どんぐり

今の時期、子供はドングリ拾いに夢中だ。

娘は短い人生の中で、一体何千個のドングリを拾ったのだろう。


子供って不思議だなあ、と思っていたが、先日私は娘と銀杏拾いをした。

私は、一心不乱に銀杏を拾っていたのであるが、ああ、娘にとってのドングリと同じ事ではないか、と気がついた。


娘にとっては、ドングリは価値のある物なのだ。

私にとっての銀杏と同じように。

撮影現場に行って来た

テレビCMに関わる仕事を頂き、度々撮影現場を訪れる機会がありました。

先週土曜日も。

今回のお仕事は、子役の少年の衣装に刺繍をしたり、パッチワークをしたり。
また、他の小物を作ったり。

学生時代に舞台衣装を作るアルバイトで、「この素材で、鳥人間の羽を自由に作って」という依頼がかつてありましたが、舞台や撮影の仕事は、本当にアドレナリンが出て楽しいものです。

少しの制約があって、工夫と自由な発想が必要な仕事が、一番好きです。




さて納品は撮影の1日前でした。


現場では本当に可愛い役者の少年が、私が刺繍をした衣装を着ているっ!

あまりの可愛さに悶絶しながら、撮影がスムーズにいきますようにと祈りつつ、自分が人に迷惑をかけませんようにと願いつつ。



人生とは!と言うと格好いいですが、今の人生とは、沢山の岐路と選択の上に成り立っていて、何かを選択すると言う事は、他の何か可能性を捨てると言う事で、無数の選択の上に成り立っていると言う事は、それより遥かに多くの可能性を捨てて来たと言う事です。

そんな事を何故撮影現場を見ながら考えていたかというと、そこに存在していた仕事の数々がとても魅力的で、私も今までの人生において何か違う物を選択していたら、映像関連の何かの仕事に就いていた未来がもしかしたらあったのかも知れないのだな、と少し寂しくなった訳です。

ただ私は、学生時代から『山小屋で犬と暮らしながらできる仕事』を目指して職業選択をしていた程、1人で何かをコツコツする事にはストレスを感じない性格なのです。

なので現場における即座の判断やコミュニケーション能力、それでいて特性を求められる仕事では、例えば私が美術さんなんかになったら皆さんにご迷惑をかけるんだろうなと思います。

でも100回くらい生まれ変われば、この性格ももっと社交的でズバっとした物に変わるかもしれません。

幼い頃から持っていた、『人と何かを流動的に作り上げられる人』への憧れやコンプレックスが、久々に心にうずいた一日でした。

そして、自分の人生では得られなかった様々な人や、場所やものを見て、とても寂しくなりました。

そんな気持ちを味わえて、とても贅沢で充実した一日でした。


お迎えがくる



納品日が決まった仕事というのは、ヤマトで出すならPM5:50までに仕上げてヤマトへ駆け込んで、そのまま娘を保育園へ迎えに行きます。
PM7:00には、ヤマトの営業所からトラックが出発してしまうので、どんなに遅れてもPM6:30までに駆け込まないと、翌日に相手に届きません。


佐川が取りに来てくれるならば14時〜16時とかの指定で、それまでに仕上げます。


昨日はバイク便が15時に来るので、15時までが戦場でした。

そして大抵、納品時間ギリギリまで格闘しているもんだから、昨日は小さいビーズとスパンコールをせっせと時計を見ながらチクチクし、段々心臓がバクバクしてくるのです。

心臓バクバクでビーズって結構辛いのです。

そしてバイク便に託した後、ああ、あの部分はもっとああすれば良かったとか、こうすれば良かったとか、後悔の念しか残りません。


そして今日、この掃除をして月曜納期の仕事にかかろうと思っていたのですが、どうやら掃除をする時間が無いようで、刺繍糸とスパンコールと本だけ片付けたら、そのまま次の仕事に移る気でいます。


なんだか、忙しいデキる女みたいだな。ヒヒヒヒ


しかし、どんなに忙しくても作業場が常に美しい人も沢山います。

オバマ大統領だってジョギングする時間を作っていたのです。


つまり私の部屋が2週間に一度くらいしか綺麗にならないのは、性格のせいですな。

冷水男と熱湯女

我が家のお風呂には、湯船につかったまま肩揉みをしてくれる機能がついている。

友人がシステムバスのデザインの仕事をしていて、試作で作った風呂をもらったのである。



というのは真っ赤なウソである。

ぼろアパートの我が家の風呂は、辛うじて追い炊き機能は付いているのだが、放置しておくと熱湯になるという怖いヤツだ。

カチカチとレバーを回して火をつけるという、とても古典的な風呂である。

去年、風呂のガス機能が壊れてガス屋さんに来てもらったが、我が家の風呂の様子を見て
「ああ、これ、爆発するところでしたよ。」と言われた。




さて、昨日はしげるさんが風呂を入れてくれたのだが、火をつけ忘れて水風呂だった。

私が「まったくもう〜」と言いながら追い炊きを付けたのだが、付けた事を忘れていた。

沸騰させた。


我が家はまあ、そんな感じの毎日です。

鬼太郎

娘が鬼太郎の事を好きすぎて大変だ。

我が家では、夜寝る前の本4冊の後、消灯したらお話を一つするならわしがある。

最近は、「鬼太郎の話をして!長いヤツね!」とリクエストが激しいので、もう一ヶ月程毎日毎日私は手をかえ品をかえ、娘と鬼太郎が協力して妖怪(これも私が考える!)と戦う話をしなければならないのだ。

それも、話が少し短いと「その話は短い!もうひとつ!」と言われるので、長ったらしく話さねばならない。



娘が鬼太郎の話をしてくることも毎日である。
「お母さん、今ここで、あの壺から妖怪が飛び出して来て、たまちゃんをさらって行ったらどうする?」
とか聞いてくるので、
「なんとかしてお母さんも追いかけてたまちゃんを取り返すよ!」
と答えるのだが、すると
「お母さん?ダメだよ。妖怪ポストに『鬼太郎さま』って手紙を書かなくっちゃ!」
と注意されるのである。

挙げ句に「もしお母さんが妖怪に連れて行かれた場合、たまちゃんは字を書けないからどうしよう。鬼太郎に手紙が書けないよ」と本当に絶望した顔で言うのである。



ちなみに、娘は猫娘になりたいようで、最近は「ニャー!」と爪を立てながら飛びかかる練習をせっせとやっている。

そして家でも保育園でも、お絵描きの内容は主に鬼太郎、ネズミ男、目玉のオヤジ、一反木綿、猫娘、そしてツチノコ、である。

そして「ツタンカーメン・・・」と呟いたりしている。


昨日は娘が、ボソボソと「少女は死んでしまった・・・」と言うのが聞こえたので、
「え?少女が死んだって?」と聞き返すと慌てた娘が「いやいや、独り言」と言うのである。

娘の頭の中は、一体どうなっているのか。



ゴリラは存在するか

娘が最近『架空』という言葉を多用している。

覚えたてなのと、彼女の語彙に『架空』が加わることによって、彼女の話したい話がスムーズになるようだ。

さて、「鬼太郎は架空の話だよね?」としつこく聞いてくるので、「お母さんは本当にいると思うなあ」と私が答えると、苛立ちを示す娘。

どうやら娘には、鬼太郎はファンタジーだと言う事を頭では分かっているが、存在していて欲しいという気持ちがあるようで、そこで苛立つ様なのである。

私が「確かに架空の話で、水木さんが考えたんだよ」というと娘は納得、スッキリするのだろうが、それを言ってはおしまいよ。


先日、新聞にゴリラの研究をしている人の写真が出ていた。(京大の山極先生)

娘「これは誰?」

私「これはゴリラの研究をしている、ゴリラの博士だよ」

娘「ゴリラ・・・・ゴリラって、架空の生物ではなかったの・・・?」


娘は、4歳になるまで、ゴリラは架空の生物だと思っていたようだ。


私「ええ?動物園でも見たでしょ?」

娘「猿は見たけどゴリラは見ていないよ」

とのこと。


後日、私が「ゴリラが架空だって言ったの、冗談だったの?」と尋ねると、娘は何も言わずにニヤリと笑った。

真相はわからない。


上野の大仏

夜、娘は寝る前に絵本を4冊選びます。

昨夜は、随分久しぶりにこの『やこうれっしゃ』。
上野発、金沢行きの夜行列車の様子を描く、字の無い絵本です。







さて、最初のページは上野駅。

私「あ、上野駅だねえ」娘「上野?そういえば、前に一緒に上野で大仏を見たよね?」
上野で大仏なんて、娘と見たか?私は悩んだ。私「上野動物園ででパンダを見て、天ぷらを食べた事ならあるけれど、大仏なんて見たっけ?」娘「見たよ!ほら!思い出して!ペットを連れてる!!」
ペット・・・・犬を連れている西郷さんの事に違いない。確かに、西郷さんは大仏に少し似ているが、西郷さんを『ペットを連れている大仏さん』と記憶するとは・・・
「西郷さんの事じゃない?」と私が聞くと、「そうだった!西郷さんだった!」と言い、西郷さんの出てくる絵本も読みたいと言うのでそれも読みました。戦時中の、絵本です。





試作














試作で染色をしているのですが、乾かすために仕事部屋に立てかけておいた作業中のイラスト。

娘(たまちゃん)がそれを見て「これは、たまちゃんだよね?」と聞いて来ます。

いや、これは娘をイメージして描いた訳ではないので、「これは違う子だなあ」と言いましたらショックだったようで、「たまちゃんだよね?たまちゃんだよね?」としつこく聞いて来ました。

なので、『娘だ』ということにしました。
さて、親バカな私。
娘が「カンガルーの親子を作ったよ!」と言うので見たら、自立しているし、本当にすごい!カンガルーだ!!
娘は天才かもしれない。
二カ所折っただけなんだけど。

げつようび



寺家回廊が終了しました。
沢山の方々に来ていただきました。ありがとうございます。

楽しく、そして色々と反省点も胸に。


一緒に出展したYUKI-YAKIさんのタイル。


さて、見ていると皆様があまり手に取らなかったネコがこちら。飼い主が見つかりにくい子かなあと思いながら、店じまいをしていると4歳の娘がやってきて「これ可愛いから欲しい」との事。そういえば、ネコのぬいぐるみを娘にはあげていないな、と思ったので娘へのプレゼントにしました。(娘にはいつも試作品ばかり)そして若干四歳の娘が、このネコに付けた名前が『きぬがさえちゃん』。ネーミングセンスがなかなか・・・。

ミイラ取りがミイラになる

『ブックオフに物を売りに行き、そのお金で違う物を買ってくる』ということを、ことわざで『ミイラ取りがミイラになる』と言います。

さて、最近私は洋服の整理をけっこうしている。

何かとお世話になっている方が「何か使えそうなものがあったら持って行って」と、リフォーム前のおウチに招待して下さり、素敵なお洋服を沢山もらったのだ。

であるから、いままで家にあった着てもいないが執着していた服達を大量に処分。
実家近くに巨大なブックオフがあるのである。
娘を母に預け、私はいざブックオフへ!

今回も、捨てようと思っていた15年履いたブーツ(こまめにメンテナンスして、裏も何度も張り替えていた)も300円で売れたりして、全部で3,500円の買い取りであった。


本当は手放したくなかったが、ヒールの高さが4センチあり、腰痛が起こるため今の私にはもう無理なのだ。


5円で引き取られた物も8点あったが、まあ捨てるよりは良いでしょう。



そして一階にある絵本売り場へ行くとさあ大変。

時間が経って売れない本は、ブックオフでは100円になるのである。

すごいよね、これ全部100円である。



旅の絵本、も欲しいなあと思い続けて2年。
美品が100円になっていた。
図書館で以前借りた本もある。


そしてこれだ!!

鬼太郎が大大大好きな娘にちょうどいい。
しかしこれは500円。高い。
昨日渡したら肌身離さず持ち続け、読んで寝た。
長いので読むのが大変だが、喜ぶので与えずにはいられない。


さて、私の幼児期には『たぬき』が時々やって来て、本を本棚の上から落としてくれていた。
物好きな私の父が仕組んだ事であるが、父の書斎に行き、父と一緒に目を閉じて手を合わせ「たぬきさん、たぬきさん、絵本下さい」と頼むと、『バサッ』と上から絵本が落ちてくるのである。

さて私もその伝統を引き継ぎ、娘に本を与える時はそれである。

最近、たぬき本が枯渇していたので、この大量仕入れでしばらく安心。


私の絵本の入手経路は、基本的に
・区役所のリサイクルでもらう
・ブックオフで100円
・どうしても欲しいヤツは中古でお金を出して買う
の三本柱である。

以前まで図書館に通っていたが私が疲れて一時お休み。しかし娘が、この鬼太郎の本の他のシリーズを読みたいと言い始めたので、再び図書館通いが始まりそうである。



さて、娘がお絵描き教室に通うことになった。
ご縁があっての事で、自転車で一度行ったらなんて素敵な所でしょう。
先生も素敵で、娘も楽しめそうである。

いや、しかし、4歳児に必要なのは体を動かす事では・・・・?
と無駄に悩む傾向にある私は、悩み始めた。

しかし結論が出た。
土曜の午前中のお絵描き教室なので、毎回お弁当を持って行き、帰りに通る大きな公園でピクニックして、遊びまくってから帰ってくれば良いんだ!

何をやっても悩む親。
それは頭の中が暇だからである。

母系社会の少数民族モソ人

モソ人だ!