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昨日、娘を保育園へお迎えに行ったついでにスーパーへ。

カゴに入れたのは娘が欲しいと言ったバナナ。そしてうどん、半額になった牡蠣。


レジにて財布を開くと300円しかなく、

「ぎょえ!すみません、お金が足りません。バナナだけ買わせて下さい」という事態であった。




娘はそれをしっかりと目撃していたのだ。




そして今朝の事。

「ねえお母さん。うちは貧乏なの?」と聞かれた。



娘にチーズを買って欲しいとねだられても、「お金がないからいつもは買えない」とは言っているものの、『びんぼう』という表現はしていない。

「貧乏ではないけど、お金持ちでもないね」と答えたのだけれど、教育として正しかったのか?

すると娘「どうしたらお金持ちになるの?」と聞いてくる。



そ・・・それは・・・・

「それはね、お金持ちになれるお仕事というのがあるんだよ」と私が言うと、

「たまちゃん、それになる!」と言うではないか。


しかし、娘の頭の中では『お金持ち=裂けるチーズが毎日買える』なのだ。
ひとつ170円、ひと月5000円を越えます。
例え私が大金持ちでも娘に毎日買い与えません!!


いやしかし、なんだか教育としてよくないぞ。

確かに安定した給料は素晴らしいがとりあえず娘に聞いてみた。

「たまちゃんは今、幸せ?それとも不幸せ?」

「しあわせ!」と即答する娘に、

「なら別にお金持ちにならくても良いんじゃない?」と言ったら、じっとなにやら考えていたようだ。



いやしかし、安定した仕事に就いてくれた方が安心だ。

そしてなれるならお金持ちになって欲しいぞ。と心の中でつぶやきました。




さて、最近の娘は「たまちゃんは大きくなったら虫博士になってロケットに乗る」と言っている。
虫も好きではないクセに、本の影響である。


先日、娘はトイレでウンチを踏ん張りながら、
「ロケットにチョウチョを持って行くんだ・・・ううっっお腹痛い・・・」
と言っていた。

そして私は疑問に思った。

無重力での蝶々や鳥の羽ばたきはどう作用するのだろう?

娘は私に日々不思議をもたらす存在である。



安物買いの銭失い

お正月、実家の母と娘とデパートへ行きました。

若者向けの洋服屋で、セーターが安くなっていました。

本当に安かった。

買ってみた。


二度着たら、すごい毛玉。

毛玉取りで取ったがみすぼらしい・・・



一方、3年前に古着屋で購入した500円のカシミヤ100%のセーターは、3年間、冬は家にいる時常時着続けているが、毛玉もちらほら。

取ればまた美しくなる。暖かい。




高ければ良いと言う訳ではありませんが、安い化繊のセーターはもう買いません。
本当にもう絶対に買わない。

若者は、毛玉も気にしないで着ているのか?

定価が高ければ、中古で探すべし。


しかしその中古も、ナウい古着屋よりも、地元のお年寄りが良く来る所が良い。
その方が古くても良い物があるのだ。しかも安い。


ちなみにここ15年程で、どんどんフリーマーケットの品物が低品質になって来ている。

だから私は最近、フリーマーケットへ行っていない。
大好きだったのに。

ウォーズマン 宇宙へ行く の巻

雪が降り始めて、お昼過ぎに慌てて娘を保育園へお迎えに行ったのが22日。
昨日23日は車も出せず娘とお休みしました。

さて、相変わらず若田宇宙飛行士の実験を見ている我々である。


今朝は保育園へ行く車の中で

「お母さん、たまちゃんにガスボンベ(酸素マスクのこと)を買って。お姉さんになって宇宙に行く時にロケットに持って行くから。たまちゃんが5歳くらいになったら買ってね」

と言われた。


そうか、娘は若干5歳にして宇宙に行ってしまうのか。




先日、夕飯中のことである。

しげる氏が娘をまじまじと見つめて「この子はウォーズマンにそっくりだ」とつぶやいた。

一体誰?ウォーズマンって誰?




と調べたらこれだった。

漫画『キン肉マン』の登場人物らしい。


ある意味では否定できない。

昨日、娘のシャツが濡れて、濡れた部分だけ濃い色に変化しました。


すると娘が「どうして濡れると色が変わるの?」とビックリした顔で聞いて来ました。



わからない。濃い色、と言う事は、光を吸収するということか?


「銀杏は、どうして臭いの?」「火は、どうして熱いの?」


本当に理系の質問には困る。私は日々こっそりとインターネットで調べ、娘に説明することを試みるが、なにせ私ですら理解できない事ばかりである。



せめて国語的な質問は、辞書を使って答えたい。

『インターネットで物事は解決する』と思わせたく無いのです。

肝心な事や専門的な事は、インターネットを駆使しても答えは出て来ませんし。




しかし、この土日、私は娘と夢中になってインターネットのユーチューブを見ていました。
「子供にユーチューブは見せたくない」と思っていたにも関わらず、私がはまってしまったのだ。


「宇宙では物が落ちないんだよ」という説明を娘にしても、それに関してイメージができないようで、繰り返し質問を受けるので、ついにネットで『無重力 映像』を検索するとあらすごい。

宇宙飛行士の若田さんの、ロケット内での様々な実験の映像がユーチューブに沢山あり、それを娘と食い入るように見てしまった。

私は、すっかり若田さんのファンになった。
 


私が好きな人は、若田さんと、細野晴臣と、清水ミチコと、ブラザートムである。

イルカ

イルカは超音波を出して会話しているから、人間には聞こえない。


という話を娘にしてやったら、「コウモリは?」と聞いて来た。


確かにコウモリは超音波を出して、周りに反響させることで自分の位置を確認している。
だから壁にぶつからずに飛べるのだ。(らしい)



どうして娘がそんなに難しい事を知っているのだ?


「どうして知っているの?」と聞きましたら、「ラジオで先生が言ってたんだよ」との答え。


年末、私が聞いていたNHKのAMラジオ『冬休み子供科学電話相談』を横でしっかりと聞いていたようだ。




そんな話をすると、なんてしっかりした三歳児なのだろうかと思うのだが、実際は違うのだ。


娘は保育園では聞き分けの良い子らしいが、家ではかなりすごい。

毎日2回ほど、10分程寝転がって泣き叫ぶことがある。

昨日はお風呂上がり、パジャマのボタンを自分で閉められずに発火。


「お母さん嫌い!!あっち行って〜!!」「抱っこして!!!あっち行って!!こっち来て!!!!」と近所の人が聞いたら通報するのでは、と思う程の絶叫だ。


気が済んだら上機嫌になり、歌まで歌い始める。

なので私は娘に聞いてみた。
「ねえ、たまちゃんが泣き叫んでいる時はさ、お母さんにどうして欲しいの?」

すると「お布団でゴロゴロしていれば良いよ」と言われた。


そうなのか・・・・このゴロツキは、一体何歳まで続くのだろうか。

チンパンジーに優越感はあるのか

私の娘は2歳の頃から、『優越感』の感情を持っていることがわかっていた。

例えば最近では彼女が持っていて嬉しいもの、保育園で作った凧や、私が買ってやった娘の好物のチーズを持って歩いている時、娘は「これを他の子が見たら、どう思うかな?」と言う。

今までは「いいなあ、って思うんじゃない?」と私は言っていたが、なんだかあまり良い事ではないのかなと思い、相槌は「他の子も作っているんじゃない?」やら「他の子もお母さんに買ってもらっているよ」と流すようにしている。


娘以外の子に関しても、例えば私が娘を保育園に送って行くと3歳児のAちゃんがわざわざ寄って来て
「たまちゃんゴメンねえ、今Bちゃんと遊んでるから、たまちゃんとは遊べないの」といやみったらしく(かわいいが!)言って来たりする。

この時点では娘も気にしていないし、Aちゃんは優位性やら優越感を楽しんでいる一方的な行為であり、私の娘も似たような事をやりまくっているだろうし。
(しかし、これが3年後であればいじめなんだな、と思う。)




何せ他者の存在を意識し始めた2歳の時点で『優越感』を持っているんだから、多くの人間に基本的に備わっている感情にちがいない。

人間は優越感を持ちたい動物なのだ。


この『優越感』の存在ってなんだろうな?と思うと、つまるところ『子孫を残すのにより優位な異性や生活を獲得して、他者に対して抱きたい感情』が公汎にわたったという感じなのだろうか。

つまり人間が『優越感を持ちたがる』事の最初の意味は、『子孫を残す上でより優位な異性や生活を獲得したいと思う競争心を、煽るため』なのかな、と思いました。

そして『劣等感』は、『優越感』から副次的に生まれた感情なのかな、と思います。



そう考えると、知能の高いチンパンジーには『優越感』という感情は存在するのかな?と気になりました。


今の日本では行儀が悪いよ

昨日の晩ご飯の最中に、娘が白菜をモグモグしながら寝転がった。

そして「たまちゃん、イタリア人みたいでしょ」と言いながら寝たまま肘を付き、モグモグしている。


一瞬、何を言っているのかがわからず、私は硬直した。




しかし次の瞬間、思い出した。


それは数ヶ月前、私が『古代ローマの貴族は寝転がって食べる』という話を娘にしたのだ。

『古代ローマ人』は娘には意味が通じないので、『昔のイタリア人』とし、さらに娘は『単なるイタリア人』と勘違いして覚えたようだ。


ちなみに娘にその話をした際、古代ローマの貴族の酒宴では、満腹になると鳥の羽で喉をつついて嘔吐し、さらに食べ続けるという話もしたが、どうやら忘れているらしい。





一昨日は、私が荷物を置くために土足で玄関に上がるのを見て、娘が「イタリア人みたいじゃん!」とビックリしていた。


娘にとってイタリア人とは一体どういうイメージなのだろうか。



そしてさらに、「イタリアって、もともといた人に『出て行けー!』って言った国だっけ?」と聞いて来た。
ネイティブアメリカンの話か?アボリジニーの話か?

もはや、私は自分が娘に話して聞かせた事すら多すぎて思い出せない。



今朝の娘は朝食のパンをかじりながら、「トランプ大統領」とつぶやいていた。

子供

子供はすごいと思う。

今ではインドアな私であるが、小学生までは外遊びが大好きで、友達と公園で走っていた。

それにトランプも大好きで、小学生の頃は「私は将来、トランプが大好きな人と結婚する!そして毎日二人でトランプをするのだ!!」と決心した記憶がある。


本当に、今はトランプやゲーム等の面倒な事が大嫌いなので、小学生までの自分は体を動かしたり考えたりして、筋肉や脳や骨を鍛えていたんだなあ、と思う。

今ではチームで何かをやることに拒絶感すら覚えるのであるが、小学生の頃はみんなでドッヂボールをやるのも楽しかったのだ。


子供は、放っておいても自分を健全な方向へ導くようにシステム化されているんだな、と思う。

娘を見ていても、本当にそう思う。




ちなみに私は1人で黙々と泳ぐ事は好きなので、運動が全て嫌いと言う訳ではない。

今日はしげるさんが遠くで仕事をしているので、私は1人の昼ご飯である。
たぶん、インスタントラーメンを食べる。

おこげ

おマメのスープを作っていたのだが、娘の世話でバタバタしていて焦がしてしまい、
おコゲのスープになった。

娘に食べさせると「なんかこれ、変な味だから嫌」。そうだよな。

確かにコゲの味だ。


勿体ない。どうしよう。自分1人で食べるかな、と思いつつ、しげる氏にも食べさせてみて、
大丈夫なら大人二人で食べよう。

そもそも私は、スープを作る際は6人前ほど一気に作り、翌日も食べるのが常である。

6人分焦げスープができてしまうと、消費にかなり時間を要する。


しげる氏に食べさせてみると「うーん、これは香ばしいとも言えるのでは?」と言いつつ食べてくれたのだが、それは優しさか、それとも本当に香ばしいと思ってくれているのか。

私がしげる氏であれば「これは美味しく無いが、勿体ないから僕も食べるよ」と言うだろう。しかし、相手が私であれば軽くショックを受けつつも「だよねー、協力して!」と返すが、人によっては「美味しくないなら食べなくてケッコウ!!」とカドが立つのかもしれない。


他人の心は、本当にわからんものだ。

そしてわからない方が良い事も沢山あるな、と思う。

そして私は平均的な人間よりも、他人の心の動きがわからない人間であるとの自覚はある。

子供の心の動きはよくわかるんだけどなあ。




他人である時点で、味覚や表現方法に差異があるので、しげる氏の「香ばしいとも言える」という発言の真意は一体何処に・・・

つまりおコゲのスープは、私に取って『香ばしい』よりも明らかに『焦げ臭い』のであるのだった。であるから、しげる氏の『香ばしい』発言は優しさに違いない、と思うのではあるが、しげる氏は味覚に関してウソはあまり言わないので、なんだか腑に落ちない。



今宵もまた、あの焦げスープが待っている。


昼ご飯で食べてしまおうと思っていたが、ひょんなことから街へ用事ができ、しげる氏と中華定食をいただいてしまったのだ。

難しい

娘が保育園で、少しお尻が痛かったようだ。

お昼寝の前に娘が、「先生、お尻が痛い。お母さんに伝えておいて」
と先生に言ったらしい。

通常、先生から保護者に連絡事項がある場合、『連絡事項があります』と書かれた大きなカードを各児童用に設けられた連絡ポケットに先生が差し入れるのである。


昼寝から覚めた娘は連絡ポケットをチェックした上で、
「先生、連絡カードが入ってないよ」と注意したらしい。



なんて細かい子供なのだ!
この遺伝はしげるさんではない。私だ。しかし、私もそんなに細かく無いぞ。





さて昨日読んだ『つるの恩がえし』である。




最後のシーン、おばあさんとおじいさんに機を織る姿を見られ、「本当の姿を見られては、もう一緒に住めません、さようなら」。


3歳の娘には、同時に『娘』と『鶴』が描かれているので、この絵本の『娘』と『鶴』は別の登場人物であるとしか考えられないようで、昨夜は布団の中で延々とこの説明を繰り返していた。

「でもここに、娘と鶴が一緒にいるんだから、娘が鶴なわけではないよ」と娘が言い張るのである。

細かいなあ・・・
うーん、そういう理解でもまあ良いのかなと思えてくる。
いくらあがいても、本は結局の所、読者が恣意的に理解するものであって、その恣意性の程度の問題なのである。
その程度を誰が規定するかなんて決まってはいないし、ましてや私が娘の考えを『正す』なんて偉そうな事をすべきではないのだ。たぶん。

と逡巡、一番適当な「そうか、たまちゃんはそう考えるのか!」ととりあえず感嘆しておくのである。





絵本において3歳児でもまだ理解が難しいのは『登場人物の過去の回想シーン』や『登場人物の頭の中の想像の描写』『幾つかの時差のある場面が同時に描かれている描写』である。
時系列であれば登場人物が1冊の絵本の中で、幼少から大人になったとしても理解できるのだ。


多くの子供向けの優れた絵本は、その辺がきっちしりしているのがほとんどである。
(例外は多々あり。この鶴のおんがえしも例外)


この講談社の絵本シリーズは、30年程前のもので、これまた素晴らしい本である。

なにより文章が分かり易い。

監修に小磯良平なのだ。すごいのだが、絶版だし入手困難な作品が多いのだ。




三歳児の溜め息

ノートをひろげ、鉛筆を持つ娘が溜め息をついた。

「どうしたの?」と聞きましたら、「お母さんは、どうやって数字を書いているの?」と言うではないか!!!

ノートを見てみると


ん??



ずごいではないか。0と1の羅列!!二進法だ!!


3歳にして二進法を駆使する私の娘は天才である。たぶん。

「ゼロとイチを書いているじゃん!君は天才だ!」と言っておいた。

母系社会の少数民族モソ人

モソ人だ!