フクモ陶器

 待ちに待った馬が、家に届きました。

先月恵比寿であった『フクモ陶器』の個展で予約していた馬です。

ハンドブックの説明によると

『茶碗アニマル』
・茶碗部分からお茶を与えると、尻からすぐに出します。 
 消化が早いです。


頭からしっぽにかけて、穴が通っています。
こんな素敵な馬が、この世にはいるのです。

個展のタイトルは、『三途の川』ならぬ『三途の厠』です。
厠にまつわるエトセトラがいろいろ。

一番欲しかったのは『紙神』という作品でした。
顔が金色のトイレットペーパーで、着物を着ている厠の神様でした。
ただ、今の私には手が出ず、出世したら欲しいと切に思ったのです。

あんな素敵な神様を、トイレに置けたら本当に素敵な生活ができるだろうと思うのです。


厠の思い出といえば、5年ほど前に母と妹と上海に行った時の事です。
上海の布問屋へ行きました。
妹がトイレに行きたいと言っても言葉が全く分からないので、ただひたすらにメモ用紙に『厠』という漢字を書きまして、店のおばちゃんに見せるとトイレへ案内してくれるのです。
(ちなみに布問屋のトイレは、中国の昔ながらのトイレで、ドア無しでした)



ついでに、『フクモ陶器』は福本歩さんという女性が展開しているウフフな陶器たちです。
次の個展が待ち遠しいのです。

深夜二時に

結局今日も深夜二時に、斜め上の階に住む大学生たちの笑い声で目が覚めたきり、うるさくて眠れなくなったので、ピンポンして注意をして来ました。

出てきたのはかわいい文科系の男子でした。



近所には、体育大学と美術大学があるのですが、恐らく美術大学の学生と思われいます。


しかし、何故に若者は無駄に夜更かしをするのでしょう。
私も10代のころは、無駄に夜更かしして、ラジオ深夜便を聞いたりしておりました。



ファミリー向けのアパートでも、確かにシェアして住めば広いし賢いな。
と敵の大学生に対して感心したりもするのです。

私の住むアパートは、駅から非常に遠いファミリー向けアパートです。
駅からあまりにも遠いため、普通のサラリーマン世帯はおらず、
みなさん職人ばかりのようです。

いつも午後4時半に帰宅する庭師の軽トラのお兄さんは、「帰宅が早くていいな」とおもっていたのですが、毎日午前4時半に家を出ている事が判明しました。

私の心の中のブルースリー

私はあまり怒らない性格でして、最近腹を立てている対象といえば安倍政権とその他もろもろくらいで、
身近で誰かに怒りを覚えることは少ないのです。

しかし、先週斜め上に越してきた大学生。私は彼らに怒っておるのです。

事の始まりはある夕方。
引っ越しが始まり、夜中までどすんバタンと引っ越し作業をしており、
「うるさいなあ」とは思っていたものの、まあ人には都合があるしなあと思っていたら、
引っ越し後に明け方まで宴会が!

「しかし初日だし、まあ仕方ないな」

と思っていたが、翌日も真夜中まで続く宴会!

一日置いて、また始まる宴会!
(そんなにお酒は入ってないようですが、声が・・・声がぁぁぁぁ・・・・・・)


とりあえず不動産屋を通して控える様促してもらいました。

どうやら、男子大学生が二人でシェアしているようなのですが、家がけっこう広い作りなので、たくさんの仲間のたまり場になっている様です。


サッカーを見ているとか、そういうのであればお祭りだし良いのです。
しかしサッカーではないのです。


夜中に不特定多数の若者が、ドスンバタンと階段を昇り降りし、深夜の声が窓から筒抜けなのです。
私は雨戸も窓も閉めているのに!

昨夜も何度も目が覚め、深夜二時まで笑い声が聞こえてくるのです。うぐぐぐぅぅぅ


そこで私は、なぜこんなに腹を立てているのだろうかと分析を試みるのです。

・私は今まで一人暮らしをしたことがなく、騒音で悩んだ事が無いので、免疫が無い。
「大学生なんてこんなもの」という割り切りができていない。
つまりは私の経験不足からくる余裕の無さ。

・きっと私が直接文句を言いに行ったら「下の階のウザいおばさん」として認識されると考え、勝手に腹が立ってくる。という被害妄想。

若者め!!わかものめええええ!!

私は、昨晩布団の中で、自分がブルースリーのようにヌンチャクを振り回して奇声を発しながら203号室に乗り込むことを何度も何度も夢想しました。


いやしかし、赤ん坊でも生まれたらこちらが迷惑をかけるようになるんだしな、
と自分に言い聞かせたりもするのですが、私の中のブルースリーはヌンチャクを振り回す寸前まできているのです。

携帯電話のストラップ

川崎駅近くの雑貨屋で、前に買った携帯電話のストラップ。

ゴムでできていて、それなりに高かったのですが、あまりの可愛さに買ったのです。

今日、ミシン部屋の配置換えをしていたところ、出てきました。



以前、T氏に「お揃いで付けようよ」と言いましたら、断られました。



セクハラやじの議員、一人だけ吊るし上げて終わるのかと思うと腹が立ちます。

腰痛

先日、知人の助っ人をするために、一日ミシンを踏みに亀戸まで行きました。

かつて私は一日15時間勤務のブラック縫製所でミシンを踏んでおりましたので、
8時間くらい屁のかっぱと思っておりました。


が、その日の夜から酷い腰痛になり、布団に仰向けに寝ると『ぐぎぎぎ』と腰が痛くて声にならない叫びが漏れるのです。




とりあえず私の味方、せんねん灸をし続け、なんとなく良くなりました。

せんねん灸、良いですよ。



朝ご飯をたくさん食べたのに、10時になるともうお腹が減るのです。
食欲を抑える灸なんて、無いのでしょうか。


ブラジルから来た少年 の母

私は幼い頃、ブラジルに住んでおりました。


我が家はマンションに住んでいたのですが、向かいの家族は私と同い年の一人息子のいるご家庭でした。

お父さんはアメリカ人で、ハーバード大学を出た後、日本で演歌歌手として活動していたという異色の経歴があるサラリーマン。

お母さんは典型的な明るいブラジル人でした。



そんなご家族が、10年ほど前、日本に遊びにくると言うではありませんか。
そして多摩市の我が家をはるばるたずねてきたのです。


お土産は『こころ』ということは私も分かっておりますが、衝撃は、彼らの持ってきてくれた『手土産』でした。



①使い古しのマグネット式クリップ
 これは、磁石の付いているマグネットで、冷蔵庫なんかにメモをはっ付けるためのもの。
 情熱的な真っ赤な唇の形をしているのですが、ポイントは、明らかに使い古されているという点である。



②使いかけのシャンプーとリンス
 文字通り、使いかけのシャンプーとリンス。
 ブラジルらしい、インパクトのある色でドギツイ香りのするものでした。
 高校生だった私は、せっせと使いました。


③使いかけのハンドクリーム
 文字通り、使いかけのハンドクリーム。
 インパクトのある香りのするハンドクリームでした。



ワールドカップでブラジルというキーワードを聞くたびに、
思い出す
あのシャンプーのかほり。


糸立て 糸棚 糸ラック

以前、近所に住む素敵な奥様から、色々な民族衣装を頂いた事があるのですが、
こちら
その方から桐のタンスの、『中身』をいただきました。
ようは『ひきだし』なのですが、桐はとっても軽いため、壁にかける『糸立て』
というか『糸の棚』というか『糸ラック』を作れるではないか!と思い立ちました。

中に板を三枚渡しただけなのですが、立派な棚になりました。
糸ラック


糸の棚!

使い勝手が本当によろしい。

もともとはこんなラックに載せていたので、使いにくく、
ぐちゃぐちゃとなっておりました。


しかし棚に糸はおさまりきらず、もう一つ、棚を作る事にいたしました。
(引き出しはあと3つあるのです)

今日は朝からガビチョウがうるさいほどにさえずり、
しかし空を見ると鳴きたくなる気持ちが本当にわいかるような晴れ。
洗濯機を二度まわしました。

高校を経て、答えが出ました

高校二年生の夏休み、学校から赤い文字で書かれた手紙が両親宛に届きました。
「あなたの娘さんは、この調子で行くと出席日数が足らずに留年します」と赤い字で書かれていたのです。

「休む日は計算してるから大丈夫。それにまだ何日かは休めるよ」と私は両親を安心させるために言いました。
私の両親は細かい事は気にしない人間でしたので、「留年はしない方がいいね」と私に言うだけでした。

私の父は高校で留年していたので、その言葉は大きな説得力を持っておりました。

しかしなんとか私は留年せずに高校を卒業しました。




そして大学に入学後、言語心理学の授業中のことでした。
教授が、あるアメリカの心理学者が作った心理テストをクラスに配りました。

「これはすごく当たるよ」と教授が言うので、面白そうだと思って受けてみました。

テスト結果では、私の『autism』という分野の値が突出して高いのです。
周りの学生と比べても、異様な程に『autism』の値が高い。

「これは私には何かしら才能があるということか?」
と嬉しい気持ちになり、しかし『autism』って何だろうと辞書で調べましたら、
『自閉性』と出るではありませんか。

謎が全て解けたのです。
私は、単に自閉性が高い人間だったのです。

しかしそれまで対人関係でトラブルを起こした事は無く、
自分のコミュニケーション能力を問題視した事も無く、
ただこの世の中は生き辛い世の中だ、と思っていただけですが、
謎が解けたようでほっとしたのでした。


ただ、それまで将来の夢を色々と華やかな分野で思い描いていましたが、
無理だと判断がつき、内職で生きて行こうと決心がついたのです。

とりあえず物を作れるならお玉でも鍋でも服でもなんでも良かったので、
一番内職分野で生きて行けるアイテムであり、好きな『服』を選び、今日せっせと部屋で内職をしているのです。

今私は幸せですが、この『autism』がお腹の子供に遺伝しませんように、と密かに願っているのです。


行事が嫌いだ 高校生編

念願だった都立高校に私は入学しました。
私には女子高校生だった時代があるのです。

しかし私にとって、高校とは単に『高卒資格を得るために通うもの』であり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

従って、あらゆる『行事・イベント』というものは、私にとって無駄なものと判断されました。


楽しいはずの遠足をサボり、運動会も全てサボり、卒業式やら始業式などもサボり、楽しいはずの文化祭等も全てサボっておりました。

私はワルではなく、しかし学校は休みがちだっために、あまり親しくない教員には体調を心配させてしまったりと迷惑をかけたこともありました。

都立高校は基本的に校則が緩く、特別人に迷惑をかけたり目立つことをしない限り、かなりの部分を各々の自主性に任せられていたのです。

しかし高校三年生のとき「最後くらい文化祭に参加しようよ、遠足も一度くらい行こうよ」とクラスの子に強く誘われ、「心配かけて申し訳ない」という気持ちから足を運んだ事もありました。
今でも不思議な事は、私がいじめに合わなかったということです。



高校二年生の時、ついに一大イベント『長崎への修学旅行』がやってきました。

私は修学旅行に不参加だと、一体現金がいくら返却されるのだろうかと考えました。

担任の小井沼先生に「修学旅行に行かないと、幾ら返却されますか」と聞きました所
「7万円くらいかな」というではありませんか!

私は感動しました。


当時私はせっせと家に帰り、近所の図書館で民族音楽のCDやら本やらを借りて、民族音楽の研究家になるための勉強をしたり、渋谷のCDショップへ行きワールドミュージックの分野を物色したりしていたのです。
当時、私はワールドミュージックに関してはかなり精通しており、今振り返るとなかなかのツウだったなと思うのです。


そして何より、音楽CDが欲しくて欲しくて、マクドナルドでバイトをしたり、小遣い帳を一円の代まで記し、CD貯金をしていたのです。


「7万円で、CDがたくさん買える!!!!」と私は情熱的に思いました。


家に帰ると母に「修学旅行に行かないと7万円返ってくる。それでCD買っていいか?」
と聞きました。
母は細かい事にこだわる女ではなかったので、「いいよ」と気軽に応えました。
私は、天にも昇る気持ちでした。

私は早速小井沼先生に、修学旅行不参加の旨伝え、段取りをし始めました。

しかし事件はその直後、起きたのです。


ある日いつもの様に学校をサボって家にいたら、小井沼先生から母へ電話がありました。
「娘さんが修学旅行に行かないと言っているが、大丈夫ですか?」とのこと。

母は、私が本気だとは思っていなかったのです。
電話の後、
「あんた、本当に行かないの?」
と聞いてくるのです。

「うん。そのかわりCD買って良いか、って聞いたでしょ?」
と答えましたら、
「そんな大金、CDなんかのために上げられない」というではないか。

母は、細かい事は気にしない女ですが、7万円は確かに細かいお金ではありませんでした。

幸か不幸か、私は『テキトウな母の言葉に裏切られた絶望感』と、しかし母の言う通り『7万円という大金をCDのために女子高生に与える不健全さ』を同時に理解できるだけの常識はあったのです。


時既に遅し。
私から、長崎もCDも7万円も逃げて行ったのです。

行事が嫌いだ 中学生編

私はそもそも学校が嫌いでしたので、授業が終わってからも学校にとどまることに非常に大きな抵抗感を抱いていました。

ですので放課後に部活をする人間や、放課後に教室でおしゃべりをする人々の精神構造は、私の理解を絶するものでした。

授業が終われば一目散に家に帰っていたのです。


しかし私の通う中学には、『運動会』という行事がありました。

そしてその運動会は一日で終わるものではなく、中学三年生は本番当日の一、二ヶ月前から「運動会の練習」なるものを体育の時間に加え、放課後にもする必要があったのです。


授業が終わったのに、家に帰れない。

中三の夏、私は絶望感に支配されました。

何故か変なユーロビートに合わせて、年長者である中三が『応援の踊り』なるダンスの振り付けを考え、それを低学年に教えるというシステムなのです。

それが楽しいと感じるならば大変結構。しかし私には苦痛でした。

最初はサボってこっそり帰っていたのですが『もう逃げられない』という段階に至り、私は父に「運動会に出たくない」と相談しました。

「ならば出なければいい」と父に言われ、そうだよな、出なければいいじゃないか。
という結論に至るのです。

とりあえず担任にその旨伝えると、面談が開かれました。
らちがあかなかったので学年主任と面談させられ、それでも済まずに校長と面談させられましたが、結局父が呼び出されて、教師と面談させられていました。
申し訳ない。

父は小さな事にこだわるような男ではなかったので、「まあいろいろあるね」という感じでした。

何はともあれ、私はさっさと家に帰れる権利を得る事ができたのです。



ちなみに、我が家に面白いスコットランド人が時々遊びに来ます。
先日いらした際、私が「日本は教育費もかかるし、最近は小学生でもスマホを持ってるし、子供を育てるの大変」というようなことを愚痴って言いましたら、
彼曰く、そもそも日本の学校教育というものはドイツで発祥したシステムで、アメリカ、イギリス、日本に渡ってきたものである。
そのシステムとしては第一に兵隊、第二に産業革命以降の社会の『会社人間』を作るシステムであり云々、、。とのこと。

イギリスの一部のこだわりの教育システムでは、小学生たちは午前中に学科を学び、午後は全て各々の個性を伸ばすような、本人たちがやりたい事に取り組む時間に当てられているとか。

また、家で両親が勉強を教え、子供を学校に通わせない人もちらほらいるとか。
彼の知り合いでも、2組のカップルがそれをしているらしい。

そして日本の学校教育はイギリス、アメリカと比べても極端に軍国主義的な教育であり、バランスがあまりよくないというよくある結論に至りました。



閑話休題。

軍国主義的であろうとなんであろうと、とりあえず今日の運動会の有り様の是非はさて置き、運動会が楽しければ自由参加的に運動会に参加すればいいとは思うのです。
しかし何故に強制出場で突如「あんた赤、わたし白」で分けられて「さあ戦え」と言われなければならないのか。
そこに正義なり意義があるならば私も納得するのですが、運動会には正義は無く、私にとっては意義もなく楽しくないも上に、『家に帰れない』状況は耐えられないものなのです。

ちなみに最近の小学校では足の速さの順位を決める事が宜しくないとか、50m走では皆一緒にゴールをする決まりがあるだとか、しばしば耳にします。それに関しては私は全く意味が分からない。
私は運動神経が良くないので、常にビリに近いポジションでしたが、それに関して気にした事はありませんでした。
問題は、家に早く帰れるかどうか、という事なのです。


そしてその後の私の人生における物事の判断基準はその時期に決まり『楽しいか、もしくは何かしら意義、意味のある事か』のどちらにしか価値を置かなくなりました。


そしてその後、高校に入って痛い目に合うのです。

学校が嫌いだ 中学生編

中学にあがりましたが、私は依然学校嫌いのままでした。
保健室に行き「家に帰りたいから帰してください」と直談判する事もありました。
そうすると保健の先生が我が家に電話し、
「娘さんが家に帰りたいと言うのですが」と母に伝えます。
母は小さな事にこだわる女ではないので
「本人が帰りたいと言っているのだから帰してください」
と言うのです。

しかしその一連の作業も面倒くさくなりました。
その頃は仮病も上手くなっていたので保健室を通さず担任の所ヘ行き
気分が悪そうな顔をして「とても気分が悪いので帰ります」と断言してさっさと帰る事もありました。

「お前、大丈夫か?顔色が悪いぞ」と、単に夜中まで起きて『ラジオ深夜便』を聞いて寝不足だった元気な私に言う担任に、若干の罪悪感を覚えたりしました。


このように話すと、私は登校拒否をしているような雰囲気ですが、実際は月に一度も休んでおりません。
基本的に学校が嫌いなのと、家に帰りたい気持ちが突然強くなり、発作的に帰る、という感じでした。
思春期は難しい。

学校が嫌いだ 小学生編

小学生の頃、学校嫌いだった私にとって、早退するために一度訪れなければならない保健室が大きな関門でした。

ある日の昼休み「そうか、保健室に行くから面倒なんだ。そればらば保健室に行かずに早退しよう」と思い立ちました。

私は、飼育委員の恵子ちゃんがクラスで飼っていたメダカの水槽を洗っている所へ行き

「わたし今から帰るんだけど、もし先生に会ったら、私が帰った事を伝えておいて」

と言って帰宅しました。



帰宅するなり、家にいた母には一応「何も言わずに帰ってきたら先生から電話あると思う」と伝え、
待っていたらやはり電話がかかってきました。

先生は電話で母と話し、次に私に静かに説教をしてくれました。


なんとなく、先生に悪いような気がして、無断早退はそれきりにしました。

母は、小さな事にこだわる女ではなかったので「無断で帰るのはダメだよ」とひとこと言うだけでした。


雨の日に思い出す

小学生の頃、私は学校が嫌いでした。

嫌いでしたので、度々ズル休みやズル早退をしたものでした。


ある雨の日、私はいつもの様に元気なのにも関わらず保健室へ行き、
「頭が痛い」と保健の先生に訴えました。

水銀の体温計を私に手渡し、体温を測るようにと言い、先生はどこかへ。


私はがんばって、脇の下に体温計を強く挟み、勢い良く引き抜くというやり方で、
なんとか摩擦熱で体温計の温度を上げようとがんばっていました。


するとやってきた後々不良になった早川さん。

「こんなのストーブに近づければいいんだよ」

と、優雅にストーブに体温計を近づけ、見事37.5をたたき出しました。


私も、と思ってストーブに近づけましたが、なんと40度を超え、明らかに嘘っぽい数字になってしまいました。


やばいやばい、と一生懸命体温計を冷ましました。

やはり、何事も訓練が必要なのです。

やめてくれたまへ

朝の4:50に、上の階のおばあさんが掃除機をかけます。

やめてくれたまへ

我が寝室の真上で掃除機をかけるのを

やめてくれたまへ





そういえば私の祖母も、朝五時には掃除機をかけていました。

しかし彼女の場合は集合住宅ではなかった。



女は、歳をとると朝の5時に掃除機をかけるようになるのでしょうか。



インターネット

ネットの接続がうまくいかず、問い合わせセンターに電話をしました。

センターに電話するまで、イライラしてパソコンを操作する事40分。
センターが込み合っているため待たされる事20分、対応してくれる事20分。

結局長い時間を費やして、パソコンは復活しました。


そもそもコンピュータというものは、私には複雑すぎるシステムを持っているのです。

私の母は、ネットというものと無縁に生きていますが、それが一番賢い生き方で、賢くなれる生き方のような気もします。


しかしネットは便利なのです。













暑い

夏が、こんなに暑かった事を忘れておりました。

この調子でこの夏を乗り切れるのだろうかと心配になりました。


母系社会の少数民族モソ人

モソ人だ!