それはSFではない。

娘は絵本が好きですが、あまり興味を示さなかったのがこれ。


主人公がお風呂に入っていると、湯船の中からカバやペンギン、クジラが現れるというお話。男の子と、動物達のお話です。

娘が好きな絵本は、『人間と人間』、もしくは『人間と擬人化された動物』のコミュニケーションを描いたもののようです。


そして何より、『生活感』とか『日常生活』の、自分の身近な事柄を描いた絵本か、それに加えて『危機』とか『スリル』がある物が好きな様です。
まあ、子供はみんなそんなもんです。


他方こちら。

私が昔大好きだった絵本です。
現在は娘も夢中です。

キツネにそそのかされた女の子が無理矢理キツネの嫁にされそうになり、
結婚式の最中、かまどのススを塗った顔を突然キツネに見せて驚かせ、その隙に逃げて危機一髪と言うお話。セリフが全部東北弁です。


これも言ってみればSFですが、『動物の擬人化』は、現在の娘にとってはSFではなく、現実的なようです。

お風呂から巨大な動物が出て来ることはSFであり、キツネがお話ししてお酒を飲んで騒ぐのは現実的なのです。


前に何かの本で読みましたが、3歳くらいの子供だと顔の付いたロボットを見ても『心がある』と思わない様ですが、一度そのロボットに話をさせるしかけをしてみると、「あ、心があるんだ」と納得するらしいです。

『動物が話す』のは、2歳の娘に取ってはまだまだ現実なんです、きっと。


モノに関する知識は、大人も含め、赤ちゃんにとっても3パターンあります。
・人間の心に関する知識(お母さんが笑っているのは嬉しいからだな)
・生物学的な知識(犬は石や机と違ってご飯を食べる)
・物理学的な知識(カーテンでボールが隠れても、見えなくなっただけで消えた訳ではない)
  (なるほど!赤ちゃん学/玉川大学赤ちゃんラボ 新潮文庫)

そう考えると、まだ全ての知識が柔軟で曖昧な娘にとっては、生物学的な知識「キツネは言葉を話さないけど、人は話す」という定義なんてヒョイと超えられるんだなと思います。うらやましいな。



余談ですが、昨夜は寝る前に、娘が
「海苔のつくだ煮の本読んで!」と騒ぎ始めました。
私は意味が分からず、「海苔のつくだ煮って何よ?」と押し問答。

しげるさんが「ほら、あのキツネのじゃない?」との助け舟。
そうです、これです。

『かまどのスス』が分からない娘に対して、私は
「海苔のつくだ煮を顔中に塗って、キツネをワーッと驚かせたのです」
と読み聞かせていたのだった。

つくだ煮を顔に塗るとかぶれるよ。


すっかり忘れていたのだ。

ちなみに娘の好物は、いくら、海苔のつくだ煮、干し椎茸、出汁を取った昆布、ひじき、わかめ。
私と全く同じです。


広告

文字のない絵本は結構存在します。

その絵本も『読む』なので、絵を見て物語を知ることも『読む』というんですね。


娘はあらゆる絵を「よんで!」とねだって来ます。



こんな感じの新聞に入っていた広告が大好きで、毎朝「読んで!」と言われます。
広告チェックは、毎朝の日課です。

子供は、なんでも遊びにする天才です。



ついでに、『黒酢ニンニク』の広告を見て、「にんにく!」と喜んだ娘。
文字を指差して「に ん に く か ら い」と言って、読んでいる振りをしていました。(先日舐めた生ニンニクの記憶から)


文字を指差して、「あ、字だ!」と言い始めたのは1ヶ月程前だったような。
最近は文字に意味があると認識しはじめたようです。


言語を獲得する人間については、研究者によって「言語理解とはどの程度まで生得的なもので補い、どこからが後天的に学習されて得るものなのか」の議論は尽きない点です。

文字に対しても、なんらかの先天的な認知があるのでしょうかねえ。


擬人化 擬母子化



この本の主人公の迷子の子スズメは、お母さんを探して旅をします。

そしてこの本の影響で、娘はサイズの違う同じ種類の物(例えば小さい石と大きい石)を見ると、すぐに擬人化、擬母子化をさせるようになりました。

小さい方を娘が持って切ない顔で「おかあさ〜ん」と言い、私に大きい方を持たせて「ぼうや〜」と言わせる。




スプーンならかわいい。




牛乳パックもかわいかった。


















人参もかわいい。






でも、娘の小粒ウンチと大きなウンチを擬人化したのは、かなり刺激的でした。








保育園

先日の朝は、玄関で「さあ保育園行こうね」と娘に伝えると
「たまちゃんも、ととのコウバ行く!おうち帰る!!」と泣きそうな顔で訴えてくるので、かなり辛かったのです。

もう1年半も保育園に預けているのに、娘もまだ朝にごねるし、私もまだ辛い。


朝、スムーズに先生のところへ行く事もありますが、大体は大泣きします。

クラスには15人くらい同学年の子がいますが、朝に泣くのは娘と、もう1人の男の子。

保育園に行けば行ったでとても楽しいようなのですが、朝は辛いみたいです。


いやほんと、泣き叫ばれると親も辛いんです。





しかし、保育園に子を預ける親の一番の山場は夕方からです。


娘を迎えに行ってその足で食材を買って、帰ってから娘の面倒を見ながらご飯の支度するという、その流れが、たぶん一日の中で一番大変でストレスのある時間です。

わが娘は、スーパーではカートに乗らない。必ず歩く。商品を触ろうとする、なぜか犬用品のチェックを長時間し「わんわんのオムツ!」「ワンワンのウィンナー!」「ワンワンのお尻ふき!」と確認する。

会計時は走り回る、どこかへ行く。
そして駐車場までの道のりにある階段をのぼったりおりたり。
広場のスロープで走り回り(先日は裸足になって!!)、駐車場にある鉄の棒で遊び始めてしがみついて離れない。

ここまでで約1時間。



無理にでも引きずって連れて帰ればいいではないか。

と思ったら大間違い。

チャイルドシートに乗せようと思ってもマルマル太った体で全力で抵抗されると大変で、
乗せたところで機嫌を損ねて家までのドライブで絶叫系。

さて家の前にクルマを停めて帰ろうとすると、「たまちゃん、運転する!」と言って運転席に陣取ってハンドルを触って遊ぶ事15分。


こちらのペースに合わせて娘を無理矢理家に連れて帰れば、調理中に泣き叫ばれ続けるので大変です。

「泣き叫んでも放っておけばいいのよ」と割り切ればいいのでしょうが、
9時間保育園で頑張った子供の言う事を少しでも聞いてやりたいなとか、
一緒にお料理して和やかに時間を過ごしたいなとか、そういう事を思うので、
ある程度娘の歩調に合わせて調理に誘導し、大体毎日晩ご飯を一緒に作っています。

それでお風呂に入れてご飯を食べさせて歯を磨いて本を読んで寝かすまでが、親の仕事です。


とだけ書くと、私っていい母親だわあ・・・・と思うのですが、やはりイライラしたりウンザリしたり、しょっちゅう「ああ、間違った」と思う事ばかりです。


いやしかし、私が2歳の頃は年がら年中大好きな母親にベッタリだった事を考えると、娘は生後半年から保育園に通い続けているので、一番偉いのは娘だな、と自分に言い聞かせます。
言い聞かせるんですけどね、なかなか上手く立ち回れないんですよね。

家で仕事をしていると、融通が利く分ラクな面がありますが、その分融通が利いてしまうので忙しいと土日に仕事をしたり、夜に仕事をしたりします。
であるから、結局隣の芝は青く見えます。
最近は私も仕事のペースが少しつかめて来て、夜の仕事はあまりしていません。


お掃除を、共働きの場合は土日にすると思います。
しかし、私の場合はほぼ丸一日家にいて、しかもホコリの立つミシンをかけ続けているので、家の汚れ方が尋常じゃない。
しかも土日に実家へ仕事を持って帰る事もあったりして、そうなると土日も掃除ができず、家が大変汚くなります。


ちなみにしげるさんは土日も関係なく仕事に行きますが、晩ご飯はほぼ毎日三人で食べられるのでありがたいなと思います。
いつも夕飯時に音楽をかけていますが、先日はバタバタして無音でした。
すると娘が「音楽きこうゼ!!」と言い出し、ジャズをかけてやると踊り出しました。
小さな子供がいると余裕が無くなりますが、面白い事は山の様です。

私の友人が、「私のお父さんが自営業で、晩ご飯はいつも家族一緒だったから、家族とはそう言う物だと言う感覚が強いのだけど、同棲中の婚約者の帰りが毎日終電だからイライラしちゃう」と言っていました。



本に絵を描いてはいけません

私の幼少期の頃の絵本を、娘のために実家から10冊程度持って来ています。



実家の父が記録魔なため、絵本の最後のページに

「88年 岩波ブックセンター あゆ子にまとめて5冊購入したうちの1冊。今日全部読んでやる」

等の書き込みが。




なんと言う事でしょう。
娘がその絵本の書き込みに気付き、「あ!字が書いてある!!」と怒っていた。


そうです。娘には「本にカキカキしたらダメ!!」と教育しています。

これでは教育上、矛盾がっっっ!!!




さて先日は娘が庭でほうきで遊んでいたので、私も座って本を読んでいました。

私は重要な箇所に線を引きたい性分なので、蛍光ペンを握っていた。
本に線を引いた。

娘に見られた。





怒られた。

娘は、正しい。

とこ

娘が、少し重いアンパンマンカーを持ち上げる際、

「よっこいしょ」

と言っていた。


ああ、私のまねだ・・・




娘は『を』の使い方のみ、間違って使っています。

例えば背の高い椅子に自分を乗せて欲しいとき、
「たまちゃん『に』乗せて!」とねだります。

そして、『ところ』を略して『とこ』と言いますが、(わたしのとこ、お母さんのとこ)
娘はその『とこ』が『こと』になります。

「ととのこと 行こうっと!」と言ってしげるさんの所へ行きます。



ついでに、語尾に『もん』を付ける事にはまっている娘。

虫さされにムヒを私が付けようとすると、

「やめて!痛いからモン!」と言われました。

ついに娘がグレた

娘が、ついにグレました。




私が歯を磨いていたところ、いそいそと寝室から走って来た娘。





お気に入りの子供用サングラスをかけています。









何を言い出すのかと思えば・・・・


確かに「たばこ」と言っています。

一体何が起こったのか分かりません。

グレた?




しばし考えたあと、分かりました。
犯人は、これでした。

黒いメガネのおじさんが「たばこ!」と怒鳴るシーン。

はい、これは『はじめてのおつかい』。

林明子を読んでグレた子供は、なかなかいないでしょう。

ああ、そういえば、昨日タバコを吸っている人を見て、
「あれなに?」と聞かれて
「タバコだよ」と説明をしたのであった。

もん の逆襲

語尾に『もん』を付けるのに凝っている娘。


ついに出ました。

「ねえ、バターちょうだいモン!」




2ヶ月前、『です』と『ゼ』を付けるのに凝っていた時代は
「あっち行こうゼです!」と言っていました。

影響

先日の話。


「今日は電車に乗っておばあちゃんちに行くよ!」と娘に言いましたら、

「こんとあき みたいねえ!!」と喜ぶ娘。



そうだね。こんとあきも電車でおばあちゃんの家へ行くお話だね。


そして電車に乗る前に、「お菓子買って行こうか!?」と娘に言うと、とても喜ぶ。

娘はお店でボーロを選びました。

150円を握らせましたら、

「お金もって、走るの!それで転ぶの!」

と言って、レジまでの2mを全力疾走。
転ばなくて良かった。

これは はじめてのおつかい の影響。



そして最近、娘の中では語尾に『もん』を付けるのが流行っているようだ。

「牛乳のむもん!」「お風呂入るもん!」「飛行機、乗ったもん!」
「一緒にゴミ捨てるもん!」「卵割るもん!」

これは明らかに、はっぱのおうち の最終ページ「おかあさんがまってるもん!」のセリフに影響を受けている。


「もん」の前は「です」、その前は「ゼ」を語尾に付けるのにはまっていました。



文章を書いたのは林さんでない物もありますが、とはいえやはり林さんの影響力です。

林明子は本当に天才だなあと娘を見ていて日々思います。
顕著に影響が出ているのは、林さんの本ばかりです。


そしてなんということでしょう。
来月に、福音館の元編集長の講演会に行く事になりました。ふっふっふ。
楽しみだ。

詩人

先日の十五夜、娘と夜空を見上げてお月様を探していました。


曇っていて満月は見えず。うっすら明るい方を指差して、

「お月様、見えないねえ。ほら、あそこ。雲の中に隠れてるねえ」

と私が言いました。


すると娘が

「おつきさま、くものなかで ねんねしてるのかなあ」

ですって。


ですって!!!!!!

なんて可愛いのだ。

なんてかわいいの だ!!





ああ、私は仕事が終わりません。

そうして私は、仕事と娘を担いでまた実家へ行くのです。
あーめん そーめん みそらーめん



ついでに、先日ペットショップでスッポンを娘と見ました。

時々そのスッポンの話になるのですが、先日の朝のこと。

娘「かめさん、まだねんねしてるかなあ」

私「そうだねえ、まだネンネしてるかもね。あの亀さんはお水の中でネンネするんだよ」

娘「・・・おふとん、ないの?」

ですって。

ですって!!!

なんて可愛いのだ。

なんてかわいいの だ!!


余程、亀が布団で寝ない事が衝撃的だったらしく、その日以来度々
「かめさんおふとんない。おみずのなかでねんね」と呟いています。


かわいいなあ。かわいいなあ。


でもすごいんです。私の娘。
私が朝にトイレに行くだけで泣いて付いてくるんです。
かれこれもう、1年は続いています。
『子供の後追いとは、母親が見えなくなると消えてしまうと勘違いしているから。視界から消えても母親はそこに存在する、という事が理解できれば後追いは無くなります』
と読んだ事があるけど、それはわが娘には適応されない。




そういえば、昨日は車の中で「ママ、アンパンとメロンパン、どっちがいい?」と聞かれました。
初めてです、その場にない物を選択せよとせまったのは。

それはつまり、娘は「他人(母親)とは、自分(娘)の知るところのない『意思』を持つ生き物である」ということを理解していると言っていいのでしょうかね。
でもその質問は形式的な単なる言葉遊びだけのような気もする。


トルストイで人生を学ぶ2歳児

娘は、人生で初めて「世の中には悪いクマがいる」ことを学びました。

娘の持っていたクマの絵本と言えば、勤勉なクマを描いたこのシリーズ。


従って、「くま=優しい」と思っていた様です。





しかし、先日より読み始めたこの本。
クマは怖く描かれます。怒って少女を追いかけ回すのです。
(絵も文章も本当に素敵です。トルストイの再話。福音館から1962年発行、この本は2001年のものですが、76刷目です)


娘はショックを受けた様でした。
クマさんが怖いのです。


そして、我が家のクマ五郎が被害を受けました。

ずっと娘と仲良ししていたこのクマ五郎に対して、警戒心を持ち始めたのです。
「このクマ、優しい?」と聞いて来ます。

そうだよな。



しかし、このクマ五郎はおんとし30歳。
私の幼少期に父が出張先で買って来たもの。
もう、人生に疲れ果てたような雰囲気です。


その父が今度はドイツへ行って来たのですが、孫娘2人にはクマを買って来ました。
私の娘には男の子のクマ。いとこには女の子のクマを買って来た様です。



そして娘の中では、この2匹のクマは親子のようです。



クマ五郎、あんたもついに親になったのね。
お互い大変ね。

今夜、一杯どう?おごるわよ。

お互い子供を寝かせてからね。
30年、積もる話もあるわよね。



ぼく

お人形遊びで、娘の役割はクマでした。

そして一人称を「ボク」で演じていました。


なんて可愛いのだ。

なんて かわいいの だ。







なんでもかんでも『ごっこ遊び』にする娘。

先日は、自分の手を虫の子供に見立て、私の手には虫のお母さんの役割を振ります。


娘「おかあさーん、どこにいるのー?」
私「ぼうや〜、会いたかった!」
娘「おうちに帰ろう!」

娘は、私の手の甲に自分の手を乗せて、オンブしている見立て。

娘「早く、おうちに入って!蚊が入る!!」


主人公もお母さんも虫なので、家に蚊が入っても問題ないよ。
いつも私に言われている言葉を、そのまま覚えています。


ちなみに、一連のごっこ遊びは絵本『こすずめのぼうけん』の影響を受けています。







さて絵本の影響は悪い事もあるようで、昨日、保育園の帰りに寄ったスーパーの入り口に、犬がつながれて飼い主を待っていました。

娘「たまちゃん 1人で犬見る。ママ買い物行って」
と私を店内へ押し込む。


二人でスーパーにいると

私「トマト缶が無いなあ」
娘「たまちゃん1人でトマト缶探す。ままあっち行って」

ぜんぶこの本の影響です。



それは鍋です。

昨日は、服を脱ぐ脱ぐと騒ぐので脱がせると、おままごと用の鍋の上に立ち

「ふろ ふろ」と呟いていました。


ヨダレがすごいのでヨダレカケはしています。
せっかくなのでオモチャのサングラスも着用させました。



私は今、仕事で大変忙しいのですが、そういう時に限ってパソコンをつけてしまいました。
ふふふふふ

こどもとファッション



先月、目黒の庭園美術館へ行きました。



とても充実した展示で、行って良かったなあと思いました。
誘ってくれた友人に感謝しています。



村山知義という画家というかデザイナーというか、よく私は知らないのですが、彼の子供のファッションイラストも展示されていました。(生きていたら116歳。1977年に亡くなっています)

5、6年程前に北海道立美術館(祖母の家から徒歩5分のため、時々行くのです)で見た展示で、村山知義の絵本『なくなった あかいようふく』の原画が飾ってあり、素敵だなあと思って買っていたこの絵本。

娘にちょっと読んだら好きだった様で、2軍ではありますが5日に一度程度「読んで」と持って来ます。
ちなみに本日、寝る前はこの『なくなった あかいようふく』を1回読み、




この本(しげるさんのご実家からお借りしました)を2回読み、
(この本はほぼ毎日読んでいます)



この本を2回読み(これは今年の春に葉山のカスパールという素敵な本屋さんで購入)



この本を一度読みました(娘へのプレゼントで頂きました。うふふ)
この本の絵は、私が小学生の頃夢中になったコロボックルシリーズの挿絵だ!
と感動。
これ、娘が年長さんになったら読み聞かせようと計画中。




そして、この本(実家にありました)を3回読みました。


ちなみにこの『もうおおきいの』のこのシーンのせいで、

「1人で寝る。ままあっちの部屋行って!!」と言われました。

絵本を好きになって欲しかったけど、親は疲れるという事がわかりました。











ついでに違う日ですが


これも行って来ました。


帰り、行列のできているラーメン屋さんがあり、なんとなく並んでみました。
20分ほど待ちました。

量が多すぎるのと、そもそも一口目から全く美味しくありませんでした。
一緒に食べた友人も同じ意見でした。


でも、行列は無くなりません。

人の好みって、本当に人それぞれなんだなあと思いました。




ついでに、写真家の石内都がフリーダカーロの遺品を撮った展覧会が、先日までやっていたと知りました。
私は、全く知りませんでした。
本当に、情報に疎くなりました。
くやしい。
しかしイメージフォーラムで、石内さんのフリーダ遺品撮影のドキュメントが上映されるらしい。それには行きたいが、子どもがいるので無理かなあと思います。


先日は、1年ぶりくらいにコンタクトレンズをしました。
いつもメガネをかけて鏡を見ますので、『自分のメガネ着用時の顔』しか知りません。
メガネを外して鏡を見ても、酷い近視と乱視のため鏡から15センチも離れると、自分の顔が見えません。

したがって、ハッキリと自分の顔の全体像を見たのが、1年ぶりなのです。

自分の顔が、段々フリーダカーロに似て来たなと思いました。

こんな感じ。
最近、私の顔は頬がこけて来て顔がゴツゴツしてきました。


20代の頃は、丸い顔がコンプレックスでしたが、年上の女性に「それが若々しくて良い」と言われていました。
本当だ。やはり年上の言う事は正しい。



ディエゴリベラにならなければ良いかな。




シナプスがすごいことになっている

先日の朝、汗だくだった娘を一度シャワーに入れました。
オムツを履きたくないと逃げるので、もういいやと思って布団の上で遊ばせていました。
でもちょっと待てよ・・・お布団におしっこ・・・・?

と思い「おしっこはトイレでしてね、トイレ行かないならオムツしなさい!!」と私がおむつをもって追いかけ回すと、
「オシッコさっきした!!」と怒られました。

『オシッコさっきした だから 今はオシッコ出ない だから オシッコお布団にはしない だから おむつはかなくていい』という論理構造をしっかり理解してかつ的確に言語化できて、ビックリ。

まあ、オムツなんて物、しないでいた方が気持ち良いに決まっています。
でもこの前は、絵本の上にオシッコしました。


先週は絵本に出て来た言葉「さみしい・・・」と言うのがブームだったらしく、「たまちゃん、さみしい」とよく言っていましたが、『さびしい』の意味は理解していません。

「たまちゃん、さびしい。クラッカーたべたい」とか言います。

その他、娘がイヤイヤ期でパニックを起こし、泣きわめいていたので、
「ねえ、落ち着いて。ちょっとお母さんのお話聞いて」と私が言いましたら突然静かになって、
「おきくいて?(おちついて)」と言います。
『落ち着く』という単語に興味を持った様です。


『子供は1歳半を過ぎた当たりから、大体1日7語ずつ増えて行く』という研究結果があるらしいです。(発話出来るかどうかは別の話で)




大学受験の英語のために覚える必要がある単語が3000語とか5000語とか言いますが、
さて現在の娘の単語数はどのくらいなのか。

1歳半の時点ではとりあえず数えましたが、もう数える気力がありません。


娘は、計算機の事を「リモコン」と言います。
リモコンのことも「リモコン」と言います。
四角くて、押せるボタンが沢山ついた物を「リモコン」と言いますが、
リモコンが『リモートコントローラー』であるという事は理解していません。
(実家のテレビを、リモコンで付けたり消したりはしますが。我が家にテレビは無いので)
そして「リモコン」という名の計算機を耳に当てて「もしもし〜」と言います。

これではリモコンを『理解している単語』に加えて良いのだろうか。
機能のある物の名前って難しい。
とか考えていたら分からなくなって来ます。
私にとっての『発光ダイオード』みたいな物かしら・・・



記憶

一番古い記憶を辿ってみても、多くの人間は3歳が限度です。

まず前提として、人間が長期記憶を出来るようになるのは、お話の起承転結が語れるようになってから、らしいです。つまり
「エピソードや出来事を記憶できるようになるのは言語能力の発達に深い関係があり」「体験した出来事を『おはなし』として筋道を立てて話せるようにならないと記憶できません」。
(正高信男『0歳からの子育ての技術』PHP文庫。正高氏は、京大の霊長類研究所の先生です)

そうかそうか。最近娘が何か出来事のお話をする時に「この子のこの『長い話を語れる能力』と『長い話を認識できる能力』は、どちらが先に備わっていたんだろう」と考えていましたが、どうやら『同時』みたいですね。
長い話と言っても、2文または3文ですが。


私は学生時代に課題で『何歳からの記憶がありますか』の調査をしたことがあります。
(その授業の主題は人間の記憶はどのようなプロセスで行われるのか、というような内容です)

多くの人は4歳、ときどき古くて3歳。

私の通っていた大学は帰国子女が多かったのですが、引っ越しや海外生活があった人間は、古い記憶を持っている事が多かったです。

どうやら子供の感覚としては、場所を移動して環境が変わることが脳に深く焼き付くらしいという事も分かりました。そりゃあそうだよな。




さて娘は、まだまだお話を起承転結で語れません。

なのでいつか起承転結が話せるようになったら、その時期を私は記録しておかねば。




教育ママという言葉がありますが、教育ママのタイプを分けると大体

①世間体を(勝手に)気にするから
②自分が深くコンプレックスを持つ物に対して、子供を使って復讐したいから
③『少しでも偏差値が高くある事』が、子供の幸福に最も重大に関わると思うから

の三つかなあ、と思いました。

私の場合は、②の理由から、娘に読書家になって欲しいという思いがあるようです。

私は『読書は素晴らしい事と思うけれど、自分が本の虫ではない事』にコンプレックスがあります。
子育てを通して自分の弱さが見えて来ます。


しかしとりあえず私の負の感情②も、絵本大好きな娘にとって楽しいようでプラスに働いているので、今の所セーフ。
子育てとは、一歩間違えば恐ろしい。
特に私は『ぽわ〜ん』としていないので、母親としては・・・・
色々出しゃばらないように気をつけねばと思います。





人の認知の仕方には、さまざまあります。
目や耳から入った情報の処理は、どう行うのかが人によって違いまして、それを認知特性と言います。

人の認知特性には大きく分けると
①聴覚優位者(耳から入った情報が処理し易い)
②視覚優位者(目から入った情報を写真のように記憶する)
③言語優位者(文章などを頭で映像化して情報を処理する)
の3つがあります。

この特性のどれに属するかが分かれば、それぞれの子供に適した学習法が分かる、という記事が先日の朝日新聞に載っていました。


私は明らかに③言語優位だと思います。
小中高と私はお勉強をせずに過ごし、成績が下の中から中の下をさまよっていました。
もし私が聴覚優位者であったら、授業を聞くだけで内容が頭に入って、もっと成績が良かったんだろうなーと今更考えています。(実際はわかりませんが。フフフ)

言語優位者の特性なのか、例えば私は読んだ小説を後日振り返ると「あれは映画で観たんだっけな?」と分からなくなったりということが、よくあります。小説を頭の中で映像化して記憶しているため、映画で観たのか本で読んだのか混同するのです。


さて、私の娘も、③言語優位ではないかなあと最近思っています。
子供のイマジネーションはすごい。
頭の中にはどんな映像が流れているんだろうなあ〜とワクワクします。


さて私は今、ワンピースを24枚作るお仕事をいましています。
最初の一枚をまず作り、それを会社に送ります。会社でチェックして、良ければgoサインが出ます。
その最初の一枚を『先上げ』と言います。
先上げを作った様子で、今回の洋服の大変度合いが大体わかります。
今日は朝から先上げを作って、早い時間にできたので発送。
今回は、綿100%という超縫い易い素材(は じ め て !)で、やはり超縫い易い。
ああ、今回は納期に追われたくない。

といいながらこんな風にパソコンを叩いているので、ダメですね。


CDを知らない子供

私は『レコードを知らない世代』です。

「え〜レコード知らないの?」と言われる世代です。

私は高校生の頃にレコードプレイヤーを中古で買い、聴いていたのでレコードを知っています。

カセットは、小学生の頃までは流行っていました。


初めて買ってもらったカセットテープは、「となりのトトロ」のサントラです。

小学生の頃はレンタルCDで中島みゆきを借りて、字の上手な一番上の兄に頼んで、カセットにダビングをしてもらって、曲名を書いてもらっていました。


つい先日まで、そのカセットを聴いていましたが、ついにカセットプレイヤーも寿命がきました。



娘はついに『CDを知らない世代』になってしまいました。

でも昨夜、私のCDラックからCDを何枚も出して遊ぶという、危険な遊びを始めました。
娘はどうやらボブマーリーが好きな様です。

「やめて〜」というと「たまちゃん、CDで遊んでるの!」と怒られました。
娘は、CDを知っているのだ。
よし、レコードも教えよう。

娘が「か〜もめ〜か〜もめ〜」と『カモメの水兵さん』という童謡を歌うのですが、
どう聴いても浅川マキにしか聞こえない、としげるさんと話しています。
胎教がこんなところで?



先日、娘と近所を歩いていたら、とあるおうちのお庭の池に、亀の子タワシが沢山落ちていました。


ようく見ると、栗でした。

もう本当に秋です。



娘は、水いぼにかかりました。



にんじん

娘の誕生日だったので

「晩ご飯、何食べたい?」と娘に聞きました。

娘は「にんじん!!」と答えました。

なんて良い子なんだろうか・・・




とりあえず人参たっぷりドライカレーになりました。



保育園の帰り、娘と一緒に82円の切手シートを買いに行きました。





これ。林明子さんの切手シート。
出ているのは知っていましたが、今までは娘がこんなに林作品に夢中になっておらず、
私もあまり関心が向いていませんでしたが、昨日一目見て、これに決めました。


娘に見せると
「持ちたい!」というので持たせました。
すると
「うわぁ、うわぁ!ととに見せる!(とと=お父さん)」
と言います。

そして私に、
「とと、びっくりするかなあ?」と聞いて来ました。
『びっくり』ですと?なんですと?

2歳の誕生日に、初めて出た単語は『びっくり』でした。




夜に寝るとき、お布団の中でいつものように絵本を読んでいました。
すると娘がひとこと

「はじめてのおつかい ほしい・・・・」


っげ。

はじめてのおつかいって、

この本のことだよね。そうだよね。あなたは毎日この本の話ばかりしているもんね。

『その場に無いものを改まって欲しがる』のは初めてです。
すごいな、林さんの力。

何を隠そう。すでに買ってあるのです。



娘には、あまり物を買い与えない教育方針のはずですが、絵本だけは財布のヒモが緩くなります。
近所に図書館が全く無いので、結構辛いですね。

現在娘は、ママゴト遊びと絵本にしか興味が無い様です。


前に読んだ本で「オモチャを与えれば子供が1人で遊ぶと思うのは間違い。オモチャとは、それを通して人(親も含め)とコミュニケーションを取るもの。そしてオモチャはシンプルであるべき」とありました。

痛い所を突かれました。
『一人遊びをしてくれるオモチャ』を私は探しているのです。
でもそんなもの、無いのかもしれません。





子どもを本好きに育てたい

子供に、本が好きな子になって欲しいと思います。


私は本読書家ではありませんので、興味のある事柄があればそれに関する本を読む程度です。
小説は、最近はほとんど読みません。
漫画は好きです。


私の学生時代は、父親が『本至上主義者』だったため「本を読まないと父親に捨てられる」という恐怖心から本を読んでいました。


しかし自分の娘には、本好きの読書家になってもらいたいのです。

現在の娘は絵本への執着心が凄まじく、寝る前はもちろん、ごはん中も読めよと無理難題。
今朝は明け方4時にふと目を覚まし「絵本読んで!」と言い(癖になるので無視)、朝起きるとその瞬間から絵本攻撃が始まります。

最近はぬいぐるみを観客に、娘が本を読んでやるのが楽しいようで、

内容もバッチリ記憶しているこの本を読んでくれます。
・・・・か かわいいんだな、これが。本当に。




しかし、幼少期に本好きだからと言って将来はわからない。
どうすればいいのかなあ、と考えます。

友人Yは、小学生の頃から母親に読書と読書感想文の課題を出されていたそうです。
しかしYは、本を私よりも読まない大人になりました。

どうすればいいのかなあ。




『子供の頃に絵本の楽しさを教え、親は親で大人の本を楽しそうに習慣的に読んでいる姿を見せる』
というのしかないのかなあ、と思います。





そもそも、『子供に本を読む人間になって欲しい』と思う親の気持ちは何故生まれるのかと考えると、
・教養のある人になれるのではないかという期待
・学力増進につながるのではないかという期待
・というか、単に本を読む事は良い事だ

の三つでしょうか。
一定以上の読書量があれば、勉強をした場合の偏差値の伸びしろも確実に大きくなると思うので、読書が学力増進に繋がるというのは間違っていないと思います。




もし私が本好きであれば、
・本の楽しさを知って、人生をより楽しいものにしてほしい
と思うのでしょう。フフフフフ

そう言ってみたいものですね。ウフフフ



でもそんな私も「温泉宿に1ヶ月閉じ込められる刑」に処されたら、バルザック全集と編み物を持って行きますよ。フフフフ
せっかくだしね。ウフ

絵本

林明子さんは、絵本作家です。
私も幼少期、親に買い与えられた林さんの絵本をたくさん持っていました。
大好きでした。

そして今、娘は林明子の絵本に夢中です。


『はじめてのおつかい』は我が家にはありませんが、先週従姉のお宅にお邪魔した際、娘が興味を持ったので借りて読んであげました。


そして昨日、本屋へ一緒に出かけたら置いてあり、ふたりで立ち読み(立ち読み聞かせ?)をしました。
(買っていません。買うか悩み中)

そして夕方のこと。
娘と洗濯物を取り込むのに、庭に出ていました。
すると突然
「たまちゃん、ひとりでお買い物行ってくるわ(たあたん、いといでおかいい いってくうわ)」
と言い出します。

いやいや、まだ無理ですよ。



そして夜、布団で寝かせようとしていたら
「たまちゃん、お金もって 走って走って ドーンして ころんで けがしたの」
と絵本の話を始める!



そしてもう一冊。

私の幼少期のものが、実家にあったので持って来ました。

で、この本の中でキツネのコンが、お弁当を持ったままシッポを電車のドアに挟まれてしまいます。


こんなふうに。


すると最近娘は、何かにつけて色々な物を挟むようになりました。
先日は、新聞に足を挟み、
「たまちゃんの あし はさまっちゃっちゃよう〜 え〜んえ〜ん」
と嘘泣きをしていました。




























その次は冷蔵庫で。

林さんはすごいなあと、娘を見ていて思いました。
この歳で本に感化されるとは・・・・


このほかにも「いってらっしゃい いってきます」やら色々楽しんでいます。

私は読み聞かせる際に、お話の主人公が子どもの場合は、名前を娘の名前に置き換えます。
そして娘はまだ小さいので、絵本の文章をそのまま読むと難しいので、全部言葉を替えて読み聞かせています。

言葉を替えずにそのまま読める絵本は、以下三冊でした。





















































私は高校2年の時に「高校を卒業したら一年間バイトして貯金して、そのまま海外へ行って日本には戻らない」と真剣に計画を立てていました。

しかし個人面談があり「そんな事言ったら担任の先生に文句を言われるかなあ」と考えて、とりあえず「夢を語ればいいかな」と思い、なりたいと思った事は無いのに、絵本が好きだったので「絵本作家になりたいです」とテキトウにウソを付いた事があります。

でも「絵本作家になるにも大学へ行った方がいいぞ」と言われました。

来世で才能があったら絵本作家になりたいです。

心の理論 そして・・・・

本日、しげる氏と娘と三人で歩いていました。

娘は「とと見て!電車!」と電車を指差して、しげるさんに必死に言っておりました。
(とと=お父さん)

これは、『お父さんは電車がある事を知らない、という事を娘は知っている』
状態なのでしょうか。


などと考え始めましたが、


とりあえず、プリンを作りました。


というのは真っ赤なウソです。


これは『たまご豆腐』です。
プリン型で作りました。

スポッと皿に移せるかが勝負です。


娘は、たまご豆腐が大好きなのです。

たまご豆腐をいつも買っていましたが、作れるなら作りたいのが親心。

心の理論

①電話がきた時に娘を電話口に出すと
「ごはん たべてるの」
「しゃぼんだま してるの」
「おちゃ してるの」
などその時の自分の状況を説明するようになりました。



②保育園の話をしてくれるようになりました。

「保育園、どうだった?」と私が聞くと
「泡が顔にいっぱいついたの」との説明。

「赤ちゃん、こっちにおいで〜」と私がからかうと、
「たまちゃんお姉ちゃん。はま先生が言ったの」との説明。

娘に牛乳の入ったカップを手渡そうとすると
「手、はなすよ、手、はなすよ〜 って先生が言うの」
とよくはわからないが、たぶん保育園での給食中の一幕。


これはすごい事ではないかと思っているのです。

「あなたが知らないと言う事を、私は知っている」と言う状態です。
つまり
「お母さんが知らないと言う事を、娘は知っている」ので、説明する。





いやしかし、①に関しては私が電話で「あ、今ごはん食べてるよ」などの対応を娘が見ていて「電話の際は、その時にしていた事を報告する」と学習した結果かもしれない。
(その可能性はあまり無いような気はするのですが・・・・)

②に関しては、「お母さんが知らないから説明する」わけではないかも。
娘が私と一緒にいた時に起きた話を、再びふたりで話したい時にも、娘は
「さっきね、亀にシッポあったの」と話し出したりする。
なのでそれと同じ感覚で、単に保育園での出来事を私に話をするのかも。

という疑問は残りますが、まあそれはさておき。




『心の理論』というのは、他人の心を推測する心の機能のことです。
その心の理論において、幾つかのパターンの課題がありまして、
その課題をクリアできていれば『心の理論を持つ』といえます。

中でも一番有名なのが、『サリーアンテスト』というもの。
①サリーとアンがいます。
②サリーはビスケットをカゴに入れます。
③サリーはカゴを残し、その場を去ります。
④アンは、ビスケットをカゴから取り出し、別の箱に入れます。
⑤サリーが帰って来ました。
⑥さて、サリーはビスケットがどこに入っていると思うでしょうか。

このテストの場合、『サリーはビスケットが箱へ移動した事を知らない、ということをアンは知っている』と判断できるかが問題です。
これは4、5歳になると徐々にクリアできるようです。
つまり、他者の心の動きを推測できるかどうかのテストです。
自閉症の傾向としてそれが分からなかったり、子どもの認知の程度を測る上で分かり易いテストです。


さて私の娘の話に戻しますが、娘の『お母さんが知らないと言う事を、私(娘)は知っている』状態は、『知っている人間』が娘本人であるから、サリーアンテストの前段階のお話ですが、娘のコミュニケーション能力も育ったなあ、と母としては感心しているのです。

(サリーアンテストなんてやっても、2歳前の娘だと質問の意図も分からないでしょう)



しかし、一つ疑問が。
例えば、おはじきを右手に握り、左手も空で握って「どっちだ?」とやるゲームがあります。
娘はそれを出題するのが好きで、小さいオモチャをいつもどちらかの手に握って「どっちだ?」と聞いています。
しかし、彼女はそのゲームのルール『どちらに入っているか当てる』という事を全く理解していません。

私が「こっち!」と指差して、それが当たっても外れても娘の反応は一緒。
ゲームの当たり外れを楽しむ程度の知能が育っていないだけなのか、
『オモチャがどっちの手に入っているのか、相手は知らない』と言う事を、そもそも理解していないのか、どっちかなあ。
どっちもかなあ。




私の知りたい事は、現段階で娘は「あなたが知らないと言う事を、私は知っている」状態にあるのかどうかです。
それを知った所で何の意味も無いのですが、私なんて何の意味も無い事ばかり考えて生きているので、それでいいのです。

テストする方法、ないかなあ〜

つまり、おはじきのゲームのようなもので、ルールがもっと簡単であればいいのか。
何か探そう。
しかし、探している間にドンドン娘の知能は発達してしまう。
子どもってすごい。

ばぼぼぼ

娘が、『シャボン玉』の事を「ばぼぼぼ」と発音します。

なので私は先日、娘に対して

「ねえ、『ばぼぼぼ』やろうか?」

と問いかけました。

「やる!!」と張り切ってシャボン玉を持って来ました。


通じるんだ・・・




とうもろこしは、「こーこきー」。
バナナは、「まなまな」。
卵どうふは、「かーかこくー」。

娘の言葉は難しいです。


今朝は娘に「ねえ あなたぁ」とはっきりとした発音で話しかけられました。

母系社会の少数民族モソ人

モソ人だ!