神楽坂路地裏temameのねこ展

6/29~7/10

『神楽坂路地裏temameのねこ展』に出品します。

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ブローチと、キーホルダーが遊びに行っています。

うふふふふふ


なんか変

「なんか変」というのが、私の口癖だったようです。
娘が、いつの間にか覚えました。
そして使用法もバッチリ。

娘が、何か違和感のある時に(例えば、おもちゃメガネをズレた状態で着用した際など)

「なんか えん!(なんか へん)」と言うようになったのです。


その微妙なニュアンスの言葉を使いこなすなんてすごい。
人間のコミュニケーション能力って、二歳になる前には基本的に出来上がっているんだな、
とつくづく思いました。
もう、ちゃんとした小さな人間です。



数の概念

娘の数の概念は、たぶん『2』まではあります。

先週より、同じ2つの物があると 「にこ(2個)」と言うようになりました。

「いっこ(1個)」については、二ヶ月ほど前から『もう一個』『もう一回』など、
お菓子や遊びについてねだる時に使用はしていました。


さて、先日の事。

娘は、両手に沢山の色鉛筆を握りしめ「にこ!」と嬉しそうにしています。


それって、詐欺だよね。




ちなみに、『無い』に関しては、1歳児ながらに色々と思う所があるようです。

何か、欲しい物が見当たらない時に「ない!ない!」と言うのは結構前からのことですが、
最近はごはん中、好きな食べ物を全部食べたあとに、『お皿の上の食べ物が無くなった事』が不思議でならないようでした。

「もぐもぐゴックンしたら、シューっとノドを通ってお腹に入るんだよ」

とジェスチャー交えて説明した日から、お皿が空っぽになるたびに、

「にんじん ない ぽんぽん なか」と教えてくれるようになりました。

『物の存在』に興味を持つなんて。
人間って二年生きるだけで、すごい知能の発達だ。と感心しました。

その想像力が羨ましい

娘は、段差でジャンプして遊ぶのが大好きです。

先日娘が、テーブルに載っている『小さな何か』を指差して、

「かいだん!バンプ!(階段 ジャンプ)」

と言いました。









よおく見てみました。








つまりこういうことでした。


子育てって難しいよね



娘がコップに入った麦茶を、わざとこぼしました。

私が大きな声で叱り飛ばしたとたん、



娘は両手で目を覆い、しかし真顔で、指の隙間からこちらを凝視しています。


笑わずにはいられないよね。
でも叱るよね。
辛いよね。



何もかも滑り台に見えるらしい

農家のおばちゃんの路地販売にて、野菜を買いました。

色々買ったあとで、巨大キュウリを発見(40センチ弱)。

「大きいですねえ」と言うと、葉に隠れて収穫し損なっていたらしい。

オマケで頂きました。



早速娘に見せました所、キュウリの曲線をなぞり、

「こけん テュー(公園のシューと滑るすべり台のようだ)」といいます。




その後、私が洗濯物をたたんでいると、私の背中に娘が背中をくっつけて、再び
「こけん テュー(公園のシューと滑るすべり台のようだ)」
と言います。


しかし今度は、『もう少しかがめ』と背中を押されて、私は背中を水平にしました。






立ちました。
娘を、侮っていました。

1歳児の発想力


子供の発想力というのはすごい。


昨日、頂き物のサクランボを食べていた娘が

「ぶっぺん!(ふうせん)」といいます。

どうやら、サクランボと風船が似ていると言いたい様です。

風船とはこういうものです。





文鳥に小松菜をやる係は娘なのですが、小松菜を手に持った娘が再び、

「ぶっぺん(ふうせん)」

といいます。

つまり、丸に棒が刺さっている形は、娘にとっては『風船に似たもの』です。





更にすごいのは、昨夕の事。

フランスパンの斜めに切った断面を指差して
「こけん!テュー!(公園でシューッとすべる滑り台)」
と言います。

フランスパン切断面を滑り台と言う。


発想力豊かな一歳児が、うらやましい。

母の苦行

洗濯物を畳んでいるのに、娘が遊ぼうとしつこい。

普段温和な娘が怒り、私は叩かれました。






この際、恨めしく泣いてやろう。
私がしつこく泣いていたら






本気でヤバイと思ったのか、
まったくの無表情で、おもむろに洗濯カゴを持ち上げる。








無表情のまま 虚無僧になって、2分間私を横から見つめていました。


時間

時間に関係する単語で、幼い娘が一番最初に習得するのは何かしらあ、と予想していました。
私は『朝』か『明日』だろうと思っていました。

しかし、違いました。

「さっき」でした。


例えば先ほどの使用例としては
「ごくごく さっき。ごくごく さっき!!」

 翻訳すると、『先ほどゴクゴクと飲んだみそ汁をまたくれ』です。


『今はもう無いけれど、近い過去にあったもの』を差して『さっき』を用いています。

もっと前から、おうむ返しで「あとで」は私の真似をして言ってはおりましたが、
使用法を理解して使い始めたのは『さっき』が最初。


そしてまた、今日の朝のこと。
洗濯カゴを段ボールでできた娘の『おうち』に乗っけて
「あっちいって!」
と言いながら何度もカゴを押しやり、段ボールからカゴがボロっと落ちるなり
「いった・・・」。

『行く』の活用をしている!


最初に活用した動詞は『来る』。
次に『取る』。
今日は『行く』が確認取れました。

活用と言っても、原形は分かっておらず、いずれも
『来て(ください)』『来た』
『取って(ください)』『取った』
『行って(ください)』『行った』
であり、娘の願望と結果を説明しているだけなのですが、子供はすごい。

娘が話す言葉とは、今の娘にとって必要な言葉なので、娘の言葉のすべてが貴重に思えます。

「来て!」「取って!」「行って!」は要求なので、彼女にとって必要な言葉ですが、
「来た」「取った」「行った」は何故必要なんだろう?
と思いましたが、達成時に他者へ共感を求めるための発言なのかな、と半分納得。

1年9ヶ月の短い育児をまとめると、『子供は、要求と共感の繰り返しで生きている』です。




ウサギが転んだ

娘の文章理解に関して考えてみると、例えば『ウサギが転んだ』という文であれば、
『ウサギ』は1歳過ぎで理解できているし、少し経って『転ぶ』を理解した時点で、
もう『ウサギが転んだ』は大体理解するな、と思います。

つまり、文を構成する主要な単語を理解した時点で、短い文であれば理解は可能だなと思いました。

私も、例えば She go school. という文があったとしても、何を言いたいのかは理解が出来るので(正しくは She goes to school.)、主語と述語の単語が分かればある程度は文の理解はできるわけです。

一文理解の長い特訓の末、二文、三文、四文と長文の理解が進み、ストーリーを思い浮かべ、それと同時に理解できない部分を補う推論の技術も発達していくのかしら。と思います。

いやしかし、全ての能力が同時に相互に発達していくので、子供の文章理解について調べるのは難しいなあとおもいます。

いやしかし、「ウサギが転んで えーんと 泣いて、ウサギのお母さんが、抱っこしてあげた」というオリジナルの文を変化させ、娘の脳波を測定しながら「ウサギの転んで えーんを 泣き、 ウサギのお母さんが 抱く」とかテキトウなる文章にして聞かせると、間違いなく、違和感を覚えている時の脳波が検出されると思います。

そして結論として『間違った文法に違和感を覚える事』が、『文法を理解していること』であるならば、娘は既に文法を理解していると言えます。

脳波を測定しながらさまざまなレベルで間違った文法の文章を複数聞かせれば、娘の今の文法理解の程度かがわかるはず。
高度な間違いに関しては違和感を示さないので、どの程度までを理解しているのかがわかるのです。
その実験を20人くらいやればある程度の幼児の文法理解の傾向がわかるはずだ。


さあ、今から脳波の測定だ!

と言いたい所ですが、そんな機械はありません。
ああ、脳波の測定したいなあ。
脳波測定機が5千円くらいで買えるなら、私は絶対に買う。


余談ですが、これは8ヶ月のときの娘。かわいすぎる。
玉川学園大学の研究の被験者になった時の写真。脳波を測っています。
(この時は、動くキャラクターを見て、行動の予測を立てられるかの実験)


いやしかし、私は学生時代、そもそも沢山の人と関わって実験したりするのが本当に苦手で、『私には実験をする授業は向いていない』と思い、上手い事やって卒論もそういうのから逃げたので、たぶん実験を楽しむとしても娘の実験と、友人の子供くらいかなと思うので、サンプル数が少なくてちゃんとした実験結果が出ないだろうと思います。




さて私は、長引いた咳により肋骨を痛めました。
仕事で這いつくばって大きな生地の裁断をしていたら悪化。
病院へ行ってレントゲンを撮りましたが、骨には異常はなく、
湿布のみの処方です。
く くるしい・・・・

娘は言葉は達者ですが、行動は平均的な幼児で、朝からオムツ替えから逃げる。
押しても引いてもオムツを替えさせてくれない(肌荒れでお尻が赤いので頻繁に綺麗にしている)。
無理矢理ねじ伏せるには、私は肋骨が痛くて出来ない。
むすめよ、お願いだ。母の言う事を聞いてくれ。

物語の理解などについて

一般的に子供は、口内の運動機能の発達よりも、簡単な単語を発するための知能の発達の方が早いので、幼児言葉(先生が『てんてー』になるとか)が存在します。


「ちゅーてーてんてーちたー」としか聞こえない娘の言葉ですが
それは「清水先生来た」。
清水先生は、娘が大好きな先生の名前です。

清水先生は朝9時に出勤しますが、娘が保育園へ行くのは9時前のため、
登園時に「ちゅーてーてんてー」がいない事が彼女にとって大問題なのです。


娘は、保育園の先生達の呼び方の発音を、家で自分で練習していました。
お風呂で突然「うきてんてー(恐らく、ゆき先生)」と言ったりするのです。

『ちゅーてーてんてー』も、私が理解したのと同時に、自信を持ったのか外でも使い始めた様です。
自主練なんてせずに、もっとテキトウでいいのになあ、と思います。
私に似ないで真面目な子になりました。

彼女の多くの言葉について言える事ですが、新しい単語を何度か使ってみて、私がそれを理解したとたんに、アクティブにその単語を使い始めます。
(状況的に、私が最初に理解する事がほとんどだと思いますが、最初の理解が私でなく、誰か他の人間であっても同じだと思います)


昨日は『全部(ぜんぶ)』という単語を、娘が「べーぷ べーぷ」と言い、私が理解できなかったので、しばらく二人で押し問答。
「ああ、全部っていうこと?」と私が理解すると、
激しく頷く娘でしたが、それ以後自信を持って「べーぷ」を多用し始めました。


ボディーランゲージもある種の『言葉』ですが、
①手のひらをヒラヒラさせて「キアキア(キラキラ)」と言い、
②何かを手に持って食べるマネっこをしながら「あむ!」と言う。

という一連の動作は、「星形のおせんべいを食べたい」という意思表示でした。
これをされたときは、この子はここまでして星形煎餅が食べたいのか、と脱帽しました。
そしてその様子のあまりのかわいさに卒倒しそうでした。



先日は、お風呂に入る前、天井に吊るしているお風呂のおもちゃを指差して
「とってー!とってー!」と私に言っておりましたが、
娘が自分で引っ張って取れた時、「とったー!!」との発言。

「この子は、動詞の活用を理解している!!」と衝撃的でした。





大人の場合、言語学習の際、インプットとほぼ同時にアウトプットの練習をします。

子供の場合、生後一年くらいはひたすらインプットをし喃語を話しつつも、徐々にアウトプットもし始めます。

一体、いつの段階で動詞の活用を含む文法を理解しているのか?
「取って」「取った」などを考えると、状況的に「取って欲しい場面」が「とって!」、自分で取れた時に「とった!」であり、『取る』という単語は関係無しに単に状況に基づいて覚えているのか?

しかし、日常会話の中で「取った」はあまり出てこない。
「お母さんが取って上げるね」とか「そこにあるオムツ取って〜」と娘に言う事はあります。
どういうことなのだ。
保育園で「ママ来て〜!」と泣き叫び、私がお迎えに行くと「ママ来た!!」と言う事はよくあるので、やはり『来る』などの他の動詞に倣って『取る』の活用も理解しているのか。


では更に『物語の粗筋を追う』能力は、日本語の文法を理解した上でのことなのでしょうか。
(というか、まず「文法理解」の定義を確定する必要がありますが、難しくて・・・)

いやしかし、とりあえず『ある程度の文法構造が理解出来る前の段階』に、物語の理解はできないとは思います。
なぜなら、単語の羅列だけでは、娘は物語を理解できるとは思えないから。

娘の場合、夜のお布団の中で私のつくり話を聞くのが好きです。
それは、娘の話せる単語数が100語程度(主に名詞と、少しの形容詞。全て記録している)だった1歳7ヶ月あたりからの話です。

「ウサギと一緒に公園に行って遊んでいた所、ウサギが転んでケガをして、娘が抱っこして薬を塗ってあげるお話」とか、単純ですが、娘にとっては長い物語です。

娘は非常に熱心に聞き入り、終わると「もっと」と私の腕を引っ張ります。

興味の持ち方から見て、明らかに粗筋は理解しています。
「誰にお薬塗ってあげたの?」等の質問はした事が無いのですが、理解しているはずです。絵本と違い、ヴィジュアルエイド(視覚的補助?)が全くないので、言葉のみによる粗筋理解をしていると言えます。


お話を楽しむの前の段階として 
①絵本を沢山読んでやる事
②娘の体験した楽しい出来事の話をし、頭の中で思い出させて絵を想像させる
がしらばらくありました。
この2つは今でも大好きです。


余談ですが私が学生時代、塾でアルバイトをしていたときの事。
たまたま、とある中2の男の子の国語を、1対1でみる機会がありました。
文章を読ませてみると、文字を追うだけで文章理解がまったく出来ない子で、たぶん数学の文章問題に関しても、問題の意図すら理解できないのではと思いました。
彼に対しては、とりあえす漫画でも良いから沢山読みなさいとすすめましたが、
なんだかそのことを思い出しました。
最近の大学生では、『漫画すら読めない学生』もまったく珍しくないそうです。
初めて聞いたときは意味が分かりませんでしたが、漫画を読解できないそうです。
漫画でも良いから読みなさい、と彼に言ったのは、無責任だったかなと後悔しています。



ちなみに、所有格についてです。
「さっちゃんの!」とさっちゃんのシールの事を『の』を使って話した日から、
所有権を主張するために「たーたんの!(たまちゃんの!)」と頻繁に言うようになりました。

確かに、日常生活の中で「たまちゃんの!」と言いたい場面がよくあります。
例えば公園で遊んでいた時、娘の砂場のバケツを、他の子が「貸して」と言って持って行った時。
その時の娘は「あー!あー!」と悲しそうな声で私に訴えていました。
あの時、「たまちゃんの」がもし言えたら、彼女の中でのストレスがもっと少なかったでしょう。(そのような時のために、養育者は彼女の気持ちを代弁してやる事(そうだね、たまちゃんのだね とか言う)を自然と行い子供の気持ちをなだめ、かつそれが彼女の言葉の教育になるので、世の中上手い事行ってるなあと思う)

今では娘の大事なシールを私が触ったら、娘は「たーたんの!(たまちゃんの!)」と権勢します。


さて、言葉が出始めた娘の場合、気になる勘違い日本語も出て来ました。
今の所、2つ。
「どうぞ」と「あっちいって」です。

どうぞ に関しては、「まま、はい、どうぞ」と何か物をくれる正しい使い方がほとんどです。
しかし先日、一緒に台所に立って料理をしていた所(娘は踏み台を用い、流しで水を出しながら存分にナスビを洗っていた)、
「ママ どうぞ〜」と言いながら、キュウリを取って欲しいと訴えました。 

「物を受け渡す際の『どうぞ』」と思っているので、自分が取ってもらいたいときも『どうぞ』を用いた様です。

その『どうぞ』の感覚は「まま、どうぞキュウリをとって下さい」と言えば正しいので、
回り回って、子供の原始的な言葉の感覚に、本当に日本語が則している事に少々びっくりしました。

『どうぞ』ってすごいぞ。と密かに感動したわけです。

その次、『あっち行って』は、娘が保育園で覚えた悪い言葉です。
気軽に『ちょっとそこをどいて』という時も、娘は「あっちってー(あっち行って)」と使います。
先日は、一緒に居間で遊んでいた時、娘は寝室へ私と一緒に行きたかった様です。
私の手を握って、引っ張り「まま、あっちってー(あっち行って)」を、「お母さん、一緒にあっちに行こう」という意味合いで使いました。
そうか。彼女に取っては、「行って」が「行け」という命令形なのではなく、
一人称も二人称も関係なく、『誰かがその場を離れる』という事象に、『あっちって(あっち行って)』という言葉がダイレクトに結びついているんだな、
と少しびっくりしました。

さて、今日は娘がお昼ゴハンを食べた後、鏡の中の自分を見て左の口元に米粒が付いている事に気づきました。
しかし娘は、鏡を見ながら必死に右側の口元を触ります。
そして「ない ない」と私に不思議そうに訴えます。
まだ左右の認識ははっきりしていないようです。
というより、左右という概念すら無いようでした。
私は、スプーンを握らせる手も、左右どちらかにさせようと試みた事が一度も無いし、
(そもそも手づかみで食べても気にならないので)左右の認識は、一体何歳頃にはっきりするのかなあ、と楽しみです。

娘が今昼寝をしていますが、貴重な娘の昼寝時間を、私はこのように娘について考えて過ごしています。
そして私は今、中学高校と国語の勉強をちゃんとすれば良かったなあと後悔しています。

沽券

娘が保育園で転んだ時の、膝のカサブタを指差します。

「どうしたの?」と聞くと

「どーん ままいない えーん てんてい」
(ドーンと転んだ。ママはいない。エーンと泣いた。先生がいる)

「どこで?」と聞くと

「コーケン!」

私はこの「コーケン」を、ずっと「公園」だと思っていました。
確かに、公園も「コーケン」と言うのです。

1歳9カ月の娘は、かなり物事を正確に認識するタイプで(私やしげるさんよりもするどい)
『保育園』を『公園』と混同することは無いだろうから、保育園の園庭を『公園』と表現しているのか。と思っていた。


しかし、娘の「コーケン」は、私には単なる「コーケン」にしか聞き取れなかったが、
『ほいくえん』の場合と『こうえん』の場合の二種類あったようです。
たぶん、微妙に発音が違うのです。

今朝、色々あって判明しました。


むすめよ すまない




中学生の英語の文法で習う『5w 1h』というのは、who what when why where とhowの事を言います。
(今私は、5wのwhenが出て来ませんでした)


娘の場合、一番最初に覚えたのはwhatです。
「これ何?」と聞くと
「ワンワン!」
これは、随分早い段階で理解していました。
「これ何?」と聞きながら私が指差したりもしたので、whatに関しては、本当に原始的な感覚で理解できるのだなあと思います。
「なにが美味しかったの?」と聞いても
「アンパン!」と答えたりします。



次はwhoで、ある程度単語が出て来てからの事。
「誰と?」と聞くと
「ばあば!」。

同じ頃howで
「どうやって?」と聞くと、
くるくる回ったり、転ぶ真似をしたりの体での表現。

次にはwhere。
「どこで?」
「コーケン(公園)」

ここまでは、一気にわかるようになったのですが、whenとwhyは、まだ先のようです。
確かにこの2つのwだけは、1歳児にとって難しい。

概念としての時間の理解は大変です。
「夜ね」とか「明日の朝ね」は何となく理解できていると思うのですが、自発的に娘が時間を口にする事はありません。
というか、それを言う必要が彼女にはありません。

時間というよりも、
・朝起きて空が明るいのが『朝』
・昼ゴハン、昼寝の『昼』
・空が暗くてお風呂に入って寝るのが『夜』
という生活に基づいた事で朝昼夜を認識して、それに伴って(というか、それ自体が時間意識ですが)時間意識も根付いて行くので、whenに関してはそろそろかなと思います。


そしてwhyに関しては、文の構造が複雑になるので、そのはるか先かなと思います。
雨の日に「まめ!かか!(雨!傘!)」という事はあるので、基本の論理構造は理解はしていますが、
「かか!(傘)」というのに対して「どうして傘をさすの?」と聞いても、質問の意図が分からないでしょう。(意外にもわかったりして)




本日は、保育園に送りに行くと「まま、ここいてー!!」と私にしがみついて離れません。
『まま』『ここ』『居て』の三語の並び。「まま ここ『に』いて」になれば完璧なる文章ですが、あと一歩。(『ままいかないで』の否定を含む文章はまだまだ難しいみたい)
上記の「どーん ままいない えーん てんてい」は単語4つ並びですが、単なる単語の羅列なので、随分成長しました。


千野栄一さんの『外国語上達法』という本を読みましたが、
確かそれでは、とりあえず単語を1000語だかを覚えれば、
ある程度外国語を読む事ができるとありました。
(たぶん高校生の頃。もう内容もうろ覚え)
本当にそうだなと思いました。
娘は200語くらいの単語を話しますが、これだけで彼女の日常はまわっています。

2歳未満で200語は多いように感じますが(娘の歳にしては実際にかなり多い方だと思いますが、言葉の早い遅いは将来の知力や学力とは関係ないです)実際に娘の200語を理解するのは娘語に興味と情熱のある私だけで、他人が娘と会話しようとしても、娘の発音では成立しません。
従って、他人が娘の単語数を調べたら一体何語になるのかしら、という段階です。

(幼児の言語獲得と、大人による母国語以外の新しい言語の獲得は、プロセスや脳の働きが違いますが、確かに1000語覚えれば日常生活もある程度大丈夫だと思います。
しかし、やはり幼児の言語獲得のセンスはすごい。すでに文法的に正しい語順を理解した上で、正しく発話し始めている。私がデタラメな語順で話をしても、通じないか、確実に違和感は覚えると思う)

彼女の発音では、私が理解できない単語も結構あります。
娘「うお!(風呂)」
私「うろ?うろってなんだ?」
というような会話の後の、娘の切なそうな、悲しそうな、そして恥ずかしそうな顔。
すでに『上手くしゃべることができない』という事に羞恥心が芽生えています。
話す事に関しては、発話をしようとしている時点で褒める事しか無いのですが
(保育園でもそうだと思う)
褒める事で逆に羞恥心を育ててしまったのか?
恥ずかしがらせてしまう事に罪悪感を覚えますが、これは解決策がわかりません。

子供がある程度大きくなるまでは、結果はとりあえずどうでもよくて、どんなことであろうと何かをしようとした意思を褒めるべきだと思います。
それが自己肯定感やら安定感やら、幸福に生きる上で必要な、最低限の『自信』を育てる事だと思います。
であるから、子供が小さなうちに正誤問題をさせる事には反対です。

さて娘の言葉に関してですが、私は彼女に対して、彼女が生まれてから一日10回は確実に言っている言葉「かわいい」が興味深いのです。
娘は一日10回は「かわいい」という単語を聞いているのに、「かわいい」という単語を自発的に使った事がありません。
子供が沢山耳にした言葉から、話し始めるようなイメージはボワーンとありましたが、まったく違いました。

あじさいを指差して「きえ〜(きれい)」とは言います。

「赤ちゃんかわいいね」という話は娘としているので、使うとしたら、自分以外の物への形容詞として使い始めると思います。


同じく、娘の名前も10回は呼びかけているのですが、自分の名前を言い始めたのは最近です。

そりゃあそうかとは思うのですが、子供にとって必要な言葉は、欲しいものを指す言葉か、共感して欲しくて発する言葉です。
一人称が出て来たのも最近です。(自分自身を指差して『○○ちゃん』というような)
確かに、自意識の芽生え(かわいい服を着て褒められて照れる。髪留めをつけてやると鏡へ見に行くなど)とともに、一人称を言うようになりました。
そろそろ『かわいい』も言い始めるかなあと思います。

ちなみに1歳半の時点で、普段男ものの洋服ばかりの娘が、スカートを着ることによって皆に「かわいい」「すてき」と褒められて喜んだりしているのを見て、なんだかジェンダーに関しても色々おもうことが出て来ます。

所有格

私の妹は、「さっちゃん」なのです。

私の妹「さっちゃん」から、娘がシールを4枚シートでもらい、よほど嬉しかった様です。
動物のシートが二枚、リボンが一枚、ハートが一枚。

昨夜はシールを抱きしめて寝ようとするのですが、シールのシートがパリパリと音を発し、うるさい。


そんな事があった朝、娘は早速またシールを触ります。

すると、ハート形のシールのシートが無い。

「あーとない あーとない(ハート無い)」と呟いて私に訴えます。
『ハート』という単語を、私は娘に教えた事が無いのですが、保育園で覚えた様です。

そもそも私は最近日本で使われているハートマークの大半が嫌いなので、
家にハート形が無いのです。


しかしハートを探す娘。
私がハートが嫌いだからと言って、娘がハートを求める気持ちを止めるつもりはありません。
「あら、どうしたんだろう。またさっちゃんに頂戴しようね」と言うと

「さっちゃんの さっちゃんの」と言います。


『さっちゃんの』
この格助詞『の』を、娘は初めて自発的に使いました。
だから今日は、格助詞記念日。

本当に、親以外、まったくどうでも良い事だとは知っています。

難しい日本語のわたし

娘は、言葉を話すのがかなり早いです。

娘は私とだったら、単語と身振りで日常は困らない程度のコミュニケーションがとれるので、とても助かります。

言える単語の数は沢山ありますが、やはり助詞は難しいようで、
『と(with)』 『け(だけ only)』『なかで/なかに(in)』だけが辛うじて出て来ます。

娘の語彙獲得の様子を観察すると、幼児の言語獲得のプロセスが分かって非常に楽しいです。

今朝はしげるさんの仕事が朝早く、起きたら布団にいません。

「ととない!ままけ!」(お父さんいない、ママだけ)を連発していました。

今日は、初めて『だけ(only)』を使うのを知りました。

だから今日は、ダケ記念日。
と喜んでいるのは親だけです。



さて、言葉の早い遅いは将来の知力や学力とまったく関係無いようですが、幼児期の運動神経についても同じ事が言えます。

わが娘は運動神経が本当に素晴らしく、非常に器用に公園で遊びます。
「すごいんだよ!将来はスポーツ選手になれるかも」と私が実家の母に自慢しました所、母に言われました。

「あんたも二歳の頃、運動神経が素晴らしく良かった。体操選手にでもなれるのかとおもったけど、あんた、今ひどいでしょ」

そうなのです。私は、中高と5段階評価で、体育の成績は常に『2』でした。
でも先日、久々に三点倒立をしたら上手にできたので、まあ三点倒立さえできれば、いいかなと思います。


先日、新聞の折り込み広告に、幼稚園受験と小学校受験の塾の広告がありました。
2歳すぎから協調性を叩き込んでくれる塾らしいです。
私なら、お金を払ってでも行かせたくないなと思いました。
人の価値観は、人それぞれだなあと思います。


老け顔が勝利する時

私は、若い頃から老けていました。

小学生の頃にクレジットカードの勧誘を受けました。



私は母に「老けている人は、歳をとったら若く見られるようになる」と励まされ続けました。

では老けている人は、一体何歳から若く見られ始めるのか。
それは私にとって大きな問題でした。





答えが出ました。

私の場合、『30歳』でした。

30歳を超えてから、「え?30歳には見えない」「もっと若く見える」と言われ始めました。

私は、本当に嬉しい。

嬉しいのだ。


つまり20代に見られているのだ。

私は ザ 20代。


明日も、明後日も、20代。

そして100年後も。

母系社会の少数民族モソ人

モソ人だ!