愛がバレる

最近、私がバタバタしているので、しげるさんが娘の保育園へお迎えに行っている。

私は家で待つ。


車の音がしたので私はドアを開けて、玄関で待っていた。

車から降りた娘が、私を目指して走ってきて、「大好きなお母さん!!」と言いながら飛びついてきたので、抱き合った。


玄関ドアを開け放したまま愛の劇場を公演したので、ちょうど出てきたお向かいのおじさんに「仲良しだねえ」と冷やかされる。


そして娘が言った。

「私たちの愛が、バレちゃったね❤」


愛が、バレる・・・

なんて可愛いのだ。

追われる夢

 追われる夢ってありますねえ

あれって、プレッシャーを感じている時期に見るんですねえ



私はプレッシャーを感じると、追われる夢ではなくて、「高校で留年する夢」を見るんですねえ


明け方、夢の中で「留年する!!!!!!!!!!」と思った瞬間に目覚めて、また寝付いたのですが、再び留年する夢を見て、起きた。1日に2度は初めてである。


「大学を卒業できなかった夢」も別バージョンであるんですが、やっぱり「高校で留年する夢」の方が辛いんですねえ


私は留年したことが無いんですけどねえ、留年しそうだった時期があったんで、その恐怖心が根深いんですねえ


大学では留年しても、既に取った単位を失うことはないのですが、高校はたとえば2年生になれなかったとしたら、1年生で取るべき単位を最初から取り直さなければならないんで、本当に虚しいのです。



私の父は今でも、高校で留年をする夢を見るようですが、彼は本当に留年したことがあるんですよねえ


ということは、私はきっと死ぬまで「高校で留年する夢」を見続けるんですね

もう20年近く見続けている夢なわけですし

「20年見続ける夢」ってなんとなく「20年追い求める夢」みたいに聞こえますが、違うんですねえ

高級ホテルの朝ごはん

 保育園の帰り、いつも娘とスーパーに立ち寄るのである。


ハムとか、ベーコンなどの加工食品の売っている所を通りかかったら、娘が「ベーコン買って!」とねだるのである。


うーん、、、ビールなら気軽に買うのに、ベーコンは高いぞ。

高いわりに、無くても良いものだ。


しかし娘は言うのである。

「お母さん、前みたいにさ、卵とトマトとベーコンを並べて、高級ホテルみたいな朝ごはんを作って!」と。

先月、近所の有名なハム屋さんに行った際、奮発してベーコンを買ったのであった。


高級ホテルのような朝ごはん・・・

上手いこと言うなあ、とのせられて買ってしまった。ベーコン。1割引のやつ。

今朝、娘のリクエストに答え、高級ホテルの朝ごはんを作った。



さて、我が家はボロアパートなのであるが、先日娘が家の前でアパートを見上げ、「うん、我が家は本当に立派!本当にいい家だよ!!!」と大きな声で言う。

卑下されるのも嫌だけど、それもなあ・・・少し恥ずかしい夕暮れでした。

幸福の限界

 娘が「うちで一番幸せなのは誰だと思う?」と私に問う場合、「お母さんには、たまちゃんとお父さんがいるから、お母さんが一番幸せだよ」という答えを期待しているのだ。


娘は娘で「たまちゃんにはお母さんとお父さんがいるから、たまちゃんが一番幸せ」と言い始め、喫茶店でコーヒー代を支払い合うおばさんみたいな幸福な喜劇を楽しみたい狙いがあるのである。

そんなふうに日々イチャイチャして戯れる我々なのである。



と言うことをしげるさんは理解していないので、「ねえお父さん、うちで一番幸せな人って誰だと思う?」と娘に聞かれた時、しげるさんは「うーん、そうだねえ」と言いながら多分全然別のことを考えていたんだろうなと思う。

これでしげるさんも幸福の喜劇に参加し始めたりしたら、やはり家族という群れとしてのバランスを著しく欠く変人ファミリーが加速するので、これくらいの距離感は必要なのである。


昨日はひな祭りで、娘は寿司パーティーをするつもりで帰宅。

豚肉が三割引で安かったので豚肉のソテーになったと判明した時、娘が崩れ落ちた。

しばらく寝室から帰ってこないので、心配して見に行ったら何のことはない、遊んでいた。

でも「今日は寿司パーティーだって、友達に自慢してたのに!」と言われた。

そうか、多分多くの家庭ではちらし寿司なんだろうな、と思う。

「おひな祭りには寿司パーティーしよう」と娘が言っていたのが先週だから、忘れていると私は思っていたのである。



しかし今朝は「今日は寿司パーティーで、握るから。」と宣言。

最近、我が家では、家で寿司を握るというブームが起きている。

見た目はひどいが、味は本当に美味しい。

私はスーパーを梯子して、何品かサクで仕入れなければならない。今から。

サクはサクで、小さいサクでないとダメなので、なかなか良いものがスーパーにない。

マグロばかり大量にあっても困るのだ。


そして今朝、娘の好物のアサリがとても安かったので、あさりの味噌汁。

お腹減った。



立ち聞き

 娘がしげるさんに「ねえお父さん、うちで一番幸せな人って誰だと思う?」と聞いていた。


色んな意味で深い。


靴並べ

 我が家では、娘の玄関のみんなの靴並べが、お小遣い制になった。

一回一円。

10回分溜まったら、10円が支給されるシステムである。


娘は毎回表にチェックを入れて、「あと3回で10円か・・・」などと算数の計算にもなるのである。


これは我ながら、なかなかいいシステムだと思う。もう20円は支払った。


靴下が行方不明

 今朝、服の入っている引き出しに、こんな紙が貼ってあった。



さがしています。みつけたら0128・・・・

のでんわばんごーにでんわしてください


どうやら、ピンクの靴下が片っぽ行方不明のようだ。


その上に、ツチノコの絵が描いているので、ツチノコを探しているのか?と思ったら違った。




娘はひらがなや数字を勝手に読むようになって勝手に書くようになったが、鏡文字がいくつもある。

この時期は、既に正しく文字を書く子もいれば、興味もない子もいて、それはその後の人生には全く関係ないと思うのである。

しかし字も絵も、興味があるだけですげえじゃん!と思うのだが、本人にとっては違うらしい。


先日、数人の大人の前で、絵と自分の名前を書く機会があったが、固まってしまって大好きな絵すら描かない。


変だなあ、と5分して聞いてみたら、「たまちゃん、鏡文字しか書けない・・・」と名前すら書こうとしないのだ。

「え?鏡文字でもなんでもいーじゃん!」と説得したがダメで、結局『お手本』という名の私の下手な字を見ながら名前を書いていた。(ただ、偶然ではあるが、娘は自分の名前に関しては全て鏡文字ではないのだが・・・)


いつも好きで字も絵も自由に家では書くのに、なんとなく「評価される場所」かもと思った時点でフリーズするのである。

実際は、自分だけの卒園アルバムの表紙を描く場面で、評価もなにもなく、なんでもいいものなのに。


そして初めて知った娘の特徴。「プライドが高い」である。

その他の特徴には「超欲ばり」「超食いしん坊」とかがあるが、それは私の遺伝だ。



誰かが見ている

荷物が届いた。目が合った。

ポテトチップスを与えたら、お茶を欲しがった。

お茶を飲ませた。


昨日、娘は一人でこの段ボールに入って遊んでたら、転倒した。
 

ダヴィンチ

ゲシュタルト崩壊をご存知ですか。

例えば娘が「お母さん、なんだか『ふね』という言葉をずっと『ふね、ふね、ふね・・・』と考えていたら、なんだか変な気持ちなる」と言った場合、それは私にとってはチャンスなのです。
「それはね、ゲシュタルト崩壊という現象なんだよ」と言って説明すると、娘は理解し、以降そのような現象があると「お母さん!ゲシュタルト崩壊だ!」と報告してきます。


私も多分10代の頃に、父に「文字をじっと見ていると分裂して見えてきて変になる」と言ったら「それはゲシュタルト崩壊というんだよ」と教えられ、身体に電撃が走りました。

こんなニッチな現象を研究している人がいてその現象に名前がついているなんて!
そして『ゲシュタルト』なんてイケてる単語!


「ゲシュタルト崩壊」レベルの難しい言葉を私はあまり知りませんが、とりあえずこの言葉は私にとって大きな存在なのです。

知識は言葉だと思います。

例えば家父長制の中で生きる人間が、この世で起こる性を理由とした理不尽な出来事に対して、言語化し、考えるためにはジェンダー論を学ぶことがとても有益です。
言葉がないと、不快に感じる出来事に関して、それが正当でない扱いであることも理解しづらいものです。


最近は、子育てにおいて『感情のラベリングの必要性』についての記事を読むことがあります。語彙の少ない、人生経験の浅い子供にとって、自分の感情が大きく揺れた時に、「それは悲しいんだね」とか「すごく怒っているんだね」とか、その子の心の状況の説明をその子自身にしてあげることで、自分自身の感情をコントロールしやすくしてあげる、ということ。

それと同じで、ぶつかった不思議なこと、おかしなこと、面白そうなことを整理して広げてあげることも、その子の人生を豊かにすると思います。
多分、大人は本を読むことで、自分でその行いをしているのだと思っています。



私は『真の教育ママ』を目指しているのですが、真の教育ママは子供の知的好奇心を広げることに尽力します。面白い話をたくさんしてあげたいのです。

だから私自身も面白いことをたくさん勉強しないと、真の教育ママにはなれないのです。
そして真の教育ママは、自分と向き合わないとなれない存在なのです。



でも私は自分が本を読もうとすると、娘に「絵本を読んで」と邪魔されるので、自分の本を読む時間が全然取れません。

ダヴィンチの話を書こうと思ったので、タイトルをダヴィンチにしたのに、結局ゲシュタルト崩壊になってしまいましたが、私は中途半端な人間なのでそれでいいのです。




せかしたくない

朝、定刻通りに保育園に行くこと。

夜、布団に早めに入れて寝かせること。


毎日、育児において、この二つのリミットのためにバタバタしている。


で、私は「早く早く!」と言ってしまう。

朝には「早く歯を磨いて、熱計って!!」と言い、夜には「早くお布団入らないと絵本を読む時間がなくなるよ!」と急かす。


私は知っている。

子供を「早く早く」と急かすことは、理想的な育児とは程遠いということを・・・

そして「早く〇〇しないと、絵本読む時間がなくなるよ」という言葉は、脅しであるということを・・・


なので先日「いつも、『早く早く』って言ってごめんね。」と娘に謝ったら、

「お母さんは、それで嫌な気持ちになるの?」と聞いてくる。

なので「たまちゃんが嫌な気持ちになるんだろうな、と思うとお母さんも嫌な気持ちになるから、嫌な気持ちだと思う」と答えると

「たまちゃんは、お母さんが嫌な気持ちじゃないなら嫌な気持ちじゃないよ」と言う。



禅問答みたいだ。