ヤフフェ

「ヤフフェ ホショ シェーフェー」

と娘が突然話し始める。


見てみると、娘の前には必ずアルファベットがあるのだ。

「たまちゃん、英語を話せるの」と得意げである。



確かに私も幼稚園児の頃、クネクネとノートに線を書き、英語の筆記体を書いているつもりだった。
それは本当に書けていると思っている訳ではなく、憧れと、書いていると思い込みたいという気持ちが相まって、『書いている』と思っていた。




昨日、車の中で娘に
「実はさ、今咲いている桜は、夜中に花咲か爺さんが灰を撒いたから、咲いているんだよ」
と話をしたら、娘が
「じゃあ、インドの桜は?」
と聞いてくる。


「イ・・・インドにはインド人の花咲か爺さんがいるんだよ」
と私は辛うじて答えたが、今考えてみるとインドには桜は無いと思う。
たぶん。たぶん。

最近、娘の返しが侮れない。

思い出して

私が「それは分からない」とか「知らない」と言うと、娘が怒って「思い出して!!」と言う。

更に、「『あー、あれのことか』って言って!!」とまで怒って言う。

つまり娘は、母親は全て知っている上で、単に忘れているだけだと思っているようだ。


確かに私も、小学校低学年までは『大人になったら何カ国語も話せて、なんでも知っている』と思っていた事をハッキリと覚えている。







サプリメントの広告が新聞に載っていて、腸のイラストがあった。
娘がそれを見て、「あ、腸だね。なんて書いてあるの?」と説明を求めるので、腸に良い薬の広告だよ、と説明する。
すると、どうして腸に良いのか?という細かい点まで聞いてくるのだ。
娘は人体マニアなのである。
動物の図鑑よりも、魚や虫の図鑑よりも、娘は人体の図鑑が好きなのだ。

食後はよく「もうさっきの食べ物、腸へいったかな」と聞いてくる。
「まだ胃じゃない?」と私は答えるが、私もイマイチ分かっていない。
私は肝臓と腎臓と脾臓の役割をよくわかっていない。
これでは娘に説明できないではないか。

昨日、膀胱の話を娘がして欲しいと言うので、『おしっこを貯める袋』と説明したら、
「そういえば前に、それが破れた話があったよね?」と言う娘。
そんな話、あったかなあ・・・・

今思い出した。
それは娘と一緒であるとよく利用する身障者用トイレにある、オストメイトの説明を娘にさせらたことがあるので、その事かもしれない。






私は上野で今やっている『人体展』へ娘を連れて行きたい。

しかし、遠い。
朝早く出て、見て、お昼を食べてすぐ帰る、という計画を立てよう。


こだわりのファッション

娘のこだわりがなかなか強い。

この2週間程は、夏もののワンピースを5枚重ねて着ている。

今朝は6枚重ね着をして(半袖1枚、ノースリーブ5枚)保育園へ行き、園で普通の活動的な服に着替えさせてから娘を預けるのである。


お風呂上がりも同じである。
重ね着5、6枚。
本を読み、寝る直前にパジャマに着替える。

先週末は8枚着込み、絶対に脱がないと抵抗するのであせもになった。



しげる氏が「タマネギのようだ」と言ったが、確かにそうなのである。

むいてもむいても服なのだ。



しかし、洗濯は不可避であると理解しているようなので、不潔ではない。




さて、その他にはお正月にしげる氏のご実家で読んだ絵本について時々思い出し
「またあの本を読みたい」と言うのである。

随分前に、どこかで読んだ本の話を突然する事もよくある。
今朝は「小人の女の人が編み物するお話、あれなんだっけ?」と聞いて来た。

私には分からなかった。
「わからないなあ」と答えると、怒りながら「思い出して!!」と声を荒げる娘。

ようやく長いやり取りの末私は思い出した。

韓国の絵本『あかてぬぐいのおくさんと7にんのなかま』であった。

結構前に1度読んだ本である。素敵な本です。




それにしても大人はなんでも知っている、と子供は思うものである。

娘が保育園の花壇のお花の名前を、私に片っ端から聞いてくる。

「パンジー、ビオラ、マーガレット・・・・これは知らないから先生に聞いてみて」
と言うと、娘が怒りながら「思い出して!!」と言う。

『思い出して』の使い方が違うのだ。
困る。

話し続ける

娘が話し続けて大変である。

例えば娘の大好きなわんぱく団について。




「たとえばわんぱく団の三人が絵本から出て来てさ、たまちゃんのおウチにみんなでやって来てそれで・・・・・・・・・・したらどうする?」

「たとえばたまちゃんが絵本のわんぱく団のペンギンランドに『わ〜』って入っちゃって、・・・・・・・・したらどうする?」


と私に『例えば話』を延々としてくる。





しげるさんが途中で話しかけてくると、手をパーにして「ちょっと待って!」としげる氏の話を静止して、延々と私に話しかけてくる。



今朝は保育園へ行く直前に便意を催したようで、トイレに座らせた。

私は遅刻するのではないかと時間が気になって仕方がない。

しかし、「たとえばさ、ここでわんぱく団の三人が・・・・」と話が始まって終わらない。

「ウンチもう終わったの?」と私が聞けば、「ちょっとまっってぇ!!」と私の問いを静止するために私の口を手で塞ぐ娘。

「それでわんぱく団が・・・・・」と話を続ける。



身に覚えがある。

私は中学生になるまで、大人にとっては本当に無意味に聞こえる『例えば』の仮定の話を延々としていた。

きちんと相手にしてくれるのは、父と上の兄だけだったので、自然と父と長男にしか言わなくなったが、娘の場合は一番存在が近い私が真面目に答えるので、『例えモンスター』に拍車がかかったようだ。
(ちなみに、一番上の兄も例え話男だったと父から聞いている。)



どうしよう。娘が例え話中毒だ。

これが『資質』と『環境』の相乗効果だ。

しゃべりだした口が、止まらない。

これは

これは娘によると、動物園らしい。

エサもやっている。

ラーメン

ラーメンを食べた30分後には、チョコレートアイスクリームが食べたくなります。

それとコーヒー。

ちなみに私は、ラーメンを食べるときは大盛りを注文します。


それはさて置き。



先日、保育園から帰宅した娘が、お腹空いたというので魚肉ソーセージを食べさせた。

座布団に正座し、ちゃぶ台に向かって無心に魚肉ソーセージを食べていた。



おしっこをもらした。

洪水である。座布団も洪水である。

「あわわわわわ!!!!」と焦る私。

慌ててお風呂場へ連れて行って洗ったり洗濯したり。


一通り後片付けが終わって、娘に聞いてみた。

「なんでもらしたの?」

「だって、魚肉ソーセージに夢中だったんだもん」

そうだよな。確かにそうなんだろう。




先日は、娘を膝に乗せて私はメールをパソコンで打っていた。

またもらした。

「あわわわわわ!!!!」と焦る私。

一通り後片付けが終わって、娘に聞いてみた。

「なんでもらしたの?」

「だって、お母さんがメールに夢中だから」

そうだよな。確かにもらしたくもなるわな。



しかし、色々な事を言語化させてしまうのが私の悪いクセで、おしっこもらす理由なんか結局『ちょっと間違えた』のひとつなんだと思うのだ。

でも娘に何かしら言語化させると、娘の言葉の感覚が面白くて可愛くてついつい。

つまり娘が可愛いのだ。




肯定する

今朝、娘を保育園へ送り届ける際、様々なストレスがあった。

例えば昨日、都心に私の用事があって、娘を実家に預けた関係で、今朝の送りは実家→保育園で、1時間弱かかった。
しかも今日はいつもの道路が工事中で迂回の必要があったのだ。

その他にも雨であったり、娘がぐずぐずしていたりで、私は苛立ってしまった。

そしてなによりも、私はトイレに行きたかったのだ!!

娘をさっと保育園へ送り届けて、私は家へ急いで帰りたかったのだ。


その上、私の左目がモノモライになって痛い事と、園で私が座って娘の身支度をしている時に娘がピョンピョン飛び跳ねて来て、私の左目に娘の頭が直撃して痛かった事。

それらが相まって「もうっっ!!」と私は怒った。

そして娘は少し悲しくなり、私とお別れする時に珍しく泣き叫び、先生に強制連行されたのだ。


私はと言えば、トイレに行きたいのと左目が痛いのでさっさと先生に感謝しつつ帰ったのだ。




しかし帰宅後、私はホッとした瞬間から、娘に対しての罪悪感に苛まれ始めた。



いや、『仕方なかったのだ』、と自分を肯定できる理由を片っ端から考えて自分に言い聞かせる。

私は弱い人間なので、「自分はダメな人間だ」と思う事で生じるストレスに耐えられず、自己正当化するために他者と状況に責任転嫁をする傾向が著しくある。

そして一通り考えた後に『だから私は悪くない。』と考えてみるが、考えてみた所で、本当に意味が無い。

『子育てにおける成功』って何だろうな、と常々考えるが、私としては『大人になった時に、自分が幸福になれると思う方向へ意欲的に進むことができ、物怖じせず自己決定ができる人間になっている』事かなと思うのです。
そういう健全な思考の人間に育てるためには、親は子供に『自己肯定感と精神的安定を与えられるような子育て』をしなければならないと考えるのです。


では振り返って、今朝の私の行動は正しかったのか、と考えると、完全に正しく無い訳です。
私は自分の個人的なストレスで、娘への態度を乱暴にし、娘を不安にさせて娘の楽しいはずの朝のスタートを台無しにしたのである。

従って私の今朝の娘への態度は正しく無い。しかし、私自身も不完全な人間であるし、やってしまった事はどうしようもない。
今、できることは、今朝の自分の態度を反省し、今後に活かすことである。

という結論に至って、私は自分の心の蟠りを整理する。
しかしまあ、娘は今頃楽しく遊んでいるのだろうが、しかし娘への罪悪感は依然として残るのである。


2週間に一度くらい、こういう事がある。


手伝う

先日、保育園へ娘を迎えに行き、帰りにスーパーに寄りましたら、娘の大好きな清水先生に遭遇。

喜んだ娘。

そして「またね〜」と分かれてから娘が私に言った。

娘「ああ、たまちゃんも、清水先生と一緒に帰りたいな」

私「ならお母さん、寂しいよ」

娘「お母さんも一緒に行こう!」

私「お母さんとたまちゃんは、清水先生の何なの?」

娘「たまちゃんは清水先生の娘。お母さんはお手伝いさんになればいいじゃん」




私は娘によって、転職することになった。

悪い

しげるさんが、夜に頭痛を訴えた。

早々に布団に入り、寝てしまった。娘も心配していた。




以下、翌朝の娘としげる氏の会話です。


娘    「お父さん、あたま悪いのなおった?」

しげる氏 「僕のあたまが悪いのはなおらんなあ」



なんだかすごい親子だ。

今、しげるさんは元気です。

こんぺいとうマシーン


娘は金平糖が大好きで、それを知って下さっている方から、プレゼントで頂く事があります。

もらった金平糖は、大抵小分けの小さな袋に入っているのですが、せっせと1人でハサミで封を切り、『金平糖屋さん』の中へ入れています。

それはそれは、本当に楽しいらしくて集中してやっています。
(私はその間家事が出来るから非常にありがたい)


食べて良いのは食後、5〜10粒なのですが、ほぼ毎日食べている。

移し替える時にポロリと床に落ちたのを、翌日発見したりすると、その場で食べてしまって良いことになっているので、朝に落ちている金平糖を発見したときの娘の嬉しそうな顔・・・つまり、かわいいのである。



昨日は金平糖を移し替えながら
「たまちゃん、将来は金平糖屋さんになろうかな」と言っていた。

もともとはアメリカ製のジェリービーンズ用のおもちゃお菓子だったのだが、中のジェリービーンズはあまりにも不味くて捨ててしまった。

赤くて帽子をかぶっている物体を引くと、上の入れ物から筒を通って金平糖が落ちてくるシステム。




先日、招き猫のお寺、豪徳寺へ久々に行って来た。

なんだかすごかった。


娘はプレイボーイに違いない

昨日、夕飯中に娘が
「たまちゃん、お母さんに大切にしてもらって、本当に幸せ」と言った。

すごい。すごいぞ。

私はそんな話を娘に仕込んでいないし、保育園で仕込まれてくるはずもない。

そこで感動のハグである。




今朝は「こんなかわいいお母さん、見た事ないよ。どうしてそんなに可愛いんだろう?」と私に対して言ってくる。



昨夜の風呂では

娘「お母さんが世界で一番可愛い!」

私「たまちゃんの方がもっともっと可愛いよ」

娘「お母さんの方がもっともっともっともっともっともっと可愛いよ」

私「いやいや、たまちゃんの方がもっともっともっともっともっともっともっともっと・・・」


と、イヌも食わないようなレベルの褒め合いである。

仕掛けてくるのは娘である。言わせている訳では断じてない。


温泉が難しいな

日帰り温泉に時々行くのですが、そのときの悩みは娘である。

娘は温泉が好きなので、行く分にはルンルンであるが、風呂に長時間入っている訳ではない。

家の風呂ならば遊び続けて風呂からでないのだが、温泉のお風呂はつまらないので早く出たがるのである。
私は貧乏性なので、入浴料600円分くらいは浸かっていたいのだが、娘同伴だとどうあがいても400円分である。




それにしても、娘がスタァになるのは『温泉』と『総合病院』である。

『表参道を闊歩するスタイルの良い超美人』を、道行く人々が振り返るかのごとく、温泉と病院にいる老人達が娘を振り返り、「まあかわいい」と言ってくださる。

時々ナンパもされるし、私まで褒められる。

娘は何も気づかずにいるのだが、おばあちゃん達にもうちっと愛想よくして、元気を分けてあげたらいいのになあ、と思うのだが、そんなサービス精神を3歳児が持っていたら逆に不気味だ。

いやしかし、今の娘の髪型と顔は歩くコケシのようで、『ザ・昭和の子』である。
コケシと言っても色々種類がありますが、娘は津軽系こけしである。

たぶんイマドキの髪の長い三歳児よりも、娘のオカッパが老人の心にズキュンと来るビジュアルなのでは、と思うのである。

通りすがりの古風な物が好きな若い人にも「髪型似合ってるぅ!」と褒められる。



私は毎日その可愛さにズッキュンと撃たれておりますが。

三歳児は魔性である。
(そういえば0歳も1歳も2歳も魔性だったな。たぶん子どもは永遠に可愛いに違いない)


今朝も車で、登園前、保育園の駐車場で読まされました。
『おしいれのぼうけん』。




オヤジ

娘「オヤジってどういう意味?」

私「『お父さん』をちょっと乱暴に言った言葉だよ」

娘「ふーん。・・・じゃあ『農家のオヤジは?』」



ええ?だれから学んで来たの?

と思って「その言葉、何に出て来たの?」と聞いたら、「ピグリンブラントだよ」とのこと。




どきりとしました。









その他、可愛い問いかけでは、「心って、どんな形?」。

どんな形だろうな、と思いました。

「どんな形だと思う?」と聞いてみたら、「わかんない」。



私の中ではこの曲が流れた。





さて、区役所を訪れるたびに、私は『リサイクル図書』をチェックします。

掘り出し物の絵本があるから♡



今回もありました。

『おしいれのぼうけん』です。
古本屋で娘と立ち読みをしたのが半年前。
少し娘には早いかな、と思いその時は立ち読みだけ。

先日娘に与えた所、「あれ、これ、たまちゃん読んだ事あるよ」との事。
すごいな、さらっと立ち読みしただけなのに、脳に深く刻まれているようだ。



朝一度、保育園から帰宅して一度、寝る前に一度。
一日に3度読む程ゾッコンになってしまいました。

一度読むのに20分弱かかるので、けっこうなストレスで、昨日の朝も今朝も、これを読む読まないで大もめにもめ、本の交渉でお互いヘトヘトです。




なら面白そうな本を与えなければいいじゃん。

と思うそこのあなた。なかなかそれは難しいのだ。

カツ丼

朝食中に娘が私にくっ付いて来てひと言。

「お母さん、死まないで。大好きだから♡」。


死 ま ないで。


『死ぬ』の口語での活用はナ行五段活用。

しかし、『子どもは、『死ぬ』の活用をマ行5段活用と間違う事がよくある』と前に読んだ。


最近の娘、『死ぬ』の話をしばしばするのであるが、ご多分に漏れずちゃんと『死む』と活用している。


フフフ


子どもの言葉の間違いを、私は基本的に放っておきます。
指摘しても萎縮させるかな、と思う事と、指摘しても改善しないだろうし、まあそのうちなおるだろうと思っているので。

そして何より、間違っている姿が可愛いのである。




娘はかれこれ1年以上、『昨日以前のこと』を全て『昨日』と言うのである。

昨日、それを指摘して正しい使い方を教えてみたが、今日もまた数ヶ月前の事を『昨日』と言っていた。

やはり、指摘しても無駄だから、心の中で『可愛いな♡』と思って傍観している方が正しいなと思った。


ここ最近の娘の発見は、『心の中でしゃべれる!』のようだ。
口を固く結んで、なにやらモゴモゴしたあと、「たまちゃん、今、心の中でしゃべったの!何しゃべったかわかる?」と聞いてくる。


つまり娘は可愛いのだ。

遅々

昨日は娘がマイペースすぎて、私は怒った。

しかし娘は、『明らかに悪い事をしてしまった!』との自覚が無い限り、私のガミガミが全く効かない。涼しい顔をしている。

確かに娘は悪く無いのだ。効き目が無いくらいの方がいいかなと思うのだが、しかし。

あー、なんで叱ったんだろう。
怒って悪かったな、後で思った。



娘が寝る前に、どこで覚えて来たのか『アイシテル♡』と言ってくっ付いて来た。

私は、本当に反省した。






手が付けられない

娘は「○○の本読んで!」と言い出した時、私が「今はムリ」と言っても、7、8割の割合で「読んで!」とパニックになります。

そこで読まねば次に進まないのだ。


それがダダコネというよりも本当にパニックで、たぶん娘の頭の中ではきっとこんな感じだろうと想像する。

①『そうだ、この本を読んでもらいたいな』
②『この本、ピーターがベンジャミンと逃げるんだよな、怖いなあ』
③『ああ、怖いの読んでもらいたい』
④『読んでもらわないと!読んで!!』
⑤『読んで!!絶対読んで〜!!早く読んで!!!!』
⑥『ウギャーーー!!!!読めぇぇぇぇぇ!!!!』

娘の表情を見ていると、手に取るように分かるその思考。

ははあ、この子、内容を今イメージしたな、と分かるのです。(たぶん)



しかし、難しいのが『その本を読むと遅刻する』場合です。




「読んでたら保育園に遅れちゃうよ!」と言うと、「早読みでいいから!」と交渉されます。

そういった場合は速読です。超早口です。

とりあえず車に本を持って入って、保育園の駐車場で読みます。



娘を育てて、私は自分がこんなにも早口が上手だった事を始めて知りました。

『絵本は、ゆっくり、丁寧に読んであげましょう』とあらゆる育児書に書いていそうだ。


しかしこれを甘やかしと言えばそうなのだろうが、娘のパニックは『抱っこして欲しい時』『本を読んで欲しい時』だけなので、許してくれ。





さて、先日上野へパンダを観に行きました。

娘はパンダよりも西郷さんに夢中。そして不忍池にいた柴犬と公園の遊具の方が良い思い出となったようだ。

まあ子どもなんてそんなもんでしょう。

図書館ですごいことが起きた


娘が、『わんぱくだん』の絵本シリーズに夢中なので、図書館でせっせと取り寄せている。

インターネットで取り寄せ手続きができるので、楽である。

頼んだ6冊が来たようなので、取りに行ったのだ。


「お待たせしました」と係の人が持って来た本。

そのうち1冊が大きすぎるぞ・・・


娘と思わず顔を見合わせました。保育園の読み聞かせ用でしょうか・・・。

取り寄せる際にサイズは明記されていたようですが、こんなサプライズがあるとは。

そして私の頭はパニックに・・・




「これはキャンセルしても良いでしょうか?」
と聞くと、「良いですよ」とキャンセル手続きをしようとした係の人!

いやいや、これは面白いかもなと逡巡の結果、やはり借りる事に。
持って帰るのが大変だ。


ここですぐに「わあ!びっくり!すてき!やったー!」と思える人は、本当に柔軟な人間だな、と私は自分の頭の固さが恥ずかしくなりました。







帰宅後、家事よりも何よりも、娘が読みたくて半ばパニックになっているのでとりあえず一緒に読む。

開くと余計大きい。


極めつけはこれである。
見開き。

大きすぎ。文字通り、本の中に入って読める。
なんて楽しいんだろう。


次回は、『わざと』大きい本を借りたいな、と欲が出てしまいました。


さて、私が一番最近に読んだ本。

伊集院光のラジオのゲストとして、この著者の新井さんが招かれたのを聞いたのだ。
話の内容がとても面白くて思わず買ってしまった。

とても面白かった。新井さんは東ロボ君のプロジェクトディレクターです。

つまり、AIに東大の試験対策をさせていた人です。
しかし研究している中で「あれ?なんか受験生の読解力の方がヤバくない?」と気がついて、興味の対象が子どもたちの読解力の低さにもうつって行き、それらを本にまとめたもの。


第一章はAIというものの存在、第二章はAIの能力、第三章は子ども(大人も含む)たちの読解力の調査と分析。第四章はその結果、最悪どうなるか。

私は理数系は全くダメですが、この本は本当に上手に書かれていて、私のような人間でも面白く読めました。AIってそもそもなに?という基本的な事が良く理解できました。(じゃあ説明して、と言われると難しいんだけど。)

「数学ができないというよりも、そもそも数学の文章問題の文章を読めているの?」というような疑問も呈されており、内容はかなりショッキング。

「勉強っていうけれど、教科書をそもそも理解して読めていないようだ」というのに気づいた事がすごい。

子供達の生活に関する細かいアンケート(読書習慣やらテレビ視聴時間、塾に入っているか、習い事をしているか、それはスポーツ系か音楽系か等々)を取ったようだが、読解力との相関関係が全く見出せていない、というのが衝撃的。


1500円+税。

これは、この本に興味のありそうな父に転売するしかない。

買ってくれますように。

母系社会の少数民族モソ人

モソ人だ!