ウクレレの師

時々お邪魔しているご家庭の、小学生の娘さんがウクレレを弾く。

私はそれに憧れて、そんな話をしたら、別の知人がウクレレを貸してくれた。
私はウクレレの練習をする事にしたのだ。


しかし、超初心者用の楽譜を見ても、意味が分からない。

悶々としていた。



そして二日前のこと。

またもやご家庭にお邪魔して、その小学生女子にウクレレを教えてもらったのだ。



なんということだ!先ほどの昼休みに私は、『ふるさと』と『きらきら星』が弾けた。
楽譜も読める!

す・・・すごいぞ、あの先生は!!

今度お邪魔するときは、私のウクレレ(借りているヤツ)を持って行こう。


そして小学生の彼女の弾き語りはすごい。声が良い。歌もきれい、もっと聞きたいのだが、なかなか聞かせてくれない。


30歳を超えて楽器を手にするとは思っていなかったが、人生何があるかわからないものだ。


私は超絶なる音痴であるが、自分の歌っている歌の音程がズレている事は認識できている。と友人に話すと、音大出の友人いわく、「それは音痴とは言わない」とのこと。
まじかいな!期待しちゃうぞ♡

そしてすごいぞ、ギターに合わせて歌ってみたら、音程がズレない。





音痴に 一筋の光がさした 瞬間であった。

禁じられた遊び

先日、庭にレジャーシートを敷き、外でお茶をしていた娘。
(お茶は麦茶。お菓子は単なるお麩と硬い昆布である)

「ねぇお母さん!積み木を外でやりたいんだけど」というので積み木を渡すと、何やら四角い塔を作り始めた。

「それなあに?」とたずねると「たまちゃんのお墓を作っているの」と言うではないか。



シュールだ。

しげる氏に言うと「しっかりしてるな。今から自分の墓を作るなんて」との事。
そういう問題なのか?

とりあえず「お母さんとお父さんとたまちゃんのお墓なら作っても良いけど、お友達のはダメよ」と言っておいた。

汚いお母さん

私は、ほとんど化粧をしないのだが、先日はたまたま朝から出かける事があり、娘が生まれてから『初めて』平日の朝から化粧をした。

娘はただならぬ事態だと思ったらしく、だんだんと不安な顔つきになりまして、
支度が終わったので「さ、保育園へ行きますよ〜」と言いましたら泣き出して、
「うえ〜〜ん、汚いお母さんのまんまでいて〜〜!!」と泣き叫び、家から出ようとしない。

「お化粧取って!!汚くして!!」

複雑な気持ちだ。



15年後に答えが出る。

先日、『フランスのエルビス、ジョニーアリディが死去』というニュースをネットで見つけた。



私は高校生の頃、このおじさんの写真と歌声だけは知っていて、このおじさんは誰だろうと思っていた。

どうやら有名なフランス人だと言う事は知っていたので、最寄りの駅のNOVAのフランス人講師に聞いてみようと思ってNOVAまで行ったのだが、結局フランス人は不在であった。その後興味も忘れて今日に至る。


そうか、名前はジョニーアリディさんだったのか。




昨日は、久々にキューバのジャズピアニストのロベルトフォンセカが聞きたくなり、しげるさんの職場に置きっぱなしであったことを思い出す。

用事のついでにフォンセカの4枚程のアルバムを手に持って、車で早速聞いたらやはり素晴らしい。

本当に素晴らしい。

一枚目、聞き始めたアルバムが『YO』というアルバム。

日本へもライブに来ているのだがタイミングが毎回合わなくて行った事が無い。

数曲目に入っていた曲で、少し考えた。
アルバムの裏を見てやっぱりな。参加しているアラビア音楽の歌手の名前が『Faudel』という人です。
彼が参加している事に今まで気づかなかったことは無いだろうから、私は物事をすぐ忘れるので単に忘れていただけだろう。




Faudelという歌手は、アラビア系移民のフランスで活躍する歌手です。(アルジェリアからの移民だとおもう)
フランスにはアラビア系の移民が多く、『ライ』というジャンルのアラビアポップが盛んです。

Faudelさんはライミュージックの王子様のような感じです。
そして私は久々にライが聞きたくなった。
以下の映像はロックよりのラシッド・タハ、おじさんのシェブ・ハレドというライで有名なミュージシャン三人が集まってコンサートをやっている模様。
私は三枚組のこのライブアルバムを持っていて、この曲をすり切れる程聞きました。(CDなのでなかなかすりきれないよ)
ラシッドタハは、私が高校生の頃にもの凄くブームで、何度か来日している。



この他、スティングとも一緒に曲を出しているシェブ・マミという有名なライの歌手もいます。

先日、新聞に細野晴臣のインタビューがあって、「ライが好きだった」と載っていた。
その他、サラーム上海という芸名の、アラビア音楽好きのおじさんのやっているラジオ番組が、何かで賞を取ったらしいとか、色々ライの時代だ。
再びライの波が来ている。

私の中でだけかもしれないが。

難点は、単語がひとつたりとも聞き取れないと言う事である。

アフロ・モリ について

娘が、本で見つけた宮崎駿の顔写真を見て、
「この人は、アフロ・モリっていう人。マンガを書いているんだよ」
と言った。

よくわからないけれど、アフロ・モリってセンス良いな思う。
カズオ・イシグロもビックリ。

私がペンネームを作るとしたら、アフロ・モリにしたい。




今朝保育園へ行くと、エリ先生が来て

「たまちゃんったら、昨日『たまちゃん、エリ先生がいないと生きて行けない!』って言ったんです。どこで覚えたんですかねえ、そんな言葉!」と笑っておっしゃった。





私である。私がたぶん言っているのだ。

「たぶん、私ですね」と苦笑したが、たぶんではなくて、絶対だな。

文語的だ

娘の言葉がしばしば文語的である。

今朝は

「あの森の向こうには、何があるの?」と聞かれたので

「腐海(ふかい:ナウシカに出てくる毒の森)かな?」と私が答えると

「なら、マスクをつけなければならないということ?」と言う娘。


マスクをつけなければ ならないということ 。とたどたどしく言う三歳児って可愛い。



宮崎駿の、80年代に出たマンガがあるのですが、娘がこれに夢中です。
30分近くかけて読んでやります。



まさか私も、人にマンガを読んでやることがあるとは。

声を出してマンガを読んでやるというシュールな事態である。

忘却力

娘が二歳の頃は、一寸法師の歌を4番まで全て歌えていた。

つまり、2、3ヶ月前までバッチリだったのだ。


先日娘が、「そういえばたまちゃん、最近一寸法師の歌、歌ってないねえ」と突然言い出し、1人で歌い出したがほとんど忘れていて歌えない。


子供は記憶力もすごいが、忘却力もすごい事が判明した。



ちなみに、私は覚えている。

というのも、一寸法師の歌は起承転結でできているので、物語を追って考えれば大人には覚え易いし、考えれば次が浮かぶのである。

オオカミ少年

娘がオオカミ少年の話をして欲しいとせがむので、私のうろ覚えの話をしてやった。


少年は「オオカミが来たぞー」と村人達になんどもウソをつき、最後に本当に来た時には誰も少年を信じず、オオカミは村中の羊を全部食べてしまった、というお話。

「そして、羊は一匹も居なくなってしまいました」と私がしめると、
「その一匹はどうして食べなかったの?」と聞いてくる。

「一匹も居なくなったんだよ」というと、「だからその1匹はどうして残ったの?」。


何かが変だ。


どうやら娘は、「1匹も居なくなった」という表現を間違って理解しているようだ。

一通り説明して1週間後、娘と魚を見る機会があった。

私は数匹見て、娘は1匹見たのだが、

「たまちゃん、お魚を1匹も見れなかった」と得意げ。



どうやら混乱しているようだ。

「1匹 しか 見られなかった」
「1匹 も  見られなかった」

で混乱しているようだ。

すごいぞ、日本語。 しか と も だけで、意味が全然違うんだ!と今更ながらへ〜と思う。

子供は本当に面白い。


昨夜、娘を見たら奇行に走っていた。


パン焼き機をセットしたら、パンを捏ねてくれるのだが、その様子をこっそり伺うのが好きなようだ。




こちらの絵本。

娘の大好きなピーターラビットシリーズのお話のひとつです。
この『ひげのサムエル』はネズミの大男で、子猫のトムに練り粉をたっぷりと付けて、焼いて食べようとします。

練り粉、とはパンを捏ねて、発酵させる前〜焼くまでの状態。

つまり、パン焼き機の中では練り粉を作っているのだ。


ピーターラビットの絵本には暮らしの基本が描かれているので、娘は実生活でポターの世界を活用して色々な事を学んでいます。

それにしても、私は幼少期、ピーターラビットの絵本は小難しくて嫌いだったので、これを好む娘を尊敬している。




それにしても、絵本の文章の美しさなんて、子供が生まれるまで気にもした事が無かったが、文章のヘタな絵本は読んでいてストレスがかなりすごい。不快なのだ。

外国の絵本の翻訳では、絵は素晴らしいのに文章が酷い事がままあり、それが切ない。

いしいももこさんの文章は間違いないので、ピーターラビットは小難しいが読んでいてとても楽しい。

紅葉、ソウゴウ綺麗だね

娘が先日、
「たとえば我々の車がさ、・・・」という話をし始めた。

『我々』を使う3歳児のシュールな可愛さは激烈であったが、「我々って使っている!」と私がしげる氏に報告した事により、娘が『我々』を使うのに照れてしまい、以降は『私たち』を使っているようだ。


基本的に娘の一人称は「たまちゃん」なのではあるが、「たまちゃんたち」という使い方はまだ難しいようで、私がよく使う『我々』や『私たち』が『we』という意味なんだな、と理解しているようだ。




先日娘が「総合病院のソウゴウってどういう意味?」と聞いて来たので、説明をした。

数日後、山の紅葉を見た娘が「お母さん、紅葉、ソウゴウ綺麗だね」と言うではないか。

確かに色々な色で、総合的に綺麗だ。

しかし何かが違うぞ・・・


娘に単語の意味を聞かれた際、私は単語自体の意味を説明した上で、その単語を用いた例文を沢山作って聞かせます。
それも面白い内容の例文にします。人間は感情と直結させると記憶力が上がると聞きますし、娘がその例文を「面白い!」と思うことによって言葉を覚えるのです。と思っているので。


しかし、『総合』は、それを用いた、娘も理解できる例文が全然浮かばず、それはテキトウに流してしまった単語であったのだ。今の所、私の娘に対する手抜き部分を、娘の言葉が如実に示してくれるので、私は日々反省の嵐である。
学校の先生ってこんな感じなのでしょうか。


しかし「紅葉、ソウゴウ綺麗だね」もなかなか面白いのでまあいいかな。




今朝、ヘンゼルとグレーテルの絵本を読んでやっていた所、「ヘンゼルとグレーテルは、日本人なの?」と聞いてくる。
「いや、ドイツ人だよ、たぶん」と答えると、「でも日本の言葉をしゃべっているよ」との指摘だ。

我々の読んでいたヘンゼルとグレーテルは、アメリカ人の書いたグリム童話だったので、「これはもともとドイツのお話だけど、アメリカ人のおばさんがこの絵を描いたのを、日本人のおばさんが日本語に書き換えたの」と説明しながら、私はなんで3歳児にこんな複雑な事を説明しているんだろう、と思ったのだ。
絶対に理解はしていないが、世の中には理解できない事が沢山あるということを彼女は知るだろう。




娘と「しあわせな王子」の本を読んでいると、色々聞いてくるので「王子様はとても優しいからコレコレこうするんだよ」と説明すると、「どうして王子様は優しいの?」と聞いてくる。


私が教えて欲しい・・・

母系社会の少数民族モソ人

モソ人だ!