思っています。



私は『真の教育ママ』を目指しているのですが、真の教育ママは子供の知的好奇心を広げることに尽力します。面白い話をたくさんしてあげたいのです。

だから私自身も面白いことをたくさん勉強しないと、真の教育ママにはなれないのです。
そして真の教育ママは、自分と向き合わないとなれない存在なのです。



でも私は自分が本を読もうとすると、娘に「絵本を読んで」と邪魔されるので、自分の本を読む時間が全然取れません。

ダヴィンチの話を書こうと思ったので、タイトルをダヴィンチにしたのに、結局ゲシュタルト崩壊になってしまいましたが、私は中途半端な人間なのでそれでいいのです。




せかしたくない

朝、定刻通りに保育園に行くこと。

夜、布団に早めに入れて寝かせること。


毎日、育児において、この二つのリミットのためにバタバタしている。


で、私は「早く早く!」と言ってしまう。

朝には「早く歯を磨いて、熱計って!!」と言い、夜には「早くお布団入らないと絵本を読む時間がなくなるよ!」と急かす。


私は知っている。

子供を「早く早く」と急かすことは、理想的な育児とは程遠いということを・・・

そして「早く〇〇しないと、絵本読む時間がなくなるよ」という言葉は、脅しであるということを・・・


なので先日「いつも、『早く早く』って言ってごめんね。」と娘に謝ったら、

「お母さんは、それで嫌な気持ちになるの?」と聞いてくる。

なので「たまちゃんが嫌な気持ちになるんだろうな、と思うとお母さんも嫌な気持ちになるから、嫌な気持ちだと思う」と答えると

「たまちゃんは、お母さんが嫌な気持ちじゃないなら嫌な気持ちじゃないよ」と言う。



禅問答みたいだ。


石川で海鮮食べたい

 昨日は「お母さんは、斬新で優しくて美人で素敵」と娘が褒めてくれた。


斬新が何を意味するのかはわからなかったけれど、持つべきものは褒め上手の子供である。



先ほど、娘とナウいYouTubeを見ていた。

30分ほどの建築のドキュメンタリーであった。


金沢に建つ洋風建築が出てきた。

すると娘「金沢って、日本っぽいと思ってたけど、違うんだね」と言う。

なので「金沢は石川県で、日本だよ。」と教えると

「いや、そうではなくて、金沢って和風の建物ばかりなのかと思っていた、と言うこと」

と言われる。


娘がいつ金沢について学んだのか、さっぱりわからないが、地理が苦手だった私は、中学生の頃「金沢が石川県」と言うことすら知らなかったのではないかと思った。

4歳の頃に、一度連れて行ったことはあるんだけどね。まさか覚えているわけもなかろう・・・


娘が小学校に上がったら、私は社会と理科を日々教えてもらおうと思っている。

娘を師と仰ぐ日も近い。

ウサギのスリッパに乗るミカン




シュールな遊びを続行中。



さて、子供というのは、みんな背中にタンクを背負って生まれるのだと思う。
そのタンクに、近しい人の愛情をある程度詰め込んで、
そして人生という名の航海に自信を持って突き進むのである。




そのタンク、人によって大きさが違う気がする。

私のタンクはビールジョッキくらいの大きさで、平均的な大きさである。

ところが娘のタンクは、風呂よりも大きい。

6歳になっても「抱っこ」と日に何度もせがむし、愛情確認も激しく、密着することをすごく求める。
かわいいけれど結構辛いゼ。

でもこれもあと1年もしないうちに終わるんだなと思うと切なさが香る。

とにかく私は、毎日娘のタンクを満たすために結構苦労している。

保育園を休むと、その分マイナスもあるけれど、
愛情タンクに愛情を入れる作業は日々楽にできるのである。


去年の4月に保育園を長期休んだ際、娘がグーンと成長した。
環境が変わると子供は成長するのである。

今回も、グーンとお姉さんになるかなあ、と思う。

木登りするミカン

お母さんはシンプルで魅力的で優しい。そして美人。
と娘が褒めてくれた。

シンプルというのが何を意味しているのかわからないが、
持つべきものは褒め上手の子供である。


さて、褒め上手の娘の昨夜の遊びはこれである。
我が家のミカンちゃんの腰に命綱をつけて観葉植物を登らせる。
(この植物は、先日私が日光浴のために昼間に外に出した後、
家に入れるのを忘れて外で一晩。見事に葉が全て枯れたが復活を夢見て待機中)

シュールだ。

 

母系社会の少数民族モソ人

モソ人だ!