ふんわり系

私が少々ぼーっとしていたら娘がひとこと。

「お母さん、いっしゅん、ふんわり していたけど、どうしたの?」


ふんわり ではなく、ぼんやり だと思うな。



  ふんわり でもなんだか良いかも。



テレビ保育をする

娘は9月で三歳になります。

今までの彼女の人生では、あまりテレビに興味を示す事もなく、我が家はテレビアンテナの関係でそもそもテレビが容易く見られるような環境ではなく。

なので一週間のテレビ視聴時間は15分くらいかしら?という感じであった。
それも娘は執着もせず。



が、最近、娘が目覚めてしまった。

『千と千尋の神隠し』である。

それも家では見られないので、しげる氏の職場の裏のくつろぎスペースでジブリ映画にかぶりつき。今日の午前中は、『もののけ姫』を二人で見て、午後に『千と千尋の神隠し』。

娘が熱で保育園を休んでいるんですね、昨日から。




で、テレビ無しの生活とテレビの生活。私は両方知った訳ですが、やはりテレビは視聴時間が少なければ少ない方が良いなという結論に至りました。

テレビに時間を取られると、その他の遊びに費やす時間が全く無くなるのである。

娘の言葉の発達が多少早いのは、今までテレビの時間が無く、ひたすらに私との対話の時間であったから、というのも関係しているかなと思います。というか絵本の時間でした。(しかし、だからと言ってそれが将来プラスに働くという確証はない。しかしマイナスに働く事は確実に無いだろうと思う)


いやしかし、今まで私は休日には絵本を3時間も読まされていたので、テレビは大変楽である。
楽なのだが、この落差は激しくて少々不安を感じます。

でも、やっぱり楽なのだ。
だからテレビを否定する事は出来ないなと本当に思います。

さあ、私は今後どちらへ舵を切るのか。フフフフ



イタリアへ行く

タイル作家の友人がイタリアで仕事をしたり帰って来たり。

彼女がまた9月にイタリアへ行くと言う。



いいなあ。

7月にもひと月程行っていたので、その時に私も娘を連れて遊びに行こうかと何度もシュミレーションしましたが、14キロの跳ねるキングサーモンを連れての長旅は私には辛い。と断念。

昨日は仕事で、寝たりごねたりしている娘を計5時間近く抱っこしていたのですが、
おかげで右の腕、肩、腰が酷く痛む。

やはり14時間の飛行機は辛いなあ。



そして9月には娘も3歳になるので、飛行機の運賃もかかるようになってしまう。


子連れで行って楽しい海外旅行は、リゾートだな、と思う。
しかし行きたいな、イタリア。



先日、メデューサの顔が本の片隅に載っているのを見て、娘にメデューサの話をしてやりましたら夢中になったようです。
しかし私のメデューサの知識は浅いので、先日ネットで見てみましたら、なんと!!
メデューサの子供がペガサスだったのです。しかも、メデューサが首を取られた時に流れた血から生まれたらしい。
知らなかった。


娘のお陰で知る事が沢山あります。
「どうして人間はお料理するのに、動物はお料理しないの?」と最近は聞かれるのですが、二歳児に答えるのは難しいですね。

困った

娘が「保育園に行かない」と、朝起きた瞬間から抵抗を始める。

本を読んでとゴネて、読んでやると「もう一回!」と続ける。
本を読み続ければ保育園へ行かずに済むかもと思っているようである。

なんとか車で連れて行けば車を降りないと泣き叫び、力強く激しく跳ねるキングサーモンのごとく抵抗するのを押さえながら車から引きずり出して抱っこで運ぶ。

14キロの力はすごいぞ。


泣く子供を先生に託したら、私は帰宅。

精神も体も力を吸い取られたせいで、私はしばらく放心状態で何も出来ません。




私も三、四歳の頃、幼稚園に行くのが嫌で絶叫していましたが、幼稚園のお部屋に着いてからの絶叫でした。つまりは、想像力がなかったのです。

娘は、私よりも遥かに知的な発達が早いなと思います。

しかし私は、二歳児の時点での知的発達レベルと、将来的な学力レベルは関連がないだろうと思っているので、今の娘の観察は面白いが、育てるのが大変なのでむしろもっとボーッとした子になって欲しいと本当に思う事がある。


語源を気にしてみる

連休明けの平日の朝は辛い。

娘がなんとか保育園へ行かないでおけないかと様々な策を巡らすからである。

そういう具合になると、「ああ、保育園を休ませたいなあ、一緒にいたいなあ」と私も思うのだが、仕事があるので無理なのである。



で、なんとか連れて行きました。


今朝は登園前に
「おふとんでちょっとごろごろしようよ」と言われ、時間が多少あったので布団で二人でゴロゴロしていると
「お母さん、まつげだね。『まつ』ってなあに?」と私の目を見て聞いてくる。

どうやら、『まつげ』の『げ』は『毛』であると理解しているようだ。


まつげ・・・まつげの語源ってなんだ?

細長い松の葉に似ているからか?『松毛』か?



私は、答えられなかった。





その後、娘を車に乗せていると
「お母さん、たんぱくしつってなあに?」と聞かれる。
ははあ。大好きな『人間の図鑑』を思い出したな。

これ。










「タンパク質って、お肉とかそういうの」と答えてやると、
「『たん』ってなあに?」と聞いてくる。

たんぱく質の、タンってなんだ?







我が家には語源辞典が必要だ。

血は争えない


これは、休日の朝から娘が私のミシン部屋で仕事をしている様子である。

私がこのレースの生地を使おうと棚から取り出した際、娘が飛びつき
「うわあ!これ、すごく素敵な生地!」と言いながら私から奪い取り、
まず椅子にのせて「ほら、椅子のカバーにもピッタリ!!」なんて言うのです。
(どこのおばさんか、という感じである。・・・私か?)

それから、何故かお箸(私が仕事に使うので、仕事部屋に置いてある)で編んでいるつもりなのか、縫っているつもりなのか。

このレース生地を私は使いたいのに、娘が気に入ってしまって離さない。




『すごい』と『すごく』という言葉がありますが、『すごい』は形容詞、『すごく』は副詞です。

『素敵』にかかるのは『すごく』であるべきで、『すごい素敵』はなんだか間の抜けた感じで正しくは無いのです。

まあ口語で「すごい」はよく使いますし、私も無意識に「すごい〜」を多用します。


しかしやはり、「すごく素敵」「すごく良いね」は「すごい素敵」「すごい良いね」よりも聞いていて美しいと思います。


そして娘は「すごく」「すごい」の用法を正しく使っているので、『すごい』と思うのです。


在宅

家で仕事をする利点は、『平日でもミートソースを煮込める』ということである。

昼ご飯を食べたら、晩の下ごしらえをするのである。


煮込み料理は、作ってしまえば簡単なので、本当に良い。

かっこうよく言えば労働の尊厳

娘は、私のミシン部屋に居る事で、尊厳みたいなものを育てている気がします。

最近は、保育園へ行く前に必ず私のミシン部屋へ行き、せっせと『ハンコぺったん業務』に従事。

「たまちゃん、お仕事してるから保育園行けないの」とか言い始めるので大変ですが、それでも仕事をしている事で自信を得ているようである。

『ハンコぺったん業務』とは、ハンコをノートにペタペタすることです。


私のミシンの上に、自分のノートと私のハンコを持って来て、ペタペタ押すのです。
青い計算機は、壊れているので娘のおもちゃ。

ミシンは、コンセントを抜き、針を取っている状態ですので大丈夫。

『ハンコぺったん業務』は、彼女の大好きな絵本、『ゆうびんやのくまさん』の一幕に出てくる仕事です。

座る椅子にもこだわりがあり、このクマさんのスツールに似たものに座ります。




でも、焼売を包んだり餃子を包んだりする生産性のあるお手伝いは、彼女の中で『遊び』にカテゴライズされているようです。


さて私は、ネコの時計を買いました。

というのは真っ赤なウソで、作りましたよ。
シッポが振り子のかわりに動きます。

子供部屋に、いかがでしょうか?


朝食中、しげる氏が娘に
「たまちゃん、幸せ?」と聞きましたら、
「幸せ!!」と答える娘。

幸せなんて言葉知っているのかしら、と思い、
「幸せって、なあに?」と娘に聞きましたら、
「楽しいっていうこと」との答え。

子供は大人が思っているより色々分かっているなあと感心します。

フェアである事

娘に対しては、フェアであろうと心がけています。

『子供なんだから理屈じゃなくて、親に従わせる』という人もいますが、私自身は親にフェアに扱われなかった時の根深い恨みを持っているので、娘もそういうタイプかな、と思う事と、私自身がフェアであった方が気持ちが良いのでそうしています。


保育園で、『リサイクル交換会』なるものがあります。
保護者が不要な子供の物を持ち寄ってテーブルに置き、勝手に持って行って良いと言うもの。
もちろん園の先生が全部管理をしてくれて、整然としています。



私もそこではお世話になっています。
(我が子の物の9割は、いとこのおさがりとリサイクル交換会のもの)


で、娘の本やらキツネのリュックやら、もう使わない物を娘に内緒で出しました。



朝、園のリサイクルのテーブルに並ぶ彼女の物の数々。

それを見た娘はショックを受けたようでした。

「あれ、たまちゃんの」とその言葉を発した後は絶句。


「もう赤ちゃんにあげようね」と諭しましたが、

「あれにはクラッカー入れたりするの」とキツネのリュックへ執着。


仕方ない。キツネのリュックだけは取り戻しました。


しかし、他にもペンギンのバッグとか、音の出る本とか、アレとかアレとか。



先生に娘を預けた際も、おいおいと泣き続けて気持ちが不安定になっていた様でした。


これは、フェアじゃなかったかなあと反省しましたが、無ければ無いで彼女が気づかない物だったし。
まあ親子というのはこういうものなのだ。

ごめんよ娘、人生には、こういう事もあるんだ。

使わない物を溜め込める程、家という物は広く出来ていない。



とは思いつつ、今日は早めにお迎えに行ってあげたいなと思います。

体の半分

娘が最近、一番好きな図鑑。


『人間の体の60%は水分である』と書いてあり、
「人間の体の半分は、お水なんだって」と娘に説明した。

「血は赤い水だし、涙も鼻水もしょっぱいお水でしょ」と言うと娘は納得。


二日後、車を運転していると、後部座席の娘に聞かれた。

娘「ねえお母さん、人間の体の半分はお水なんでしょ? 半分は?」

私「うん、半分はお水だよ」

娘「ちがう!半分!」

私「半分はお水だよ」

娘「違うの!!!半分は??!!」


どうやら、半分がお水、では『残りの半分は?』と聞いていたようだ。





なんということだ。

残りの半分は何だろう、と考えるに至る程の知的好奇心が私にはなく、そんな事を娘に聞かれるなんて想像もしておらず、そしてその残りの半分がなんなのか見当もつかない。


『親は子供に育ててもらう』というのはこういう事なのか。



それにしても「残りの半分は?」と聞ける程の国語力がまだ無いのに、「残りの半分は何で出来ているんだろう?」という疑問は浮かぶんだなと、不思議です。

人間は直感的にさまざまな疑問を持てるのですが、それを言語化するかしないか、できるかできないかは別なんですね。
まあ物事に対して疑問を持てるか持てないかは、その人間の知的レベルやその分野への興味によるものなのでしょうが、娘は明らかに私よりも優れているなと日々さまざまな面で尊敬せずにはいられません。

そして道ばたで集めてくる石のセンスはピカイチだなと親ばかは思うのです。

学生時代の授業で、人類の歴史においては『埋葬の文化』と『言語』の、どちらが先に始まったか、という議論があったような気がする(テキトウですみません。私はテキトウな人間です)のですが、当時私は『埋葬派』、子供を育ててみてもやっぱり『埋葬』先にありきだと思いました。

しかし人類が言語を獲得する前の段階と、乳幼児が言語を獲得する前の段階では、後者の場合は言語環境が整った中における、発話の成立前、という状況であるので、そもそも子供を引き合いに出すのも変でしょうか。



さて今朝は、しげる氏と仏師の友人の話をしておりまして、娘に対して
「たまちゃん、大きくなったら仏像を作る人になったらどう?」と聞きましたら、
「イヤ。たまちゃんは大きくなったらフランスになるの」と言われました。

娘は将来、フランスになるようです。


楽しみだな。

かっぱえびせん

「かっぱえびせんは、河童で出来てるからかっぱえびせんっていうの?」

と娘が聞いてきた。

そうだよな。



とりあえず、「河童が好きなエビせんべいだから、かっぱえびせんというんだよ」と応えておいた。

たぶん、私は正しいと思う。




と思って調べたら、カルビーのサイトに答えが出ていた。

こちら



私も間違いであった。

早いお迎え

朝、娘を保育園へ車で送っているとき、車内で娘が

「今日は早いお迎えにして」と言うようになった。


そういう日は早くお迎えに行きたいのだが、行けるとも限らないので言葉を濁しておきます。

とは言っても、お迎えに行くといつも保育園で楽しそうに遊んでいるので、そこまで気にしなくても良いのだとは思います。



子供は小石を集める習性のある生物ですが、娘の集めた小石は本当に美しくて可愛くて、まあよくこんな石を見つけるなあ、と感心します。
子供はすごいぞ。

今日

食事中の娘が、
「食べたこれが、キョウに行くの?」
と聞いてくる。

「今日?」と聞くと、「キョウ」。


何を話しているのかが分からないが、これを解明するのが親の役目、とばかりに私は必死になる。

「それで、ウンチになるの?」

そうか、大きなヒントだ!『腸』のことだ! と分かり、

「腸のこと?」と聞いてやると、「そうだよ!キョウだよ!そのお話して!」。

胃に行って、腸に行って、ウンチになるお話が好きな娘です。

「チョウチョが食べて、チョウに行く」というダジャレまで披露。


しかしどんなに頑張っても「チョウ」が「キョウ」なる娘。

つまりは、可愛いのです。


娘が余りにも可愛くて、毎日保育園へ行かせたくないと思っています。


さて、以前買っていたこちら。

腸に興味を持ち始めたので、昨夜はこれで盛り上がりました。
脳みそは柔らかい、という説明をしていたら、「でもたまちゃんの頭、硬いよ」。

そうだよな。君は正しい。

しかしトイレトレーニング中の娘。布団の上で大洪水が起きてしまった。
キョウは布団を干している。


古いが問題無い

フードプロセッサーが欲しかったのです。


意地汚い私は(生活上手と言って欲しい)何かが欲しいときはとりあえず親類に余っている物が無いか聞き、その後友人で余っていそうな物だったら友人に声をかける。
そして実際、我が家には友人の家から来た物も結構ある。
本当にありがたい。


これは私の実家の、35年程前のフードプロセッサーだが、母が全く使っていないというのでもらって来た。

ナショナルである。



これは今、玄米酵母を培養して、パンを焼く際にイースト菌の替わりに使おうという作戦を実行している所である。

そしてついに、私の魔の手はしげるさんのおばあちゃんにまで及び、今度は味噌を漬ける壺が余っていないかと聞いている始末。(しげる氏の叔母さまを経由して)

それにしてもこのフードプロセッサー、なんとも素敵なデザインである。
このまま目立つように収納したい所だが、我が家の狭い台所ではそれは無理である。
(台所は特別狭い訳ではなく、私の物が多いだけなのかもしれない)


さて私は、麹菌を入手したので、今から玄米で玄米麹を作り、大量の塩麹と醤油麹を作ろうとしている。

菌の師匠が遠くへ引っ越してしまったので、気軽に相談ができずに悲しい。

菌の師匠は、ついに『ニーダー』という、菌を培養するための自家製発酵機を購入したようだ。
私も欲しいが高くて手が出ない。



先日、実家の納戸に娘が入り込み、バドミントンのラケットを持って来た。
「お母さん、これなあに?」と言うので、
「それはラケットだよ。これをポーンって打つの」
と教えましたら、

「飛ぶの?」

何か勘違いしているな。
さては、ロケットとラケットを間違えているな。フフフ


金の塊

グリム童話に『幸せなハンス』という物語があります。

先日娘に読み聞かせました。
(内容はさっぱり理解していないだろうが、絵がきれいなので見入っていた様)


ハンスは、親方の元で7年働き、母親の元へ帰ることになりました。
その際、親方が『金の塊』をくれたのです。

というふうにお話が始まります。





ある日、私が調理していると突然、「お母さん、『きんのかたまり』ってなあに?」と聞いてくる。

ははあ。ハンスの事を思い出したな。

「金っていうのはねえ、お金みたいな物で、重くて、みんなが欲しがる物なんだけど・・・」

説明が難しくてしどろもどろになっていると、

「それは、悪いキン?良いキン?」と聞いてくる。

どうやら、『菌の塊』だと思っていたようだ。



やるなあ。



さて、9月に誕生日を迎える娘。
「9月になったら誕生日来るねえ、もうすぐだねえ」という話をしばしばしていました。

先日の朝、
「ねえお母さん、誕生日って、外から来るの?」

そうだよな・・・誕生日って何処から来るんだ?

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