「たとえば我々の車がさ、・・・」という話をし始めた。
『我々』を使う3歳児のシュールな可愛さは激烈であったが、「我々って使っている!」と私がしげる氏に報告した事により、娘が『我々』を使うのに照れてしまい、以降は『私たち』を使っているようだ。
基本的に娘の一人称は「たまちゃん」なのではあるが、「たまちゃんたち」という使い方はまだ難しいようで、私がよく使う『我々』や『私たち』が『we』という意味なんだな、と理解しているようだ。
先日娘が「総合病院のソウゴウってどういう意味?」と聞いて来たので、説明をした。
数日後、山の紅葉を見た娘が「お母さん、紅葉、ソウゴウ綺麗だね」と言うではないか。
確かに色々な色で、総合的に綺麗だ。
しかし何かが違うぞ・・・
娘に単語の意味を聞かれた際、私は単語自体の意味を説明した上で、その単語を用いた例文を沢山作って聞かせます。
それも面白い内容の例文にします。人間は感情と直結させると記憶力が上がると聞きますし、娘がその例文を「面白い!」と思うことによって言葉を覚えるのです。と思っているので。
しかし、『総合』は、それを用いた、娘も理解できる例文が全然浮かばず、それはテキトウに流してしまった単語であったのだ。今の所、私の娘に対する手抜き部分を、娘の言葉が如実に示してくれるので、私は日々反省の嵐である。
学校の先生ってこんな感じなのでしょうか。
しかし「紅葉、ソウゴウ綺麗だね」もなかなか面白いのでまあいいかな。
今朝、ヘンゼルとグレーテルの絵本を読んでやっていた所、「ヘンゼルとグレーテルは、日本人なの?」と聞いてくる。
「いや、ドイツ人だよ、たぶん」と答えると、「でも日本の言葉をしゃべっているよ」との指摘だ。
我々の読んでいたヘンゼルとグレーテルは、アメリカ人の書いたグリム童話だったので、「これはもともとドイツのお話だけど、アメリカ人のおばさんがこの絵を描いたのを、日本人のおばさんが日本語に書き換えたの」と説明しながら、私はなんで3歳児にこんな複雑な事を説明しているんだろう、と思ったのだ。
絶対に理解はしていないが、世の中には理解できない事が沢山あるということを彼女は知るだろう。

娘と「しあわせな王子」の本を読んでいると、色々聞いてくるので「王子様はとても優しいからコレコレこうするんだよ」と説明すると、「どうして王子様は優しいの?」と聞いてくる。
私が教えて欲しい・・・