名古屋


5月に、名古屋の高島屋にお人形を置いてもらえる事になり、それのための準備中です。

久々にお人形のお顔を描きましたら、なんとまあ可愛い子ができました。

本当に、なんて君は可愛いんだ、と言いながら髪の毛を縫い付けます。

お洋服はまだ作っていません。

どんな色が似合うかな、とドキドキしながらの作業です。




さていよいよゴールデンウィークです。
私はしばらく旅に出ます。

ごきげんよう〜

朝活

朝活と言う言葉が、少し前に流行った。

つまり、忙しいビジネスパースン(ナウい)が、早起きして、朝の出勤前に有意義な時間を過ごす、という言葉だったと思う。


娘が最近朝活をしている。

保育園へいく30分前に支度が終われば、

・本
・何らかの遊び
・早めに家を出て、途中の公園で遊ぶ

を選ぶのだ。


本日は公園。

娘が通うのは、市立の認定保育園なのであるが、広い園庭が付いている。


娘は晴れていれば、おやつとご飯と昼寝以外の時間、ほとんどを外で遊んで過ごすのだが、登園の前も、休みの日も、公園に行きたいと言う。

すごいな。外遊びってそんなに楽しいのか?

しかし、子供は放っておけば体と心にとって健全なものを欲するようにできているのだ。


先週の土曜日は、幾らでも遊べるようにお弁当を持って公園へ。

「3時間でも4時間でも幾らでも遊べよ、子供!」と私はレジャーシートで本を読んで過ごしていたが、2時間半経った所で眠くなったようで帰宅。


外遊びはどうやら大事らしい。

謎が解けた

私が小学生の頃、学校の図書室で借りていたシリーズ、松谷みよ子の『モモちゃん』。



一年程前に娘に買い与え、それ以来娘のお気に入りの本となりました。

この『ちいさいモモちゃん』は、このシリーズの第一弾のはずですが、私には不思議な点がありました。


登場したネズミが「僕は、ももちゃんが小さい頃に遊んでくれたネズミのチュッチュです」と言うのである。
モモちゃんが小さい頃、遊んでいた描写なんてこの本には無い。

不思議だなあ、と思っていた。



しかし転機は訪れる。

先日行った図書館で借りたこれ。

幾つかのお話が入っていて、モモちゃんの話も3つ程。
そしてその中に、チュッチュなるネズミが初登場しているのだ。


昨夜は娘が、「まつたにみよこおはなししゅうを、今日はぜんぶ読んで」と言うので、厚みのある本なので時間かかるかなあ、30分くらいで読めるかな。
と思って読み始めたら、読み終えるのに1時間かかった。

平日に、1冊丸々読む事はもう無いだろう。


しかも、さっさと本の時間に入れる子供ならまだしも、精一杯他の遊びをした後で、たっぷりの本の時間を求めるものだから、寝るのが10時になってしまった。

そして本が終わった後は、5分〜10分の小人になった娘を主人公にした『お話』を暗闇で聞かせる事が常なので、私のタスクはそれを終えるまで続くのだ。


ごはん中も、リラックスはしているが、家事と育児をやる人間というのは任務遂行中なのである。

本を読んでやっている最中も育児という任務遂行中である。



次はエルマーとりゅうを借りたいなと思っている。

さて私は、松谷みよ子の文章が好きである。
今、1人の時に読むかと問われれば読まないけれど。

松谷みよ子のお話は、きちんと訓練された人の、安定感というか、子供が読んでいて安心する文章という印象があります。

かえる


こちらの がまくんとかえるくん のシリーズは4冊出ています。

私の実家に数冊あったなあ、だから娘に買い与える事はしないでおこう。
と思っていたらいつまでたっても実家では見つからず。

図書館で借りたら娘の大好きなシリーズになりました。


「かえるくん。きみ、顔が青いよ。大丈夫?」

「だって僕、かえるだもの」

そんな冗談ばかりのユーモアたっぷりの内容で、娘は夢中。
ケラケラ笑いながら喜んで聞いています。

食事中、私が「君、顔が青いけど大丈夫?」と娘に聞けば、「だって僕カエルだもの!」と嬉しそうに返して来ます。

今、我が家ではガマくんとカエルくんの空前のブーム。


作者アーノルドローベルの文章はもちろん面白いのだろうけど、この三木卓さんの訳もまたなんとも言えない味わいがある。

ピーターラビットの石井桃子の訳と少し似ていて、すこし回りくどい感じ。

私の幼少期は全く文学少女ではなく、回りくどくて小難しいものを嫌っておりましたので、ピーターラビットもかえるくんも嫌いでした。


しかし娘は違うんだな。

オシッコをまだまだ漏らす娘ですが、回りくどいものは好きらしい。


ちなみに我が家にあるアーノルドローベルは以下の本。

どれもユーモアがあって、娘は大好きです。


図書館はとても素晴らしいけれど、贅沢を言えるなら所有している大好きな本があるというのはとても良い事だと思います。

それにしても、欲しい物が本だと財布のヒモが緩むのは、どうしてなんだろうか。

しかし、図書館のお陰で私は最近、本を全然買っていない。
あ、そういえば、アマゾンの割引券があったので、昨日一冊買っていたわ。フフフ


私は海苔好きである。
私は幼稚園生の頃、お出かけの際には焼き海苔をティッシュにくるみ、ポシェットに入れて持ち歩いていた。
幼稚園でもらった5歳のお誕生日のカードには『あゆこさんの好きな食べ物・のり』と記されていた。



さて問題は娘である。

しげる氏のご実家が海苔の産地と言う事もあり、お海苔を頂いたが、それらは冷凍庫で保管&食べる時に焼く事が必要だったので、娘は大人の海苔タイムに顔を出すしかできなかった。

しかし今度は、缶入りの焼き海苔を頂いた!!


娘がこっそり缶を開けて海苔を抜き取り、ちゃぶ台の下に隠れて海苔を食べるようになってしまった。


昨日は、「海苔ってどうして折ると固くなるの?」と聞いてくる。

つまりは海苔をパタパタと折り紙のように小さく畳んで行くと厚みができ、固くなるということなのだが、そんな食べ方しないで欲しい。

と思う気持ちもあるのだが、私もやっていた。

海苔を畳んで食べるあの喜びは、子供にしか分からないだろう。



長いようで短い

「本が好きな子は、字が読めるようになると楽ですよ」という保育士さんの言葉がキラキラ輝いている。

娘が平仮名を書きたいと言い出すので、とりあえず『た』を教えたが・・・

「しめしめ。このまま文字を覚えてくれたら、本の読み聞かせから少し解放されるかも」

と思ったが大間違いだった。
娘はまだじぇんじぇん字に本気ではなく、まだまだだった。
それきり字への興味は無くなった。

私の淡い不純な期待は打ち砕かれたが、私自身も小学校に入ってから字が書けるようになったので、まあ娘もそんな感じなのだと思う。

しかも『読み聞かせは10歳まで』が理想らしい。



私は

熱ニモマケズ

風邪ニモマケズ

娘に本を読んでいるが、「喉が痛いから今日は絵本は読めない」と言っても、娘はまだそれを聞き入れられる程大人ではないのだ。

しかしゼエゼエ咳き込みながら絵本を読んでいると、さすがに娘も私を哀れに思ってくれたらしく、読む本を少なくしてくれた。





インカ帝国も、アイヌ語も文字は持たないらしいが、『文字のない言語・文化で暮らすこと』と『文字がある事を認識しているが会得していないまま暮らす』ことって何が違うんだろう、と不思議に思います。

娘の観ている世界って一体どんな何だろうな、と気になります。



さて、私は宮崎駿の監督アニメ『未来少年コナン』を観て育ちましたので、私がまた観たいと言う気持ちと、娘も好きかなあという気持ちでおりました。

DVDが全26話セットで15000円もするので、買わないな、と思っていたら、ユーチューブで全部観られる!!!

日曜日から娘とはまっている。

未来少年コナンが面白い。

宮崎駿はすごいなあと思う。

親ばかに敵無し

娘が調理中の私に歌を歌えと言ってくる。

「ラピュタの歌」とか「魔女の宅急便の歌(ルージュの伝言)」とか。

娘は私の横で、冷蔵庫を鏡に見立てて歌に合う創作ダンスを踊るのだが、それがなかなか面白い。

「これはちょっと切ない感じだから、切ない踊りだよ」とかの解説つきである。
(『切ない』という言葉が娘の中でブームのようで、最近はやたらと使いたがる)


ラジオから流れる歌に合わせて踊ったり、無音で不思議な踊りをしたり。
その踊りが大変前衛的で、ピナバウシュを彷彿させるのだ。(親ばかに敵無しである。)

 
こんな感じね。


この映画はヴィムヴェンダースが撮ったのですが、今予告を見てみたら3Dだったようだ。
私は劇場公開で観たのですが、敢えて3Dを避けた記憶がある。

しかし振り返ってみると、3Dは劇場でしか観られないんだから観ておけば良かったかもしれない。


ついでに娘は不思議な言葉や俳句のような5と7の言葉が好きで、耳にしては自分で覚えたいようで「教えて」と言ってくる。
最近、娘と散歩中に近所で芍薬の花がとても綺麗に咲いているので、娘に「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」と教えたら、それを言いたいらしく練習していた。

娘「どういう意味?」
私「とても美しい人を表現した言葉だよ」
娘「たまちゃんみたいな人?」

これを否定できる親はいないだろう。娘の頭の中では、もはや「立てば芍薬」は自分を言い表した言葉のようである。


しかし親ばかは本当にすごい。娘が本当に美しく輝いて見えるのだ。
恋は続いて2年とか3年とかいうが、娘が誕生してもうすぐ4年だが未だ冷めやらぬ。



しかし一昨日は、公園で遊んでお腹が減り、疲れてグレた娘に殴る蹴るの暴力を振るわれ、私は娘を10分程放置した。

幾ら可愛いと言っても、憎たらしいこともよくある。

数時間後、娘が「ああいう時は、たまちゃんの所に来てよ」と対処の仕方を注意されたが、「だって蹴るし叩くじゃん。痛いんだもん」と娘に言うと、黙り込んでいた。

娘と私で、娘がイチャモン大魔王になった時の対処法を考えたが、妙案は浮かばなかった。

娘は生まれた時から激しい子であった。
生後11日目で、泣き叫んで足を踏ん張り上へ上へと移動したのだ。

すごい自己主張である。

ながいながい骨の旅


地球が誕生して、そして海が生まれて、単細胞生物が生まれて、背骨のある魚が生まれるまで。

そして人間の故郷が海である事。


を素敵なイラストで教えてくれます。

図書館で借りましたが、自然科学好きな娘にはどんぴしゃで、毎日一度は読んでいます。



最近お絵描きに夢中な娘は、朝起きて絵を描き、保育園から帰宅して絵を描き、絵を描き続けています。そしてとうとう「字を書きたいから教えて」と言うようになりました。

普通、読みたいと思うのが先なのでは?と思いましたが、仕方がないので『い』を教えました。

こうやって字を覚えて行くんだなあ、と、今度は私の中で『子供と文字』に興味がわいて来ました。

今度図書館で、その手の本を借りてみよう。


図書館に通い始めてからというもの、「読みたいな」と思う本は片っ端から借りて、これは買うに値する、と判断してから購入する生活になりました。



娘の目から鱗が落ちた。

前の記事にて、娘のプリンセスへの憧れを私が打ち砕き、娘がショックを受けた旨を記した。
よく考えてみると、それは『娘の価値観を母親が否定した』と言う事に娘はショックを受けたんだなと分かった。

確かに今まで、洗濯物を畳みながら「たまちゃんは洗濯屋さんになれるね」と言い、焼売を作りながら「たまちゃんは焼売屋さんになれるね」と得意げに言う娘を、私は褒め讃えていたのだ。

それが一転、憧れのプリンセスを否定されたのだから、娘としてはショッキングなのだろう。



それはさておき、先日から毎日読んでいる『いないいないばあ』である。
こちらの記事の続きとなる



昨日は「どうして赤ちゃんの本は短いの?」と聞いて来た。

私「それは、赤ちゃんが言葉を理解できないからだよ。簡単な言葉でないと、わからないから」

娘「え?モモ組さん(保育園の0歳児のクラス)とか?」

私「そうだよ。たまちゃんも赤ちゃんの時は言葉を理解できなかったんだよ。『ママ』とか『バイバイ』とかを最初に理解できるようになるの」

と説明すると、娘が『衝撃的な事実を知ってしまった』というような顔をしていた。

最近まで赤ちゃんだったのに、そんな事を知らないのだ。
0歳の子と一緒に遊んでいる娘なのにそんな事も知らないのだ。

というより、言語化して考えた事が無かったのか。


しかしそれは当たり前なのだ。

知的に言語を理解できるようになってから長期記憶が出来るのだから、言語を理解できていない時期の事を子供が記憶している訳が無い。

衝撃を受けている娘を見て、私も衝撃を受けた。

子供って面白い。本当に面白い。



灰かぶり

図書館で借りた、昭和55年初版発行のシンデレラ。



グリム童話に忠実で、カボチャの馬車は出て来ません。

姉達がシンデレラの靴を履こうとしても、靴が小さくて履けなかったときは、母親がナイフを持って来てかかとを切るように指示します。
二番目のお姉さんが履けなかったときはつま先を切るように指示します。
(逆だったかな?うろ覚え)

つまりグリム童話なのです。


娘が夢中になり、今朝も読んでくれとせがんできました。
(長い本で読むのに時間がかかるので、今朝は『めっきらもっきらどーんどーん』で妥協)


さて、こんな残酷な話なので、読み聞かせる事に微妙な迷いが。


と思って、私が小学生の頃大好きだったグリム童話集の『灰かぶり』を確認したら、内容はほとんど同じであった。


かちかち山で、たぬきがおばあさんでお汁を作り、おじいさんに食べさせて「それはババ汁だ!」という場面が最近の出版では割愛されている事には違和感があるのですが、かかとを切り落として靴が血だらけ、というお話を聞かせるのには抵抗がある。

矛盾している母心。




さて、娘には最近のキラキラなプリンセス系のお話は与えていないのですが、保育園でしっかりと学んで来て
「たまちゃんはプリンセスになりたい」とか言い出している。


昨夕は、食事中に「眠れる森の美女になりたい」とか言い出す始末。

しかし私はそれに憧れる娘に決してポジティブな感情が持てず。

そしてつい、
「森なんかで寝てて、臭いおっさんが来てキスされたら、その人と結婚しなけりゃならないんだよ」と言ったら、娘がショックを受けたようで、ちゃぶ台の下に入り込んでしばらく出てこなくなった。

本当に珍しく、昨夜は食後のお菓子も食べず、歯を磨いてさっさと絵本を読む時間になった。

娘は、私が思っている以上に精神の発達が進んでいる。

傷つけて悪い事をした。
プリンセスになりたいと言っても、放っておかねばならないのだ。

『プリンセスに憧れる娘』というのは、単に『フリルの付いたフワフワなドレスが着たい』という事なんだろう、たぶん。



その後「七五三なんてどう?」と娘が聞いて来た。かぐや姫に憧れているのか?

それにしても、七五三をやろうか、と迷う事さえせず、七五三の時期も知らずに過ぎてしまったので、機会があれば着物を着せてやりたいなと思った。
しかし娘は十二単が着たいのか??

女心がわからない。

無垢な子供

娘の大好きな本『おしいれのぼうけん』。


その1ページに「ベニヤいたの もようが、 まっくらやみの トンネルのように みえる」とあるのですが、この本を読んで以来、娘が木片を見ると「これはベニヤ?それとも無垢?」と聞くようになった。




先日はお邪魔したお宅のフローリングを指さし、「これはベニヤ板?それとも無垢板?」と聞いてくる。

我が家にある木製品は大体彼女の頭の中で、既にベニヤか無垢かは分類分けされている。

「さっき足を打っちゃった。あの和室の無垢のテーブルで・・・」と言う。

不思議な三歳児だ。


今朝は道で拾った編み棒と、どこかで拾って来た枝を畳の隙間に突き刺して
「これはお墓。大きいお墓がお母さんで、小さいお墓がたまちゃん」と言う。

私のお墓だけなら良いが、娘のお墓があるのがイヤで、「お母さんは、たまちゃんがおばあさんになってから先に死ぬから、まだ並べないでよ」と言ったら、「お母さん、死まないで!!」と朝から一悶着あった。




先日は、娘が紙に『字』を描いていた。(丸とか点とかだが)

娘「お母さんに、お手紙を書いているの」
私「なんて書いたの?」
娘「お母さんへ、死まないでくださいって書いてあるの」


死ぬ、はナ行の活用ですが、娘はマ行で活用している。




昨夕、空に鳥が飛んでいた。

「お母さん!アレ見て!」と娘が言うので見てみたら、カラスでもない、小鳥でもない、ハトでもない。ここら辺にいる鳥ではない。


カラスより大きい、茶色い鳥。
トンビかタカに見える・・・・


娘「あれは、翼のある恐竜だよ!!」

確かにそう見える。

私「でも恐竜は絶滅したよ」

娘「あれは1匹だけ残っていたんだ。。。。」

と真剣にショックな顔をしている。



絶滅と言えば先日、夜に20分程度外出せねばならない予定があった。

私「すぐ帰ってくるから、たまちゃんはお父さんとお留守番していてね」

娘「イヤ!一緒に行く!」

私「夜はオオカミが出るかもしれないから、子供は一緒に行けないよ」

娘「ニホンオオカミはもう絶滅したでしょ?大丈夫だよ」

本当に騙せない子供である。


娘は平均的な子供よりも、母親へ身体的に密着したがる傾向がある。
(まわりのお母さんの話を聞いていると、わが娘よりもさっぱりしている)

乳児期は、乳を吸わせながらでないと寝ず、乳離れをしてからしばらくは腕枕でないと寝ず、今では私の耳たぶを触りながら「お母さん!もっと真剣に抱きしめて!しっかりたまちゃんを抱いて!」と毎夜毎夜熱烈に抱き合いながらでないと寝ない。

夜中にも起きて私の耳を必ず探す。娘が私の耳を強く握るので、気分はいつも耳なし芳一である。痛い。

そしてさらに朝起きると肩こりで、肩が痛い。


16キロもあるくせに、昼寝は今でも抱っこで寝入ることが多い。


とてもかわいいのではあるが、もうすこし単純な子供であってくれたら楽なのになあ。



この本を、思わず図書館で借りたのだが、この絵の少女が娘に瓜二つで衝撃的です。

先日高畑勳が亡くなって、新聞に火垂るの墓のポスターが載っていた。

しげる氏が「節子がたまちゃんに似過ぎていて直視できない」と言う。

またまたぁ〜とからかいながら私は新聞を覗き込んだ。

節子と娘が似過ぎている。涙が流れた。
娘の髪型を少し変えることにした。

イカ

美味しそうな生イカをもらいました。

焼いて、食べ易いように細長く切って、ちゃぶ台に載せました。


まず、ゲソを娘がつまみ食いで全て食し、食事が始まる頃には身の部分も3分の1が消失。

これでは私としげる氏の分が無くなる、と思ったので、娘の分は別の皿に盛り、

「たまちゃんのはこれ。こっちのは、お父さんとお母さんのだからもう食べないで」

と言い渡しました。



しかし娘は、さらにしげる氏と私の皿からこっそり盗んだようで、結局しげる氏は1切れ。私には2切れしかイカが当たらず。



そして欲張った娘は、イカが喉に詰まって吐き出す始末。


ゼエゼエした後に、娘は「たまちゃんは、欲張りだから・・・」と言っていた。



娘の好物は、イカである。ホタルイカ、焼きイカ、塩辛、刺身のイカ、全て好きである。

一人っ子なのに、なんでこんなにがめついのだろうか。


一方、男3兄弟で育ったはずのしげる氏は、自分の取り分が少なすぎる事にさえ、気づいていなかった。

娘の食い意地は、明らかに私の遺伝である。


先日公園で、木の根っこが露出している部分があり、足が引っかかって転びそうになった。

私「これは罠みたいだね。たぬきを捕まえられそう」

娘「本当だね。両親が罠を作ったのかな?」

両親・・・・猟師の間違いです。



昨日は海苔を食べていた娘。

娘「海苔は海の底で採れるんだよ。両親が採って来たのかな?」

両親・・・・漁師の間違いでは。



細かい

先日、保育園へ行きましたら先生に

「たまちゃん、細かい絵本が好きだから、今日新しく来た絵本、絶対に好きだと思います」
と担任の先生に言われました。

その本はこのシリーズのどれかでした。



先生の予想通り、娘は本の文章を一部暗記して家で出だしを教えてくれました。

ああ、先日下北沢の古本屋で、この『14ひき』のシリーズが5冊で千円で売っていたのだ。
買わなかったのだが、買うべきだったのか?
私は後悔した。



そうか、それにしても細かい絵本が好きなんだ・・・知らなかった。
と思ったが、振り返るとしげるさんも私も細かい絵本が好きだったので、我が家には細かい絵本がけっこうあった。


さて、我が家には無いが、この絵本を先日図書館で借りた。

イタリアの農村の家の100年。
時には空き家になり、時には沢山の人々に囲まれたり。

見入ってしまう、素敵な絵本でした。
欲しいなあ。

物欲は尽きない。


進級して年少さんになった娘は、お姉さんのお部屋へも出入りが許されるようになり、「○○組のお教室には○○の絵本のシリーズが沢山ある」とかそういう絵本情報を逐一私に報告してくる。
私は園の保護者の中でも有数の保育園の絵本情報を握っている。


誰か花粉を止めて 〜混んだ病院へ行って2時間かかった〜

車内で娘と話していた。


なんやかんややり取りの後、

「一寸法師はお侍になったでしょ?花咲か爺さんにはお殿様が出て来たでしょ?お侍もお殿様も、もういないんだよ。あれは昔の話なの。」

と私が言いましたら

「え・・・・?あれは、昔の話だったの?桃太郎も?猿カニ合戦も?」

「そう。猿もカニもお着物着ているでしょ、和服。日本人は昔、みんな和服を着ていたでしょ」


そして雷に打たれたように、娘は固まった。

「じゃあ、桜のマークのシリーズの本は、全部昔の話ってこと・・・?」


桜のマークってなんだ?と思ったが、それを聞くと怒る恐れがあるのでテキトウに話を合わせて、後で調べてみた。
娘は、自分が云わんとする事を私が理解しないと怒るのである。




本当だ。桜のマークだ。

娘の世界は、私の生きている世界と視点が違う。
大人は文字が読めると、それ以外の情報を遮断してしまうんだなと思う。

しかし、声を出して本を読んでやっているのは私。娘は聞いているだけなのに、なぜか娘は本の文章を暗記できて、私は粗筋をぼやんと覚えているだけである。


羨ましい脳みそだ。


さて、「どうしてお殿様もお侍もいなくなったの?」と聞かれたが、難しい質問です。

日本史を勉強してこなかった私には、士農工商の廃止の経緯を3歳児に易しく説明出来る程の知識がない。

勉強は自分のためにしますが、子供ができた時に教えるためでもあったようだ。

しかし、小学生に対し『将来子供ができた時に説明できるようにしっかりと勉強したまえ』と言ったとしても全く無駄だな。


新たな楽しみ


この本は、私の9つ下の妹の絵本として、実家にありました。

私はこの本が好きで、娘が生まれた時に買い与えました。

先日読んだ五味太郎のエッセイか何かで『一年に一度は読み返す絵本』数冊のうちの一冊がこの本でした。
(五味太郎は絵本も素敵ですが、私はエッセイや本人のキャラクターが好きです。私の父が五味太郎の絵本が好きなようで、実家にはわんさか五味太郎。娘は私の実家に行けば、絵本を漁っています)


さて、『いないいないばあ』ですが、娘にはそこまでの執着はなく、あっという間にこの絵本を卒業しました。



しかし最近、再び娘の中でこの本がブームになっている。

平日の夜、寝る前に絵本を3、4冊読むのですが、この本はあっという間に読めるので『おまけ』として1冊としてはカウントしません。

さて、最近の娘のこの本の読み方が評論家のようなのである。

「どうしてクマやネコやキツネは『クマちゃんがほらね、いないいないばあ』という肯定文なのに、ネズミの場合に限って『今度は誰だろう?』と疑問文なのだろうか」という事で、毎回私に議論を吹っかけてくる。
それを三歳児の語彙でしてくるから面白いのであるが、絵本の内容を楽しむのではなく、絵本の構成について私と話をしたいようなのだ。

私は「赤ちゃんに読み聞かせるのに、全部肯定文で同じだと興味が失せてしまうので、疑問文を差し込んで変化を持たせているんだと思う」という内容を分かり易く説明するのだが、読むたびに私のこの考察を聞かせろとせがむのだ。

お前の狙いは一体何だ?と思ってしまう。
面白い子である。


さてメタ的楽しみ方ではなく、娘が純粋に夢中になっているのは『わんぱくだんシリーズ』である。





計20冊程のシリーズが出ているが、娘の執着心と私の努力(これ重要)で図書館で数冊ずつ予約しては借りを繰り返し、ついに全て読み終えた。

そうしたら「また海底探検の読みたいな」と娘。
輪廻!

私は再び、わんぱくだんのシリーズをせっせとパソコンで予約している。
しかしこのシリーズはすごく人気があり、10人待ちがザラなのである。

一体何巡したら、娘は飽きるのだろうか。

このわんぱくだんのシリーズを、20冊纏めて娘にプレゼントしたら、きっと狂喜乱舞だなと思う。
間違いなく、今現時点でお金で買える物で娘が最も喜ぶプレゼントは、わんぱくだんの本である。

それにしても図書館はありがたい。

朝起きて

娘が、保育園へ行く朝の支度の時に遊ぶ。

遊びはひとつなら良いのであるが、散々工作して遊んで、「さ、行きますよ」と言うと「本読んで!」となる。

これはたまらん。

『本読んでモード』になると、てこでも動かなくなるのだ。

であるから、その瞬間に娘に何を言っても無駄で、常日頃から『朝の心得』について話さねば効かぬ。


そうだ、支度とか、そういうのを図にすれば良いと、子育ての何かで読んだぞ。

と言う事で実践してみた。



(これは、保育園へ持って行く持ち物一覧)


結果はというと。。。。

「このシャツの描き方教えて!!」「この歯ブラシは?」「コップはどうやって描くの?」とペンとノートを持って来て、お絵描きが始まった。


この方法には向き不向きがあるようだ。




今朝は家を出るギリギリの時に「わんぱく団読んで!」と言われ、わんぱく団を読むはめになり遅刻ギリギリ。
車の中で娘に対し、散々ガミガミ言いました。

すると娘「わかった。じゃあ、朝は何も遊ばないから」と決心した様子で言うのである。
(この決心は3分で終わると思うが)

ちがうちがう。遊んでも良いのだ。
さあ出るよ、という時間になって突然本を読むのは無理だ、と言っているだけだ。



これもそれも、時計が読めるようになれば全て解決する気がする。

しかし、時計を読みたいという意欲がある訳でもない三歳児に、時計の読み方を教えるという不毛な努力をする気力は、私にはない。


母系社会の少数民族モソ人

モソ人だ!