実家に


実家に、ピーターラビットのアニメを録ったDVDがあったのでもらって来ました。
なんてかわいいのだ。

この物語らを娘は全部知っているので「なんか言ってる事が違う」と指摘していました。



探してみたら、ユーチューブに色んな作品が載っていて嬉しい。

週末に娘と見てみよう。
でも画像が悪くて切ない。


我が家にはテレビがありませんが、高尚な精神のもとテレビの無い生活をしているわけではなく、テレビアンテナが居間に無いからテレビが無いのです。
(そしてあまりにも無礼なNHKの集金人に対する怒りのため)

そしてテレビの無い生活を続けております。

DVDの映画が5本程度あるので、週末はそれらをパソコンで見たりはしています。



先日テレビのある実家へ行った際、『お母さんといっしょ』の時間なので娘に見せました。

1年ぶりくらいに見たのでしょうか。

お歌に夢中になり、テレビから離れません。
そのあとのピングー(ペンギンの粘土アニメ)にも夢中。

後の予定があったので消そうとしましたが、「見たい!」との事でなかなか・・・


そして私は気がつきました。

テレビは、教育の主導権を親から奪います。

「あ、テレビに主導権を取られたな、」と感じます。


テレビを作る側としては、プロの大人の集団が子供にとって魅力的な番組を作る事に一生懸命なのですから、そりゃあそうです。

テレビめ・・・

しかも、『ぽちっ』とやるだけでつけられるあの気軽さ。




ああ、サスペンスドラマを見ながら編み物をしたい。
それが私の ゆ・め ♡

娘は、母語を第二言語のように学んでいる。

私の娘は、新しい言葉を学ぶと、その言葉を使って色々話をしようとします。

最近は「駆ける」という単語を学んだようで、「お母さん見てて!」と言って全速力で5m程走り、「これが、『駆ける』っていうことだよね?」と確認します。


一緒にお風呂に入れば、おもむろに顔を向こうへ向け、くるりと振り返って
「これが、『振り返る』ということ」と説明をしてくれます。

私が部屋を移動しようとすると、両手をひろげて立ちふさがり、「これが、『とおせんぼ』っていうこと?」と確認。



まるで第二言語を学んでいる中学生のようだ。

日本語は、本当に娘にとって母語なのであろうか。

布団から出ない

赤ちゃんは言葉を獲得するわけですが、周りにいる大人が全ての文法の説明をしてあげるわけではありません。

しかし周りの大人の使う限られた文章の中から、きちんとした法則性を理解した上で言語を使いこなせるようになります。

たとえば動詞も色々な活用がありますが、子供は吸収した文法法則から推論で文法を使いこなせます。



イヤしかし、間違う事もある。
「集まる」の活用で「集めて」というのがありますが、私の娘は「集まれして」と間違っています。

では全部間違っているのか、というのは違っていて、思いつく間違いと言っても「集まる」「起き上がる」くらいかなあ、、、
つまりはほとんど正確なのです。




イヤしかし、単語は違うのである。

聞いた事の無い単語を突然子供が使う事はあり得ません。


先日娘に、「追い越すってなあに?」「とおせんぼってなあに?」と聞かれて驚きました。

そうか。面白いな。簡単な単語なのに、出会う頻度が低かったようだ。




さて私は3歳4歳の頃、幼稚園に行きたくありませんでした。

園に到着すると絶叫して泣き叫び、母にしがみつき、母が無理矢理先生に私を渡し、そして母は笑顔で手を振って帰って行く。

あの母の笑顔を思い出しては、私は小学校卒業する頃まで母を恨んでいました。
(執念深いよね)

お昼休みには職員用の電話から母に電話をかけ、泣きながら話をするのが毎日である。

しかし私は、朝の支度はしていたのである。

幼稚園へ行くために、車に乗ることも自発的にしていたのである。


幼稚園に着いた瞬間からの抵抗だったのである。

これは単に、私の想像力の未熟さ故のもので、私は小学生の頃、嫌だった幼稚園の記憶を思い出して、そしてこれら自分の未熟さを思い出しては「どうして私は幼稚園生の頃、布団から出ないという作戦をとれなかったのか。バカな女め」と自分を罵っていた。



しかし、私の思い描いていた事を娘が実践するとは・・・・

娘が、布団から出ないのである。

保育園をボイコットするために、布団から、出ないのである。


明らかに、4歳の頃の私より、3歳の娘の方が知的な発達が早い。


ちなみに私が幼稚園に行きたく無かった理由は、大好きな母と家から離れたく無かっただけである。
たぶん娘の場合も理由は同じだ。

そして私は、ずっと学校が嫌いな人間だったので、娘もそうかもしれないなと思うのである。


娘が毎朝布団から出ず「今日はお休みにする」と言い張る。

先日はどうしても出ないので、禁断の『本を1冊読んだら出る』を交渉の材料にしてしまい、予測通り毎朝読むはめになった。
しかしいつの間にか『本を二冊』に変更されている。

怖い。

イヤイヤ期が来たぞー!

朝から娘がダダコネで大変でした。


「抱っこして」というので抱っこすると「抱っこしたままあっちに行きたい」というので抱き上げて(体重16キロ!)あっちに行くと、「やっぱりこっち!」と怒り始める。

葡萄パンが食べたいというのでトースターで焼いたら「レーズンが少ない!」と激怒。

「レーズンあるから食べる?」と聞いても「違う!!」と激怒。


保育園へ連れて行かねばならないのに全ての事に対してイチャモンをつけて進まない。

「抱っこ!」と言うので仕方なく抱っこするのだが、私は大変せっかちでイライラ・・・

本当に、頭をパカーン!とはたきたくなる気持ちです。



しかし人の怒りの頂点は6秒で過ぎるらしい。
確かに。

私の大好きな久米宏のラジオのゲストが言っていたのだ。
目をつぶって6秒数えるのだ。



そして遅刻ギリギリで保育園へ行くのです。

園へ向かう車内で、落ち着いた娘に「ねえ、どうしてあんなに抱っこ抱っこで大変になるの?」と聞いてみると、「だって抱っこしてもらいたいんだもん」との答え。
確かに。


「そうだよね」としか答えられない。




そして私は、娘が3歳にしてイヤイヤ期が来た事に気がついた。

これが噂に聞くイヤイヤ期なのだ!

イヤイヤ期は、2歳のものだと思っていたが、娘は3歳半である。

しかも、スイッチは大抵『心の不安(今から保育園、とか)』または『空腹、眠気、疲れ』である。

結局、抱っこしてしまえば、その後5分以内に落ち着くというデータはとれた。
しかも、赤ちゃん扱いすれば効果抜群!


お風呂に入って嵐が起こると、「お風呂から出る!」と泣き叫び、抱き上げて出そうとすると「イヤー!!入ってるー!!」。
その押し問答をずっとやっているのだが、無視して放っておく訳にも行かない。余計酷くなるから。


娘としても、荒れ狂う自分をどうにかして欲しいようで、彼女自身も訳が分からない事を理解しているので、叱っても無意味どころか悪化してしまう。


どうやらイヤイヤ期というのは、訳の分からんダダコネをしている自分を、親が受け入れてくれるかどうかのチェックらしい。育児書に書いてあったぞ。


いやしかし、頭をパカーンとはたきたくなるのだ。
いやしかし、6秒数えねば。

今朝の新聞に、『しつけとしての体罰の容認の調査』が出ていました。
大人の56%が容認。そのうちの3割程度は、『頬を平手で叩く』ことを容認しているようだ。
それには大変驚きました。
あんなかわいいホッペタ、チューしかできないなと思います。

泣き叫ぶ娘にチューしたら、余計にものすごく怒られましたが。


そして私は考えた。なぜ『頭を叩く』のと『頬を叩く』ことが、私に取って違うのかと言う事を。
子供にとってはショックは同じかもしれないじゃあないか?
違うかもしれないが、同じかも知れない。

やっぱり頭パカーンをしないように耐えねば。
所詮三歳児なのだ。相手は三歳児なのだ。

チンアナゴ

『チンアナゴ』という魚がいます。

体を地中に埋め、顔だけ出している奇妙な魚。


娘が保育園の本で知り、すっかり好きになった様です。

「チンアナゴって、アナゴなのかな?」

「チンアナゴのチンってなんだろう?」

と私に聞いてくるがわからない。



どうやら『珍穴子』らしい。

昨夜はしげるさんが不在だったので、二人でチンアナゴをユーチューブで見たりして過ごしました。


チンアナゴ、水族館へ観に行かねば。


たぬきの東京見物

2年前、松本民芸館を訪れた際に見つけた出版物。

『たぬきの東京見物』である。

二冊買って、一冊はしげるさんのおばあちゃんに送り、もう一冊は我が家に。


これを描いたのは丸山太郎さん。松本民芸館を創館した方。
二人の娘に描いてやった絵本だそうです。
とても味のあるたぬき・・・・



内容はタイトル通り、『たぬきの東京見物』である。




しんしゅうしなののやまおくの

雪がこんこん降っている

林のなかのたぬきさん


から始まり、汽車に乗って東京へ行くも、戦争中で銀座も暗く、上野で西郷さんを見たりして、そして子供達の待っている家に帰ってくる、というお話。



これを我が家の本棚で発見した娘。
「読んで!」と頼まれて読んでやると、とても好きになったようです。

7・5・7・5・7・5 と和歌のような作りで、娘が「これはお歌みたいだね」と言っていました。



そして昨夜、これを開いた娘が、しげる氏に読んでいるのを聞いてびっくり。
「おふろはこんばん ありません でんきははやく けしなさい」などと字が読めないのにスラスラ読んでいる!!

うろ覚えで、間違いはあるが、40ページはある大著(?)を娘がスラスラ読んでいる!



子供のシナプスが羨ましい。
読んでやっている私は上の空なのに、娘はちゃんと聞いているんだな、と本当にびっくり。

私も娘に何か絵本でも描いてやろうかな、と思いました。







そういえば娘の為にネットで探して買ったら、あけてビックリ、70年前の本であった『ガリバー旅行記』。



全部カタカナですが、読み慣れると平気なものですね。
娘にせがまれて何度か読むうちに、総カタカナ絵本もスラスラ読めるようになりました。

本としても、本当に綺麗で70年前の物とは思えない。









3歳児ってラク

三歳児ってラク   と思ったが、やはりラクではない。



娘は生後3ヶ月から、眠らせるのが大変な子なのだ。
(第一子の長女って、みんな大変って聞きます)


そして今日は『本を読んでやっているうちに眠らせる作戦』を始めて、三冊読んだ所で「寝ないから!」と脱走。


再び『本を読んでやっているうちに眠らせる作戦』を始めて2時間半。

2時間半、本を読み続けてようやく「眠い・・・・」と言い始め、絵本を途中で寝たのだ。


ああ、2時間も絵本を読んでやって、私って本当に良い母親だなあ、と思いながら喉がカラカラになったので麦茶を飲む。

それにしても、昼寝を始めるのが5時過ぎだなんて。



「寝ないならそのまま起こしておけばいいじゃーん」と思ったそこの あ な た !

晩ご飯前には愚連隊になり、ご飯を食べない、風呂に入らない、歯を磨かない、風呂に入ったら服を着ない、全ての事にイチャモンをつけまくり、泣き叫び続ける恐怖の三歳児が出現するのが辛いのです。


さて、本日読んだ中の一冊。文章は魔女の宅急便の角野さん。


リスベート・ツヴェルガーというオーストリアの絵描きさんの絵が私は好きで、他にも不思議の国のアリス(娘にはまだ早いので、隠している)など持っています。

さて、この本も娘にはまだ難しいと思っているのですが、二度リクエストされ読みました。
間違って最初のページを飛ばして読み始めると「お母さん、違うよ」との指摘。
ちゃんと分かっているようだ。というか、ページをいちいち覚えているようだ。
すごいな、子供のシナプス。


私は子供に絵本を読み聞かせながら、時々他の考え事をしてしまうようで、「ハッ」と気づいたら違うページを読んでいる、と言う事がしばしばある。しかし、鋭い娘が文句を言わない所を見ると、無意識で音読できているようだ。

私の特技は、『考え事をしながらも無意識で絵本を読んでやれる』事のようだ。
良い事ではないですが。


さて、娘が途中にして寝てしまった本はこちら。

裏ページを見たら、汚い子供の字で「あゆこのほんです」との記載。
私の名前はあゆ子です。

そしてその下に父の字で「89年10月14日」。

我が家の本の半分は、私の幼い頃からのものです。
そうそう、このエロールルカインの描いているアラジンが、私はずっと欲しい。
図書館で借りるのではなくて、所有したいと思っている。

娘の4歳の誕生日か、サンタさんかしらと思っている。
だれか、余っていたらくれないかなあ。

欲しいなあ。

娘が起きる前に、晩ご飯の支度をしないとな。

図書館の近くに住みたい

「どこにでも住める」というのならば、図書館の隣に住みたい。

図書館が遠かったので、重い腰が上がらずでしたが、ようやく数ヶ月前から図書館へ行くようになりまして、私と娘の生活がより楽しくなったのです。



娘は自分で本を選ぶ楽しみや、私が買わないような本との出会いにワクワク。

「次はどんなの借りようか?」が大きな楽しみです。




私は頭が固い人間なので、基本的に正統派(?)というような絵本しか買わずで、娘は図書館で少々ナンパな絵本を読める事に喜んでいるようだ。



「今度は子泣きジジイの出てくる本が読みたい」と言うので、私はパソコンで図書館にアクセス。
『妖怪図鑑』の取り寄せ手続きをしている。


「わんぱくだんの、他の本も」と言うので、わんぱくだんの他のシリーズを取り寄せる。

これは、私が絵からして確実に購入に至らないタイプのものだが、娘は大好きなようなのでせっせとこのシリーズを取り寄せている。

自分の価値観で子供を囲ってしまう事に罪悪感があったので、本当に図書館は嬉しい。



2週間に一度通っているのだが、それでも車で30分弱の距離の図書館は行くのがそれなりに面倒である。

であるから、毎週の土日に習い事を子供にさせる親って、すごいなと思う。

図書館は「返却せねば」という義務感も働くのでなんとか行けるのだ。

できることならば、家でゆっくりしたい。








しかし去年は違ったのだ。
娘が家での遊びに飽きてしまい、極寒の公園で、震えながら娘と遊んでいたのだ。

3歳児ってラクだわあああ〜♡

ぼっけえ きょうてえ

娘と話していて、不思議に思う事があったので「幸せってなあに?」と聞いてみたら、
「びんぼうじゃないっていうこと」との答え。

そしてその意味について考えてみると、絵本の『ヘンゼルとグレーテル』の存在が大きいように思われる。


私は、娘に対して『貧乏』と言う言葉を使わない。

玄関の靴を並べない娘には「貧乏神が来るから、靴はきちんと揃えてね」とは言うが、『貧乏』単独で使う事は無い。


これこれ


で、娘は何から『貧乏』という単語を学んだかと言うと、『ヘンゼルとグレーテル』の絵本である。

考えてみると、この『ヘンゼルとグレーテル』には、子供が最も恐ろしいもの
・子供を捨てる母
・飢え
の2つが集約されている物語である。

そういえば娘も、「お母さんはたまちゃんを捨てないよね」と2日に一度聞いてくる。


私は「捨てるよ」なんて酷い事を言った事もないし、娘は『世の中に子供を捨てる親がいる』なんてことを、『ヘンゼルとグレーテル』以外で知る由もない。


そこで『びんぼう』という単語であるが、なんとも音として面白い。

『B I N B O U』である。そのインパクトある音に、娘の恐怖心に火をつけた『子供を捨てる母』と『飢え』のイメージがこびりついたようだ。

そして娘の不幸や恐怖に対するイメージは『BINBOU』という言葉で表されるのかしら、という結論に至った。



私が幼かった頃のかちかち山は、もっと残酷でした。
おばあさんは、不憫に思ったタヌキの縄をほどいてやった結果、タヌキによって『ババ汁』にされてしまう。
帰宅したおじいさんに、おばあさんに化けたタヌキが『これはタヌキ汁ですよ』とお汁を飲ませ、おじいさんが飲んだあとに「それはババ汁だ!」というくだりが確かにあった。

しかし最近の版ではそんな場面が無く、物足りなさすら感じるのだが、子供の観点に立って恐怖を考えてみると、『ババ汁事件』よりも『ヘンゼルとグレーテル』の方が遥かに身近で怖いのかもな、と思うのである。


薬局やキッチン用具売り場について

娘とスーパーに行く場合、食材を見ても娘は売り場の商品(野菜や果物)が何か分かっているので問題無いのだが、薬局やキッチン用具売り場に行くと大変である。


昨日は肉を縛る凧ヒモを買いに、キッチン用具売り場に行ったのだが、娘が興奮し『我が家の計量スプーン』と『売り場にある計量スプーン』の違い(柄の部分のデザインの違い、くっ付いているスプーンの数の違いなど)をずっと拙い言葉で話し続けてその場から動かない。

なんてかわいいのだ。「これはちょっとちがうね。うちにあるのはスプーンの所がもうちょっと小さくて、それで2つでしょ?これは3つついていて・・・・・」。

そして我が家には無いキッチン用品を見つけては、私に詳しい使い方の説明を求めるのだ。




保育園の帰りにそんな事をしているものだから、家に帰るのが遅くなる。


ちなみに、凧ヒモは100円均一の方が安いな、と思い購入に至らず。


ネゴシエーター

就寝前、娘には絵本3冊と、オマケに赤ちゃん用の短い絵本1冊を読んでいる。
(読むのに20分、30分程かかる本の場合は、それを含めて全部で2冊くらいまで)


娘としては、沢山の絵本を読んでもらいたいので、「これとこれとこれと・・・」と多くを要求するのだが、「3冊と、赤ちゃんの本を1冊!」を私は厳守しようとする。
(そもそも読むのが大変だし、寝る時間が遅くなるので)

しかし娘は食い下がり、1冊でも多くの本を読んでもらおうと交渉する。

この交渉の時間を本に当てれば、1冊分になるのでは・・・と思うのだが、ならば4冊+赤ちゃん絵本1冊にすると、それ+1冊読んでもらうためにまた交渉が始まるのだ。



そして読む本の順番を決めるのも娘である。

しかし、最初の本を読んでいる最中に、次に読んでもらう本を変更したいな、とか余計な事を考えるようで、読み途中に「ちょっと待って、次に読む本は、やっぱり『しょうたとなっとう』にしよう」とか言って私に報告する。



この子は、貧乏性だ。

間違いない。私にそっくりだ。

その瞬間を思う存分に楽しめないのだ。

そして私の父にそっくりだ。

これが、遺伝か。


納豆と言えば私の父である。

例え晩ご飯が中華料理であろうと、ビーフシチューであろうと、最後の〆に納豆ご飯を食べる父である。
先日図書館で娘が見つけた本『しょうたとなっとう』は、小泉武夫の監修である。

小泉武夫も毎日必ず納豆を食べるそうだ。そしてそれが元気の秘訣らしい。
我が父が元気なのも、納豆のおかげかもしれぬ。




この本の影響で、私は娘に「今度、ふたりで納豆でも作ってみようか〜」と言ってから気がついた。

私はビール菌を培養しているのだ。

「しまった。納豆菌一粒でビール菌を死滅させるから、やっぱり納豆はウチで作れないや。ゴメン」と娘に謝ると、「ならビー子(我が家でビール菌の事はビー子と呼んでいる)を瓶に全部詰めてから作れば良いじゃん」との返事。

確かに。しかし、納豆を食べるだけならまだしも、ビール菌をさらに危険にさらす訳には行かないので、娘には悪いが我が家で納豆を作る事は無いだろう。

ネコ娘

休日の朝、娘とたっぷり1時間遊んだあとのゆったりとした朝食。

私は新聞を読んでいた。


娘が絵本を持って来て「読んで」と言うので、
「今はお母さんの時間。新聞読んでるからあとでね」と言いました。


すると「今は親と子供の時間でしょ!」と言いながら絵本片手に私の膝に乗ってくる。


負けた。






いやしかし、可愛い事ばかりではなく、昨日は『刺身を二切れ味見したら、晩ご飯の前にお風呂に入る』という約束をしたにも関わらず、それを反故。

刺身を食べたクセに風呂には入らないと言い始めたのである。

叱る基準は、常に今の娘の知的、精神レベルに相応かどうかを見極めねばならないが、このケースに関しては『叱って然るべき』。

昨夜は私の怒声と娘の意地!

今振り返ってみると、まだ娘には早い『叱り』だったのかなと思ったが、しかし意地を張っている時点で全てを理解しているんだよな。

何度か妥協案を提示したり、押したり引いたりしてみたが、本当に意地っ張りが酷い。



滅多に買わない刺身を、節分だったので特別に買ったのだ。

家族三人で仲良く刺身を食べたかったのに、娘が意地を張り、私も折れる事はできない。


辛い。
食べ物が絡むと本当に辛い。私は美味しい物を食べる事に全てを賭けているのだ。



さて、こちらの人形。


ベルベッドの布でネコを作ろうと思いつつ、ボディだけ作って放置して、やる気をなくして娘のオモチャにしていたのだが、娘が気に入って『ジジ』と言う名前に。

「これは女の子にしたい」と言うので、人間に変更。

「顔つくって!」」と言われて顔を刺繍。

「服作って!」と言われ作り、「ズボンも。パンツもちゃんと作って」と言われてパンツもズボンも作った。

そして今度は「寒そうだからコートも!」と言われて、先日5枚作ったエプロンの残り布をはぎ合わせてコート。

しかし問題は髪の毛である。
この黒い部分を、全て刺繍で埋めねばならない。

面倒だ。極めて面倒で地道な作業だ。

ちなみに白い糸は、娘と一緒に縫ったもの。

そんな事を聞くのね

昨日、晩ご飯を食べていると娘が聞いて来た。

「どうして若いと死なないの?」



確かに動物は若いと死ぬ確率は低いが、この質問にどう答えれば良いのでしょうか。



確か『子供の疑問には、詩的に答えねばならない』って育児書に書いてあったのだ。
そして私はそれに納得しているのだ。

しかしこの質問には詩的に答えられないぞ・・・



どうすればいいのだ。

じりじり

昨夜娘が

「ねえお母さん。『お日様がジリジリ照りつける昼下がり』のアノ本てさ、夏のお話?」

と聞いて来た。


訳が分からない。『お日様がジリジリ照りつける昼下がり』なんてくだりのある本、どれだ?

さっぱりわからないので、聞いてみた。

「それって何が出てくるの?」

「イルカのやつだよぉ」


最近読んだイルカの本と言えば、娘が図書館で見つけて来たこの本だけである。



ページを開いて読んでみた。

本当だ。始まりが『お日様がジリジリ照りつける昼下がり』だ。

内容に関係のない言葉まで覚えているとは・・・・

3歳児恐るべし。



最近は、長い本を飛ばし読みすると娘にバレる。

音読しているのは私で、娘は聞いているだけなのに私よりも言葉を覚えている。


大人は粗筋を覚え、それ以外を記憶の処理で消してしまうのだろうが、子どもは違うようだ。





母系社会の少数民族モソ人

モソ人だ!