まだ竜宮城に連れて行ってもらっていない

 近所にお堀がたくさんあるので、迷い亀が時々いる。

先日も犬の散歩中に、犬が見つけた迷い亀。水辺と離れているし、暑さでやられているのかも。と思い、犬のうんち用に持っていたビニール袋を両手にはめて、水辺まで運んでやった。


2度目だ。


先ほども犬の散歩をしていたら、犬が立ち止まってクンクン嗅ぐので見てみたら、今度は子亀。

直径5cmほどの子亀が数匹。

可愛くて連れて帰りたくなったが、大きくなったら飼えないのでぐっと我慢。

亀よ、幸せになれ。


多分、誰かが離したペットのミドリガメが繁殖しているんだな。

欲望に震える7歳児

午前中、 娘と庭で草取りをしていたら、突然ブルルっと身震いして

「お母さん、今、私、ここにテントを出したいという欲望で震えがきた」

と言うので、どうぞと返事をしました。


午後、娘はお友達3人と共に遊びに行き、近所の駄菓子屋で体に悪そうなお菓子を買ったようだ。

友達を外のテントに招待して、楽しそうに遊んだ。


砂肝が大好きな娘。

先日の晩御飯に砂肝の料理を出したら

「砂肝こそが、食感の『コリコリしている』と言う表現がふさわしいと思う」

としみじみ言った。

面白い発言なので、私はメモした。

ちなみに砂肝の料理は、茹でて、細かく切った長ネギと、醤油麹と、ニンニクと、胡麻油で混ぜただけ。美味しいよ。



題名が浮かばないので題名はありません

 読書感想文を小学生の頃書かされていましたが、私がそこで学んだのは

①感想文用のプリントの半分を使ってあらすじを書く

②一番印象的なシーンを書く

③「面白かった」とか「ドキドキした」とか、その本に当てはまりそうな適当な感想を書く

というやっつけの構成だけであった。

感想なんて何を書けば良いのかわからないので、要約と本文書き写しを主体にするのだ。

 

で、読書感想文って教育上意味あるのか?

と思い続けて子供を産んで、絵本と育児、教育などの観点から色々本も読み、講演会を聞いたりして出た結論が、『子供に読書感想文書かせても良い事が特にない』という事だった。

自ら書きたい子供なら良いんだけど。


子供によっても違うとは思うが、とりあえず私の娘に関しては、読書感想文が向かないタイプだと判断していたので、行き渋りする娘が学校を早退した日にやらせているZ会でも、感想文的な問題はやらせていなかった。

(小学生用の最近のZ会は、『ここをこういうふうに褒める』とかの親向けのご丁寧なアドバイスブックまである。全く活用していないので、そのアドバイスはオプションにして、値段を下げて欲しい)



そして事件は起きた。


先日の小学校の、授業参観の国語の授業の時である。

クラスで班を作り、1班ずつで音読発表をし、残りの子たちはお互いの班だか生徒だかの音読で良かった点を、プリントに書いていくという授業であった。

最近、そういう授業が結構あるらしい。

担任の先生は言葉のお手本に『ゆっくり読んでいたので聞きやすかった』とか『大きな声だった』とか、例を提示していたが、とにかく娘の授業態度がひどい。

みんながプリントにせっせと何やら感想を書いているのに、たった一人でボーッとして、机に突っ伏したりアクビをしたり。

先生も心配して声をかけてくださって。


ついに娘のプリントが白紙のまま授業が終わり、そのプリントは回収されていった・・・


その後、「なんで感想書かなかったの?」と聞いたら、「だって無理に書けって言われても書けないんだもん」と言う。

おかしいぞ。

娘は物語を作る事だってスラスラできるんだから、感想文を書く事だっていくらでもできるはずだ、娘は不真面目なのか?と一瞬、娘を疑ってしまったが、よくよく聞いてみても「本当に何も浮かばないんだよ。だから無理なの」と真剣だ。


ああ、不真面目なのは単に私の方だったんだな、というお話。

そしてやっぱり娘には、多分読書感想文は向かないと思う。

そして娘が学校の授業が苦手なこともよく理解できた。



先日、娘が宿題で書いていた日記の題名が『題名が浮かばないので題名はありません』だった。

ちなみに内容は、「お友達から借りて、初めてゲームをした。面白かった」という内容であった。

窓ぎわのトットちゃん

娘と図書館へ行き、各自本を探す。
娘が持って来たのはこの本であった。



帰宅するなり「お願いだから少し読んで」とせがまれて、短編集だったので本のタイトルになっていた『吸血鬼の花よめ』を読む。

しかし私は、娘用に『窓ぎわのトットちゃん』を借りていたのだ。
私も読んでみたかったので。




そうしたら、トットちゃん素晴らしい。
トットちゃん、何が素晴らしいかって、全てが素晴らしいのだ。

いいなあ、娘もこんな学校があったら、学校へ行くのが毎日楽しみなんだろうな、ああ、いいな。
と、夜に娘に読み聞かせながら私は羨んでいる。

何が?と思った方、ぜひ読んでみて、トットちゃん。

娘が3歳の頃から、読んでいるこの本。
松谷みよ子の『ちいさいモモちゃん』と同じように我が家の殿堂入りを果たしました。




娘の足の裏


昨夜、娘が足の痒さを訴えるので、薬を塗ったりしていた。
娘の足の裏が、あまりにも可愛いので衝撃であった。

今日は学校へ行く娘の足の裏を考えて、母は癒やされている。

さて先日、旬の蛤を食べた。
殻をもらってきて、娘は貝合わせを製作中。
和風のお姫様は難しいので、洋風にしたとのこと。


かわいい。

さて娘は、私のアトリエでも寝室でも、あらゆる場所で家を広げてしまう。
もらったシルバニアファミリーの家とか。自分で段ボールで作った家とか。


私の人形もおままごとに使われる。

娘は本当にかわいい。
憎たらしいことも多いけど。

 

春が来た

 3日前の朝、顔を洗っていたらウグイスの声を聞きました。

クモも出てきていますねえ。春ですねえ。


今日は部屋の掃除で出た本とCDを近所のショッピングモールのブックオフへ持って行きました。

50分待たされるというのでショッピングモールをぶらぶらと。


ああ!犬の散歩に履いていけるようなズボン!6千円が2千円になってる〜!


と買ってしまった。


ブックオフでは紙袋ひとつ分でしたが4500円になりまして、よかったよかった。

500円かと思っていたけど。


と思いながら家路について。

でもズボンの色が白くて、これは汚れがつくかなあ

と思いながら、まずカフェオレでも飲もうとエスプレッソを入れました。

エスプレッソをこぼしました。

タグを切ってもいない、新品の白いズボンを汚しました。


犬と娘

 
犬のちくわが可愛すぎる。

ちくわはとても穏やかで、ひっくり返しても何しても怒らない。
牙を剥いた顔を見たこともない。
嫌なことがあると、さっと立ち上がって移動するだけなのだ。

犬のおかげで娘も幸せになり、私もしげるさんも健康的になり、本当に可愛い。


我が家の犬は、パテラという障害があるらしい。

膝のお皿が平均よりも浅く、脚の関節が外れやすい先天性の障害である。


なので、ペットショップで売ることができず、たらい回しで生きて来て、1歳3ヶ月で我が家に貰われて来たのである。

どんな人生を送って来たのか想像すると、多分ずっとケージに入れられ続けて、散歩は排泄のために少し、という感じ。

でも虐待は受けていないと思う。


脚のお皿は浅いらしいが、実際うちに来たばかりの頃、一度だけ関節が外れ、キャイーンと泣いて足をブンブン振り回し、自分で関節をはめ込んでことなきを得た。

すごく心配だった。


パテラがひどくなるとしょっちゅう関節が外れて、手術すると片足25万円。

うちのは両足ともにパテらだから50万円らしい。


パテラのグレードは5段階あり、我が家は片足3で、もう片足が4なんだって。


で、ちくわを保護、譲渡してくれた女性曰く、まあ手術する犬は稀で、みんな足をブンブン振り回して自分で関節はめているよ、とのこと。

それより体重を増やさないようにして、散歩で筋肉つけてあげて。とのことで。


はい、頑張りました。

ちくわは我が家に来たばかりの頃、深窓の令嬢感が激しく、麗しの乙女だったのに、最近ではマッチョで野生味溢れる犬になった。

関節が外れたことも、あれ以来一度もなく。

一日2時間近く散歩しているからな。もちろん短い日もあって、もっともっと長い日もある。

でもまだ足りないらしい。人を見るなりボールを加えてやって来て、遊ぼうと催促するのである。つぶらな瞳でじっと見て。


今まではボールの遊び方も知らず、この数ヶ月で覚えたのだ。

日を追うごとに信頼関係が築けて、ようやく仲良くなったような感じもする。


犬を飼うまでは、犬種以外で犬の区別が付かなかったが、私は今ならば100匹の黒柴がいてもちくわを判別できる。

鳥もまた然り。
オカメインコが100羽いても、私は我が家のメンメンを見つけられる。



さて、娘について。
なんだか私は、娘に余計なことを言って深く後悔することが時々ある。
今私は絶賛奈落の底である。
親子関係は難しい。


忘録

 私は母から「あんたはしっかりしている」と言われ続けたので、自分はとてもしっかりした人間だと思って生きてきた。

しかし、どうやら違うらしいと言うことに気づいたのが20代半ば。


昨日、名古屋の銀行へ口座解約をしに行った。

電車で約30分である。

私の実家も新宿まで電車で約30分なので、街とのこの距離感はなかなか身に馴染んでいいものだ。


とか思って、全部済ませて、隣駅の雑貨屋さんへ寄ったら電話。

銀行からの電話であって、口座解約に伴い、貯金を他の口座に移す手続きをしたのだが、振り込み用紙に記入した支店を間違えていたようだ。

正しくは調布南支店。私が書いたのは南大沢支店。似てるじゃないか。

よくよく聞くと、口座番号も間違えていた。

数字を二つ、入れ替えて書いていたようだ。


さて名古屋駅へ戻ろう、と思って、駅直通の雑貨屋のあるビルから、駅へ帰る時に迷子になり、二人の若者を呼び止めて道を聞き、一人のお嬢さんに駅まで送ってもらったとさ・・・


わざわざ名古屋駅まで戻って、駅ビル28階まで再び戻りましたとさ。

そうしたら『三菱UFJ銀行』を私は間違って『三菱東京UFJ銀行』と書いたりしていたとさ。

銀行名が変わっているなんて知らなかったよ!


なんとか家に帰り着いた。疲れた。とても疲れた。

そして夕方スーパーのレジで、牛乳を落として角を凹ませた。


そういえば、この前は同じスーパーで卵落として割ったな・・・



さて本日、確定申告などやろうと思ったら、昨日使った通帳がない。

通帳がないのだ。

とりあえず、通帳紛失で口座をストップした。今はスマホからすぐできるようだ。すごいなあ。

仕方がないので他の作業に入ったら、『大事なファイル』にその通帳がしっかりと挟まっていたとさ。


まあ電車の逆走はよくやるし、多分私は、人から見たらよほど間抜けなんだろうなと思う。


これらと、私がパンを食べるときにパン屑を子供のようにボロボロと落としてしまうことや、引き出しをしっかり閉めないとか、そう言うことは全て同じ原因なんだろうなと思う。

何かをやっている最中に違うことを考えているからこうなるのだ。

多分、私の脳みそのどこかの機能が、平均よりも弱いんだなと思うよ。

娘に遺伝してないことを切に願う。

野の乙女

私はよく野菜を干します。
スーパーの見切り品で、セロリの束があると嬉しい。
刻んで干して、乾いたらジップロックに入れて冷蔵庫へ。

ポトフでもミネストローネでもミートソースでも、
いつでもパッと入れられて大変よろしい。

今干しているのは輪切りの大根。
大根がしんなりしてしまったり、大量にあったりすると、輪切りにして干す。
細かくするのは面倒になったので、適当な輪切りに。
煮物にも味噌汁にも美味しいよ。

さてこれは何をしているのかと言うと、娘が干してあるネットを見ては
「あのネット、おままごとに使いたい」と言い続けるので
「なら自分で中の大根をザルに移しておいて」
と言ったらせっせと大根を移している。の図。
構図が可愛いので写真を撮りましたとさ。

犬は木に絡みついて寝ているし。

結局ネットは、羊のぬいぐるみ専用の三段ベッドになったとさ。
 

言葉と枠組み

 言葉というのは分析すればするほど、いろんな側面が見えてきます。


子育て中の親子関係において、親が子供に話しかける『言葉』は、その子どもの『思考の枠組み、骨組み』なんだなあと育児をしていていつもいつも思います。


子供はボヤンと頭で考えたことを、言語化しようと努力することがよくあります。

そこで助け舟を出す時、どんな舟を出すかで子供の人格は変化します。


だから私は、できるだけポジティブで、明瞭で、わかりやすい言葉を心がけます。

だからと言って簡単な言葉を使えば、説明が簡単になるわけでもないから、子育ては難しい。



昨日、娘が「最近、たまちゃんは『物理的に』っていう言葉が好きなんだよね」と言う。

そういえば、娘は最近『物理的に』を多用し、3割くらい間違って使っていた。

間違いをいちいち指摘するのも教育上良くないと私は思っているので、娘が間違えた場合、それをしばらく泳がせることも多い。

難しい言葉を使ってみよう、というチャレンジ精神だけで、もう正解なのだから。

大人になっても間違っていることは無いし。


で、娘は「『物理的に』って好きなんだけど、意味がよくわからない」と言うので、私の全く物理のセンスのない頭で「物理」を一生懸命説明した。リンゴが落ちるとか、その学問がどう役立つか、地震で高いビルがどう揺れるかとか、そういうことだが、きっと人が聞いたら呆れるような説明だ。


でもそうしたら娘が、「ああ、この世界のこと、ってことね」と納得してくれた。

そうそう、『この世界のこと』!


すごいぞ。娘に学ぶ物理。私の思考の枠組みも、娘がずいぶん形成し直している気がする。


そういえば、先日、「お母さん、『もの』っていう漢字はあるの?」と聞かれて、

「あるよ。物体、ってあるでしょ。ブッタイのブツ、ブツリのブツとも読むよ」

と説明していたところからの、『物理的』の流れでした。


高校生の頃、「波津さん、理科の選択科目で物理を取る人が居ないの。取ってくれない?物理の先生はすごく甘いから、単位を落とすことは絶対にないから」と担任に頼まれて取った物理。

テストは0点に近かったが、確かに単位をもらえた。

そして確かに、受講者が4、5人しかいなかった。人気がなかった。

近所の肉屋

 近所に肉屋がある。

西の方では肉屋と言えば『豚肉・牛肉』を扱っており、かしわ屋で『鶏肉』が売っているのだ。

そして我が家からは、歩いて1分もしないところに、肉屋とかしわ屋があるのだ。


さて、歩いて10分の所には、都内のデパ地下にも惣菜などで出店している大きな肉屋がある。


先ほど私は、冷凍庫に凍らせていた豚の挽肉を解凍し、炒め、昼食のフォーにのせて食べた。


私はすごいぞ。

その挽肉が、スーパーの挽肉か、近くの肉屋か、はたまた徒歩10分の大きな肉屋の挽肉か。

食べたらすぐわかった。

美味しさが違う。


それは豚こまでも同じこと。

徒歩1分のお肉屋さん、本当に美味しいのだ。

挽肉ください、と頼めば、その場でミンチにしてくれる。

豚肉ください、と言えば、タイミングによってはその場でスライス。

挽肉も豚こまも、180円とスーパーの倍の値段なのだが、美味しさは明らかに倍以上である。

もう別物なのだ。


そして悩むのだ。

スーパーの豚こま400g買うか、隣の肉屋の挽肉を200g買うか。


いや待てよ、野菜。

野菜は自転車で1分の商店街に、市場が立つのでそこで安く買える。

白菜もキャベツも大根も、一つ100円だ。

その積み重ねで野菜の値段を抑え、肉に食費を回せるのではないか。

そして肉に関して言えば、私は美味しいものを知ってしまって後戻りが難しい。


もう、たとえ肉を食べる量が半分になろうとも、私は肉屋で肉を買うかもしれない。


もし私がすごく大金持ちになったら、週に2回は刺身を買う。

そして隣の肉屋で悩むことなく豚こまを買うであろう。フハハハハ


ちなみに、そこのお肉屋さんの坊ちゃんの1人と、我が娘は同じクラスである。

そしてお肉屋さん一家とは町内のメンバーとして顔見知りである。ハッハッハ


説教したがる男たち

 



犬の散歩で早朝、神社の前の公園で娘と遊んでいたら、70歳前後の男性がこちらに近寄って来て挨拶をしました。

私も挨拶をしました。


世間話で私が引っ越して来たばかりであるとか、そういう話をしましたら

「この街には4つの大きな寺社仏閣がある。だからいつも、その方角に私は頭を下げて挨拶をする」

と言う。

そうなんだ、確かに大きな神社や鳥居があるし、信心ぶかい人だなあ、と思ったら

「君も挨拶をした方がいい」

と促される。


そして「最近は、早朝のすれ違いざまに挨拶をしても、4人に3人は返さない」らしい。


ふーん、そうなんだ。

と思って家路についた。



数日後、また同じおじさんに遭遇した。


「その後、神様に挨拶はしていますか?」


と聞かれた。びっくりした。


すごくびっくりして数分後、

なんで私が神様に挨拶するタイミングをお前が決めるんじゃ!

と腹が立ってきた。


この話、日本のサラリーマン、定年、地方都市、ジェンダー、宗教、と色々な観点から話ができます。



さて、レベッカソルニットというアメリカの作家がいます。

以前、勧められて図書館にて彼女の本を全部借りましたが(飛ばし読みしましたが)、お目当てだったこの本「説教したがる男たち」がありませんでした。

図書館にリクエストをして2ヶ月後、近くの街の図書館から借りてもらえました。

図書館で買ってくれたら良いのに、良い本なのに。と思うけれど、図書館司書たちの会議で「借りる」に止まったんだなあ、と残念無念。
また借りる、というのが気軽にできないのが悔しい。


そしてこの本、先日は新聞の人生相談の回答で引用されていた。

話題の本だわ〜






さてもう一冊。

「悪い母親になるのは本当に簡単だ。自然分娩で子を産み、乳腺炎を患いながら母乳を与え、布おむつを一枚ずつ手洗いしても、気晴らしに子供を連れて少しのあいだ外出し、風邪でも引かせたら、たちまちわがままな母親となる。

悪い父親になるのは、とても難しいことだ。子供が泣いているとき耳をふさいで寝ていても、哺乳瓶の消毒をしなくても、お風呂に入れなくても、ベビーカーを押して近所を一周しただけで、すぐに優しい父親として持ち上げられる。」

「百のうち一つを間違えただけで悪い母親になるのに、百のうち一つだけ上手くやれば良い父親になれる社会は正常とはいえない」

(「私は男でフェミニストです」チェ・スンボム/世界思想社p30)

これこれ。



女が364日手料理を作っても、1日カップラーメンを子供に食べさせるとそれが叩かれる感じ。

妻が子供の面倒を見続けて、ごくたまに夫に子供を「預けて」、それですごく妻が感謝するし、世間もブラボーって感じ。


最近韓国のフェミニズムが熱いです。

この本もひょんな事から近所の図書館で借りたのですが、二日後の新聞の書評に載っていたので、多分数人、予約が入っているはず。

と思って確認したら、予約者1名だって。

渋谷区の図書館を見てみたら予約者が10名。

ああ、首都圏から離れる利点は図書館にあり。とニヤリとするのだ、私は。

嫌な性格である。

自家床屋

 


バリカンを買って、自分で髪を切ることにした。


3900円。

高いな、と思い悩んでいたが、美容院に行ったと思えば安い。

引っ越しをしてから、一度も行ってなかなったのだ、美容院。



これから私は、行きつけの美容院に行く以外は、自分でバリ刈る人生と決めた。

合わせ鏡で頑張った。


後頭部、下の方を刈り込むと、髪の多い私でも普段の生活がずっと楽になるのだ。


ハハハハハ


戸川幸夫がすごい

我が家ではタヌキが娘に本を運んでくるタヌキシステムなるものがある。

タヌキが本を運んで来てくれるのだ。

先日来たのがこれだ。



これがすごく面白かった。
娘の読み聞かせで数日。

物語の始まりは、お金持ちの奥様が子犬を数匹、お手伝いに捨てさせるところから始まる。

そこにいたのが賢い犬のマル。
いっときは貰われていった優しい家族もいたが、家が火事になり、マルは保健所に捕まり・・・・
洋犬のお嬢様犬との恋とか。

と苦難の道を経て、マルはついにサーカスに入り、幸せになる。
最後にはかつての優しい家族との再会まであるのだ。

犬に夢中の私たち母子は、このお話に夢中になった。

この本は確か、かつてよく通った郵便局の「リサイクル図書」でもらってきたもの。


さて、読み終えたので、次はどの本にしようかな、とタヌキボックスを見てみるとこれが。




同じ作者だ!!
さて私は恥ずかしながら知らなかったが、この戸川幸夫さんという方、椋鳩十と並ぶ、児童動物文学の巨匠なんですって。

この本は「のら犬物語」と比べて、幾分難しいのだが、なんとか許容範囲内。
娘に読み聞かせながらハラハラドキドキして、2人で布団で騒いでいる。

物語の始まりは、エスキモー(原文まま)の親子と、犬ぞりの犬9匹の旅から始まる。
部落から、一番近い街へ買い出しに行った2人。
しかし、吹雪と狼の群れに襲われる。

『この方向へ進めば洞窟がある。四方からオオカミに狙われるより、洞窟に入って入り口を銃で守ろう』という計画のもと、洞窟まで行くのだが、その洞窟があるのが40km先なのだ。
(スケール感が河口慧海!)

そして二日間、オオカミと戦いながらの移動が続くのだが、ついに犬は順々に力つき、親子も・・・

そこで生き残ったのがただ1匹。賢いメス犬のユーコンである。
ユーコンはそのオオカミの群れに加わり・・・・1972年初版。




カムイ伝を読んでいる気分だ。面白いぞ。すごく面白いぞ。



オーロラの美しさとか、太陽の位置とか、娘には難しい言葉の表現がたくさん出てくるが、多分そこをあまり理解せずとも娘は面白いんだろう。もっと続きを読んで、とせがむので。

本当に面白い。ドイツの児童文学『クラバート』以来の当たりの本であった。

この本もリサイクル図書で、無料だったから貰ってきたやつ。
本との出会いって難しいから、誰か色々私に教えてくれないかなあ。

こういう時に、近所に個人経営の古本屋とかがあれば良いんだよな。本当に。

娘のいたずら

 

寝ている犬の脚の下に図鑑を置き、しば犬を指し示させる。

セリフを書く「つまんないの」

宝物の天然石を握らせる(挟む?)

これらをしても起きない。
犬が可愛すぎる。



教頭先生がすごい

 娘が時々「お母さんは悩みある?」と聞いてくる。

この場合、たいてい娘は、私に吐露したい何かを抱えているのである。


昨日は、クラスの班で飼っていたダンゴムシの世話をせず、死なせてしまったことをクラスメイトとともに担任の先生に叱られたことについてであった。

そして「ちゃんとお世話していたの?」と先生に聞かれたけど、本当はしてなかったけど「していた」と嘘をついてしまった。


さて、その告白に続き、娘が言うには

「たまちゃんは、お母さんと教頭先生にはなんでも話せる。このことも、教頭先生になら話せると思う」

そうか。そんなに教頭先生を信頼しているんだなあ、教頭先生すごいなあ。

私にはそんな先生いなかったなあ。



さて、また我が家の犬、ちくわの話である。

我が家の柴犬は、とにかく穏やかである。

寝ている犬の耳をほじろうが何しようが、器が大きいのか気にもしない。

散歩に行くと途端に若返って(まだ一歳半だけど)興奮し続けるが、とにかく穏やかなのである。

そして私は思った。

この犬がもし人間ならば、私など足元にも及ばない高貴な精神を持った人であろう。

そして私が犬であれば、ちくわには近寄れないほど下等な感じの犬なんだろう。

そして私は最近、自分の飼っている犬、ちくわを尊敬の眼差しで見ている。


母系社会の少数民族モソ人

モソ人だ!