一般的に子供は、口内の運動機能の発達よりも、簡単な単語を発するための知能の発達の方が早いので、幼児言葉(先生が『てんてー』になるとか)が存在します。
「ちゅーてーてんてーちたー」としか聞こえない娘の言葉ですが
それは「清水先生来た」。
清水先生は、娘が大好きな先生の名前です。
清水先生は朝9時に出勤しますが、娘が保育園へ行くのは9時前のため、
登園時に「ちゅーてーてんてー」がいない事が彼女にとって大問題なのです。
娘は、保育園の先生達の呼び方の発音を、家で自分で練習していました。
お風呂で突然「うきてんてー(恐らく、ゆき先生)」と言ったりするのです。
『ちゅーてーてんてー』も、私が理解したのと同時に、自信を持ったのか外でも使い始めた様です。
自主練なんてせずに、もっとテキトウでいいのになあ、と思います。
私に似ないで真面目な子になりました。
彼女の多くの言葉について言える事ですが、新しい単語を何度か使ってみて、私がそれを理解したとたんに、アクティブにその単語を使い始めます。
(状況的に、私が最初に理解する事がほとんどだと思いますが、最初の理解が私でなく、誰か他の人間であっても同じだと思います)
昨日は『全部(ぜんぶ)』という単語を、娘が「べーぷ べーぷ」と言い、私が理解できなかったので、しばらく二人で押し問答。
「ああ、全部っていうこと?」と私が理解すると、
激しく頷く娘でしたが、それ以後自信を持って「べーぷ」を多用し始めました。
ボディーランゲージもある種の『言葉』ですが、
①手のひらをヒラヒラさせて「キアキア(キラキラ)」と言い、
②何かを手に持って食べるマネっこをしながら「あむ!」と言う。
という一連の動作は、「星形のおせんべいを食べたい」という意思表示でした。
これをされたときは、この子はここまでして星形煎餅が食べたいのか、と脱帽しました。
そしてその様子のあまりのかわいさに卒倒しそうでした。
先日は、お風呂に入る前、天井に吊るしているお風呂のおもちゃを指差して
「とってー!とってー!」と私に言っておりましたが、
娘が自分で引っ張って取れた時、「とったー!!」との発言。
「この子は、動詞の活用を理解している!!」と衝撃的でした。
大人の場合、言語学習の際、インプットとほぼ同時にアウトプットの練習をします。
子供の場合、生後一年くらいはひたすらインプットをし喃語を話しつつも、徐々にアウトプットもし始めます。
一体、いつの段階で動詞の活用を含む文法を理解しているのか?
「取って」「取った」などを考えると、状況的に「取って欲しい場面」が「とって!」、自分で取れた時に「とった!」であり、『取る』という単語は関係無しに単に状況に基づいて覚えているのか?
しかし、日常会話の中で「取った」はあまり出てこない。
「お母さんが取って上げるね」とか「そこにあるオムツ取って〜」と娘に言う事はあります。
どういうことなのだ。
保育園で「ママ来て〜!」と泣き叫び、私がお迎えに行くと「ママ来た!!」と言う事はよくあるので、やはり『来る』などの他の動詞に倣って『取る』の活用も理解しているのか。
では更に『物語の粗筋を追う』能力は、日本語の文法を理解した上でのことなのでしょうか。
(というか、まず「文法理解」の定義を確定する必要がありますが、難しくて・・・)
いやしかし、とりあえず『ある程度の文法構造が理解出来る前の段階』に、物語の理解はできないとは思います。
なぜなら、単語の羅列だけでは、娘は物語を理解できるとは思えないから。
娘の場合、夜のお布団の中で私のつくり話を聞くのが好きです。
それは、娘の話せる単語数が100語程度(主に名詞と、少しの形容詞。全て記録している)だった1歳7ヶ月あたりからの話です。
「ウサギと一緒に公園に行って遊んでいた所、ウサギが転んでケガをして、娘が抱っこして薬を塗ってあげるお話」とか、単純ですが、娘にとっては長い物語です。
娘は非常に熱心に聞き入り、終わると「もっと」と私の腕を引っ張ります。
興味の持ち方から見て、明らかに粗筋は理解しています。
「誰にお薬塗ってあげたの?」等の質問はした事が無いのですが、理解しているはずです。絵本と違い、ヴィジュアルエイド(視覚的補助?)が全くないので、言葉のみによる粗筋理解をしていると言えます。
お話を楽しむの前の段階として
①絵本を沢山読んでやる事
②娘の体験した楽しい出来事の話をし、頭の中で思い出させて絵を想像させる
がしらばらくありました。
この2つは今でも大好きです。
余談ですが私が学生時代、塾でアルバイトをしていたときの事。
たまたま、とある中2の男の子の国語を、1対1でみる機会がありました。
文章を読ませてみると、文字を追うだけで文章理解がまったく出来ない子で、たぶん数学の文章問題に関しても、問題の意図すら理解できないのではと思いました。
彼に対しては、とりあえす漫画でも良いから沢山読みなさいとすすめましたが、
なんだかそのことを思い出しました。
最近の大学生では、『漫画すら読めない学生』もまったく珍しくないそうです。
初めて聞いたときは意味が分かりませんでしたが、漫画を読解できないそうです。
漫画でも良いから読みなさい、と彼に言ったのは、無責任だったかなと後悔しています。
ちなみに、所有格についてです。
「さっちゃんの!」とさっちゃんのシールの事を『の』を使って話した日から、
所有権を主張するために「たーたんの!(たまちゃんの!)」と頻繁に言うようになりました。
確かに、日常生活の中で「たまちゃんの!」と言いたい場面がよくあります。
例えば公園で遊んでいた時、娘の砂場のバケツを、他の子が「貸して」と言って持って行った時。
その時の娘は「あー!あー!」と悲しそうな声で私に訴えていました。
あの時、「たまちゃんの」がもし言えたら、彼女の中でのストレスがもっと少なかったでしょう。(そのような時のために、養育者は彼女の気持ちを代弁してやる事(そうだね、たまちゃんのだね とか言う)を自然と行い子供の気持ちをなだめ、かつそれが彼女の言葉の教育になるので、世の中上手い事行ってるなあと思う)
今では娘の大事なシールを私が触ったら、娘は「たーたんの!(たまちゃんの!)」と権勢します。
さて、言葉が出始めた娘の場合、気になる勘違い日本語も出て来ました。
今の所、2つ。
「どうぞ」と「あっちいって」です。
どうぞ に関しては、「まま、はい、どうぞ」と何か物をくれる正しい使い方がほとんどです。
しかし先日、一緒に台所に立って料理をしていた所(娘は踏み台を用い、流しで水を出しながら存分にナスビを洗っていた)、
「ママ どうぞ〜」と言いながら、キュウリを取って欲しいと訴えました。
「物を受け渡す際の『どうぞ』」と思っているので、自分が取ってもらいたいときも『どうぞ』を用いた様です。
その『どうぞ』の感覚は「まま、どうぞキュウリをとって下さい」と言えば正しいので、
回り回って、子供の原始的な言葉の感覚に、本当に日本語が則している事に少々びっくりしました。
『どうぞ』ってすごいぞ。と密かに感動したわけです。
その次、『あっち行って』は、娘が保育園で覚えた悪い言葉です。
気軽に『ちょっとそこをどいて』という時も、娘は「あっちってー(あっち行って)」と使います。
先日は、一緒に居間で遊んでいた時、娘は寝室へ私と一緒に行きたかった様です。
私の手を握って、引っ張り「まま、あっちってー(あっち行って)」を、「お母さん、一緒にあっちに行こう」という意味合いで使いました。
そうか。彼女に取っては、「行って」が「行け」という命令形なのではなく、
一人称も二人称も関係なく、『誰かがその場を離れる』という事象に、『あっちって(あっち行って)』という言葉がダイレクトに結びついているんだな、
と少しびっくりしました。
さて、今日は娘がお昼ゴハンを食べた後、鏡の中の自分を見て左の口元に米粒が付いている事に気づきました。
しかし娘は、鏡を見ながら必死に右側の口元を触ります。
そして「ない ない」と私に不思議そうに訴えます。
まだ左右の認識ははっきりしていないようです。
というより、左右という概念すら無いようでした。
私は、スプーンを握らせる手も、左右どちらかにさせようと試みた事が一度も無いし、
(そもそも手づかみで食べても気にならないので)左右の認識は、一体何歳頃にはっきりするのかなあ、と楽しみです。
娘が今昼寝をしていますが、貴重な娘の昼寝時間を、私はこのように娘について考えて過ごしています。
そして私は今、中学高校と国語の勉強をちゃんとすれば良かったなあと後悔しています。