2018年6月17日日曜日

あめ玉事件

娘とピクニックへ行くので、私は朝早くから弁当を作っていた。
娘としげるさんには同時に朝ご飯を提供した。


さあ、私がご飯を食べて、洗濯物を干したら行くよ、と言う段階で、娘がピクニックへ持って行くお菓子を選ぶので、娘にお菓子箱を渡したのだ。

娘は以前、人から頂いたペコちゃんのチョコレートキャンディを選んだようだ。

そして「たまちゃんは、お菓子箱を見ると食べたくなっちゃうから、早くしまって」と娘に言われたが、私は朝ご飯を食べていた。

「お母さん、ようやく座れて朝ご飯だから、あとでしまうね」と言った。

これがまずかったのか?



娘はどうしても、お菓子箱に入っているあめ玉を食べたがった。

「チョコレート持って行くんでしょ?あめ玉は食べてはいけません」

と言いましたが、娘は「でも食べたいの」という。

普段ならこれで諦める娘なのだが、その時の娘は違った。

あめ玉の袋を破いたのだ。

「それで食べたらピクニックも行かないよ!」と言ったが、娘はあめ玉を口に放り込んだ。

私、激怒。

「なんで食べるの!ダメって言ったでしょ!!!」と私が怒鳴ると、娘が驚いて「わーん」と泣き叫び、あめ玉が口からポーンと飛び出した。

「もう勝手にして!」と捨て台詞と娘を残し(ここ、私も怒っていたのでうろ覚え)隣の部屋でプリプリしながら洗濯物を干し始めた。





そして私は怒っていたが、この後の対処がわからない。

どうすればいいのだ?

食べたらピクニックへ行かない!と言った手前、甘やかさずに今日はピクニックは無しにすべきか?

娘が居間で泣き続けている。

「だっこー!!だっこー!!」と泣き続けている。


そして私は冷静な対処がその時できないと判断したので、しげる氏に電話して意見を求めたら「落ち着いたら注意して、それからピクニックに行くべし」という事だった。


確かにそうだよな。所詮三歳児のする事であるし、ピクニックに連れて行かない、というのは単に怒った私の意地だよな。しかも、娘自身がお菓子箱をしまって欲しいと言っていたわけだし。

しかしここで私の心に引っかかるのが、人が娘を見て「甘やかして育てている」と指摘される事が時々あるからである。

いやしかし、確かにここでピクニックをやめる、という選択をして、何か彼女の人生にプラスになる事があるだろうか?
と悩むのである。



さて居間で泣き続ける娘をとりあえず放置するが、ジリジリと泣きながら私の所まで来た。
泣いているのも半分嘘泣きで、足で壁を蹴りながらこちらに対して「だっこ〜〜!!」と泣いている。

とりあえず抱っこして、娘が謝ったのでそれで終わり。
そのままピクニックに行ったという顛末である。



しかし、私はお菓子にいつも厳しい訳ではない。
私の総合的な判断でダメな場合は、単にダメなのである。

あめ玉事件の問題点は、『あめ玉を食べた事』ではなくて、『お菓子大臣の母親の言う事に従わなかった事』である。

そして大人都合の外出時はお菓子をたくさん食べていい事にしているので、それまた「甘やかしている」と指摘されるのである。



さてピクニックへ行った公園とは近所の幼稚園の園庭なのだが、裏山の林に無数のアスレチックがあり、ローラー滑り台が超長い、というような巨大な園庭なのである。

弁当持参で行って、疲れるまで遊べばいいやと思ったら娘は4時間遊び続けた。

「帰ろう」と声をかけたら、もう疲れ果ててそこでクダを巻き始め、「もっと遊ぶ!!」と反り返って泣き叫び、訳が分からなくなったから抱っこで強制帰宅。

手足を洗って布団に入ったら5分で寝た。

疲れていないうちに帰らせると、当然「帰りたくない!」とわめくし、疲れてから帰らせようとすると「もっと遊ぶ!!」と訳が分からなくなって泣き叫ぶのですが、これはどうすればいいのでしょうか?

「こどものペースに合わせて、好きなだけ遊ばせてあげて」と育児の専門家の先生がよく言うが、そんなことしたらわが娘は、疲れて眠たくなるまで遊び続け、突然疲れがピークになり、林でひっくり返って泣き叫び、大変な事になるのですが、先生、本当にどうすればいいのでしょうか・・・・



2018年6月13日水曜日

オムライス

基本的に私は、和食か中華ばかり作ります。


先日娘が「お母さん、オムライスってなあに?」と聞いて来た。

オムライスは保育園の給食でも出ないのだ。


そうか、娘は子供なのにオムライスを食べた事が無いのだ。

と不憫に思い、我が家にはケチャップは無いので新たに購入し、数日後にオムライスを食べさせた。



昨日は、「お母さん、ピザってなあに?」と聞いて来た。

「今度作って」と言われた。


ピザかあ。パン焼き機で簡単にピザ生地は練れるのだが、肝心のピザソースがなあ。

ケチャップ同様、一度使ったきりであまってしまうんだよなあ。



と言う事で、今度実家に帰ったらピザソースを少し分けてもらう事にした。

ピザソースまで作る気にならない。

バジルなら庭で育てているのが繁っている。


2018年6月12日火曜日

どろろ

3歳の娘は、とろろ昆布が大好きである。

保育園から帰ってくると、海苔、とろろ昆布、お麩、出汁用の昆布を細く裂いたもの、の4種盛りを皿に作り、晩ご飯までの時間に堪能している。


しかし最近、「とろろ昆布はどうやって作っているの?」としきりに聞いてくるので、私は前にデパートの催事で見かけたとろろ昆布を作るおじさんの話を、何度も繰り返し話しました。




これは映像で見せられないかな、と思ってユーチューブで探したらありました。
 

これを見て娘も納得した様です。

ユーチューブはすごいなあ。

2018年6月11日月曜日

にゅうよく ニューヨーク

ニューヨークに小さな東京タワーがあって、その中に入ると超細長い図書館だったのだ。

そして地震が来て慌てる。という夢を見た。


時々行く日帰り温泉の休憩室に、子供の遊ぶスペースがある。

昨日は娘がそのスペースから帰ろうとしないので、私は出口に立って

「早くおいで〜お母さん先に帰っちゃうよ〜」

と遠くから声をかけたら、木馬に乗った娘が

「お母さん!!!後ろを見て!!」と叫ぶ。

続けて「ほら!後ろに!お母さんの好きなビールのマーク!!!!」と叫ぶ。


振り向くと、確かにキリンビールの大きなポスターがありましたよ。

休憩室の全ての人々が、私がビール好きであることを把握した瞬間であったが、厳密に言うとキリンが好きなのは私よりもしげるさんである。

2018年6月7日木曜日

ぬか漬け

去年の夏、私のぬか床に子バエが沸いた。

かき混ぜている時に、混入したヤツに卵を産みつけられたようだった。

冷蔵庫に入れていれば問題無いのだろうが、我が家の冷蔵庫は小さいのだ。


くやしいが気持ちが悪いので全部捨てた。



しばらくぬか床の顔も見たく無かったので、ぬか漬けはお休み。



しかし不思議な事に、普通に生きているだけなのに、人とぬか漬けの話をする機会が大変多い。


そして娘を連れている時、たとえば近所のおじちゃんやおばちゃんとぬか漬けの話になる度に、娘が「ウチのぬか床には、ハエが卵を産んだんだよ」とニヤリと笑って告げ口するのだ。

これが恥ずかしい。



しかしこの夏、再びぬか床を始めた。

壺はしげる氏のおばあちゃんの家から借りて来た結構大きい壺で、糠は近所の精米所からもらって来た糠。

初期投資ゼロ円が嬉しいが、ひと昔前ならばぬか床を作るのにお金をかける方が珍しかったのではと思う。

今回は、今までで最大の大きさの壺であるが、これで白菜1/4を漬けられるようになった。

去年までは、陶芸家の友人が作った骨壺(とても大きい。日本は地域によって骨壺の大きさが全然違います)でぬか漬けをやっていたが、白菜1/4は入らなかった。
その骨壺は今、花を生けるのに使われています。


さて私はサボテンすら枯らす人間なので、とうぜんぬか床を維持するのも下手なのだ。

今回は何年持つ事やら。

2018年6月6日水曜日

シナプス礼賛

今朝は、ローマ法王とゴダールの映画について語り合う夢を見た。


それだけ聞くとなんだかかっこいいが、私はかつて数本見たゴダールの映画なんて、中身もよく分からなかったし今は何も覚えていない。

しかも私が法王に一生懸命語っていた映画は、ゴダールの映画ではなくてジャン・コクトーの監督した『オルフェ』についてであった。


しかしここで驚くべきは、質が絶賛低下中の私の脳みそでさえ、20歳の頃に見て以来、思い出す事も無かった映画『オルフェ』の事を結構細かく夢の中で再生できたという事である。

シナプスはすごい。本当にすごいぞ。

夢に見なければ、思い出そうと思っても思い出せなかった映画の内容である。


そして今日は、『ジャン・コクトー』が思い出せず、ネットで「オルフェ フランス 劇作家 映画」と検索してようやく『ジャン・コクトー』の名前に到達したのである。

2018年6月5日火曜日

イモの呪い

「そういえば、ジャガイモが無いな」と思うと、頭の中では「ジャガイモ買わねば」モードになる。

生協で3kg頼んだにも関わらず、翌週も3kg頼んでしまった。

しかも、近所のスーパーの見切り品でジャガイモが沢山出ていたのでそこでも買ってしまっていて、我が家はジャガイモ地獄になってしまった。



主婦は、朝ご飯を食べながら昼の献立を考え、昼ご飯を食べながら晩ご飯の献立を考え、晩ご飯を食べながら翌日の献立を考えるのである。

これを自分が老人ホームに入るまで続けるのである。


しかし幸運なことに、私は調理が嫌いでないのでそこまでのストレスは無い。

しかしたまに外泊の機会があると、それだけで、でんぐり返しをしたくなる程嬉しいのである。



私の父方の祖母は、家事が大嫌いだったそうだ。

女も外で働いて、出来合いの物を買える今の時代に生まれていたら、彼女はもっと幸せだっただろうなと思う。


2018年6月1日金曜日

モリカケ

本日、娘と一緒に昼寝をしました。

夢を見ました。


私の友人のリエちゃんが、お産をしながらひき肉を左手に持ち、安倍総理を激しく追求しているというシュールな夢です。



さて只今私の娘は、家中の水着を引っ張り出し、自分の持っている数枚の水着を全て着込み、しげる氏の水着をその上に着込み、水中メガネをして水中帽子を被っている。

2018年5月31日木曜日

姫が止まらない

我が家では、娘にお姫様の出てくる映画を見せた事がありません。

(ディズニーの映画は、ピーターパン、アリス、バンビ、ピノキオは見せています)



しかし保育園での情報をもとに、今の娘の頭の中はプリンセス一色。

歯ブラシにもディズニープリンセスの描いてあるヤツにこだわります。


朝起きると『お姫様っぽい』服を着て、保育園へ行く前に活動的な服に着替える。

靴も、お姫様っぽくなければならないのだ。


帰宅後のお風呂の後は、『お姫様っぽい』服を着て、寝る直前にパジャマに着替える。

そのパジャマもリボンが付いたりしていないとダメなので、こちらも必死に洗濯をしている。



食後は歯磨き後、布団の上で本を読むのだが、いつまでも歯を磨かず、アクセサリーをジャラジャラ付けて姫になりきっている。

そのくせ、本の時間はいつもと同じだけを要求するので、寝る時間が遅くなっている。



どう見ても『こけし』な娘なのだがしかし、娘の目には鏡の中にいる自分がフランス人形に見えているらしい。


我が家は本当に有り難い事に、おしゃれな服のお下がりを頂いているので、可愛い服がたくさんあるのだ。



私はプリンセスがあまり好きではないので、受け入れ難かったのだが、最近できた友人の言葉が私を変えた。

友人は、色んな国に住んでいたのだが、2、3歳の娘を連れていた時は、ブラジルのバイーアという場所に住んでいた。

「バイーアではアメリカのメディアと接する事も無かったけれど、娘は誰かが着ているプリンセスのTシャツに執着した。どんな僻地に住んでも、娘の姫は止められないよ。」

もう私は、娘の姫を全て受け入れる事にした。


そして娘に聞いてみた。
「お母さんがドレスを作ってあげるよ、どんなのが良い?」

すると娘、「お嫁さんが着るドレス!」

マジか・・・

私はおもむろに、友人Rの結婚式の写真(白無垢)を見せて「これ?」と聞いてみたが、和服ではないらしい。ウェディングドレスらしい。

なんだかなあ。なんの意味も無いのだろうけど、このご時世にウェディングドレスに憧れるってどうなのよ・・・とやはりモヤモヤした気持ちになってしまう。



女の子のドレスのパターンの本でも買うかな。

とびきり姫ドレスを作ってやれば気が済むのかな。

一過性のものではあるとわかっているのだ。

大体8歳になると、皆、姫期の自分が恥ずかしくなるらしい。

2018年5月29日火曜日

図鑑

娘は最近図鑑が好きで、絵本というより図鑑ばかり読んでもらいたがる。


それにしても、親としては図鑑を読むのは大変なのである。


長いし、全部説明なのだ。



本当に、図鑑をせっせと買い集めた過去の自分が憎いくらいだ。

2018年5月23日水曜日

小石について

娘が「うちは貧乏だから、小石を集めて売って、お金を稼ぐんだよ」とせっせと小石を拾っていた事について。

どうしてそんな経済システムを理解しているんだ?しかも貧乏なんていう単語を用いて・・・

と疑問がありましたが謎が解けた。



今まで娘に読み聞かせた絵本の中に、「主人公は貧乏で、森で小枝を拾って売って暮らしていました」という描写が何度か出て来ていた。


日本の昔話ではしば刈りへ行きますが、それは売るためではなく自分で使うため。


ヨーロッパの昔話と、チベットの昔話に薪拾いをして売っている描写が出て来た事は覚えている。




最近の娘は「意味ってどういう意味?」という難しい事をニタニタしながら聞いてくる。

私としげるさんは辞書で調べた。

娘のお陰で少しは賢くなった気がする。

2018年5月22日火曜日

無能の人

つげ義春の漫画『石を売る』についてである。

主人公の男が、貧乏だがプライドが高く、お金を稼ぐ手段として選んだのが『川原で良さげな石を拾って売る』というもの。

当然売れる訳もなく、貧乏は加速して行くのだ。




しげるさんも私もつげ義春が好きであるが、ついに娘がつげ的精神を持っている事が明らかになった。


保育園へ娘を迎えに行くと、園庭の砂場でせっせと小石をオモチャのバケツに集めている。

「たまちゃん、何しているの?」と聞いてみたら、

「うちは貧乏だから、小石を集めて売って、お金を稼ぐんだよ」

と言うではないか。





そういえば以前、「お母さん、お話しして〜!」と車の中で娘がねだるので、『ねじ式』というつげさんの代表作の漫画のあらすじを話してやったら喜んでいた。

娘もつげ的なものが好きなのかもしれない。


しかしつげ漫画は、小学生になってから、だな。




ちなみに娘は「ウチは貧乏?」と時々聞いてくるが、私はそれを毎回きっぱりと否定している。

2018年5月21日月曜日

顕微鏡

娘が顕微鏡を欲しがっている。



3年後も変わらず欲しがっていたら、検討したいと思う。

しかし安い顕微鏡(5千円とか)はやはり壊れやすいらしい。


どこかで中古の顕微鏡を手に入れる術はないのか。

リサイクルショップでも見た事がないしなあ。

あと三年間目を光らせていれば、どこかに落ちているかもしれない。



娘に一昨年買ったお子様キッチン(中古で)への興味も薄れたので、保育園のリサイクルに出したいのだが、娘は「飽きたけど手放したく無い」という気持ちのようだ。

他のオモチャも増えたので、物を減らしたいのである。

2018年5月16日水曜日

今朝の話

私が娘に「たまちゃん、昨日は色々とありがとうね」と言いましたら、
「お母さんこそ、いろいろありがとう」と返して来た。


ひょっとして娘は3歳ではなく30歳なのではないかと思った。



私の右膝の関節が痛む。

関節の痛みなんていうものは、体重の重い人か、もしくは年をとった人のものだと思っていた。

ショックだ。


関節の痛みって、本当に怖いものだ。
負荷をかけると悪化するのではないかと思い、しばらく自転車通園はお休み。

たぶん、16キロの寝た子供を担いで30分歩いたり、そういうことの積み重ねが関節に来た
のだと思う。

ショックだ。



しかし、昨日公園で逆上がりをしてみたら、1発でできた。

私は少し自信を取り戻した。




2018年5月14日月曜日

子供の短期記憶

三歳児を育てていてすごいなと思う事は、知らない単語を数時間〜数日頭にとどめておける事である。

朝に娘を買い物に連れて行き、夏用のサンダルを選んでいた所、「これは汚れるとみすぼらしい感じがするから〜」というような会話を私がしていた。

その夜、日常的に行われる娘の「新しい単語のチェック時間」に、
「みすぼらしいってどういう意味?」と聞かれた。

こういうことがしょっちゅうで、数日前の会話にあった単語についても聞いてくる。




ある程度脳みそが成熟してしまうと、「この単語、なんだろう?」という単語に出会っても、メモしない限りその単語自体を忘れてしまう。


脳みその使われ方が、全然違うんだなあ、と本当に感心する。




昨夜は寝る前に「赤血球と白血球ってなに?」と聞かれて、
「血の中で、赤血球は空気を体に運ぶもので、白血球はウィルスをやっつけてくれるんだよ」と答えた。


そして今朝、「ウィルスって何?」と聞いて来たのだ。

一晩彼女の頭の中には、『ウィルス』という知らない単語が入ったまんまになっていたのだ。

すごいなあ。本当に羨ましい。

そしてやっぱり、上野の人体展に娘を連れて行きたいなあと思うのである。



ちなみに何故か娘は、新出単語のチェックを絵本もお話も終わった後の、暗闇の布団の中で始めるのである。

2018年5月12日土曜日

膝枕

時々娘に膝枕をしてもらうのだが、それが素晴らしいのである。

あの小さいサイズ。なんて短い太もも!

そして頭を撫でてくれるという気の利かせ方。




さて娘を滑り台しか無い広場に連れて行き、「少し遊んだらお昼寝の時間だから帰るよ」と言ったが案の定帰らない。

滑り台というものは、斜面と階段が合わさっただけの原始的な遊具であるが、子供も原始的な生き物なので無限に遊び続けるのではないかと思う程である。

滑り台を発明した人は天才だ。

娘はまず普通に滑り台を滑り、次に仰向けになって頭から滑り、うつ伏せになってスーパーマンのように滑る。

それから裸足になって普通に斜面をよじ上り、次はヘリをよじ上り・・・・



そのうち高い所からひたすら紙飛行機を飛ばす。

飛ばす飛ばす。

「帰ろうよ」と言っても帰る訳が無い。

しかし大人の「帰ろうよ」のひと言でさっさと遊びをやめる子がいたら、非常に心配な子である。

であるから、娘がさっさと帰らないからイライラするのではあるが、同時に安心もするという複雑さ。

先に予定が詰まっていると、イライラしてしまうんだな。


家に帰っても遊ぶ遊ぶ。

昼寝に納得し、ようやく布団にはいるも本を次々と読まねばならない。


でも寝る前に娘が私の髪を撫でて「お母さんが、世界で一番かわいい♡」なんて甘い言葉をささやくので、結局私は娘にもてあそばれてしまうのだ。



先ほど、髪を切ったら切り過ぎてしまった。

しかし夏だし。まあいいだろう。許してくれよ、娘。
1年後の話だったら大変だろうな。

私も母に髪を切られ、切り過ぎだった時は本当に恨んだな。

2018年5月11日金曜日

しっかりしている

母親という存在は、子供にとって人生の初期においては最も影響力のあるものである。


さて私は、母親に「あんたはしっかりしているから」と言われて育って来たので、自分はしっかり者だと信じて疑わなかった。

しかし25歳、26歳くらいの時に、ひょっとして自分はオッチョコチョイなのではないかと疑い始め、友人に尋ねてみた所「今更なに言ってんの?すごいオッチョコチョイじゃん。」と一蹴された。

ショッキングな出来事である。




月曜日、私は車を運転して田んぼの横に車を路駐し、側溝に注意しながら降り立った。

竹籠を4つと、工具箱と、竹二本を抱えて「側溝があるから要注意だな」と思った瞬間、側溝に落ちた。

太ももは擦り傷で血がにじみ、打撲で青く腫れ上がった。
今でも青色の大きな丸の中に、赤いカサブタが重なっている。

腕にも同じように、青と赤の芸術的コントラストを誇る山のような起伏。



私はオッチョコチョイなのである。

そして何よりも、それらはガサツさが合わさって事態が悪化するのである。

荷物が沢山あるなら、二回に分けて運べば良いのである。


そして私は最近、自分がオッチョコチョイなのではなくて単なるマヌケの様な気がしてきた。



ついでに言うと、私が『側溝』というものの存在と単語を知ったのは比較的最近である。

しげる氏の職場のある農村地帯を訪れて、始めて知ったのである。

フタのある側溝に関しては、私の脳みそが感知していなかった代物である。



このように私は、大変バランスの悪い人間なのである。

思い込みも激しい。ズレている。


であるから、育児においてもバランスの悪い子育てをしているのではないかと常に不安である。




2018年5月10日木曜日

豆乳

娘が、「トウニュウって何?」と聞いてくる。


娘が聞いて来た言葉が分かり易い言葉(例えば『フランスって何?』等)ならばすぐに答えられるが、トウニュウには『豆乳』と『投入』があるので、どちらの事を聞きたいのかが分からない。

なのでその場合、「誰がどこで使っていた言葉?」と尋ねると良いヒントが返ってくる。

「スーパーでさ、お金を入れる機械が『トウニュウしてください』って言うでしょ?」


確かに。

いつも行く保育園の目の前のスーパーのレジが機械化されて、支払う相手が機械になってしまったのだ。
とても残念だ。

そして娘に『投入』について教える。


先日は「おじいちゃん、ビックリ星になったんでしょ?」と聞いて来た。

何?なんだ?おじいちゃんはまだお星様にはなっていないが・・・・
と思い、「何の事?」と聞いたら、娘が怒って「ビックリ星!!」と怒鳴る。

怖い怖い。

「そんな風に怒られるの、お母さんだって嫌だ。お母さんだって一生懸命『何かな?』って考えているのに、どうして怒るの!」とケンカが始まる。


そして分かった。ビックリ星ではない。ギックリ腰である。



日本人は、日常的に『you』に当てはまる単語を用いません。

「ちょっとそこのあなた!」もなかなか使いにくいし、道を歩いているおばさんに「そこのお嬢さん!」と呼びかけるのもハードルが高い。
しかしかっこいいおじいさんに「お嬢さん」と呼ばれるとなんだか私は嬉しい。

さて日本では、人を役職、続柄で呼ぶ事が多い。
「社長」「部長」「係長」。

家庭においては、子供がいる場合は子供の目線に立ち、妻の事を「お母さん」、夫の事を「お父さん」。
二番目の子供がいれば下の子の目線に立ち、長女長男のことを「お姉ちゃん」やら「お兄ちゃん」と親が呼んだりする。

一番小さいものに同化する感覚である。


で、私は娘に対して一人称を『お母さん』で接しているのであるが、娘は一人称が『たまちゃん』である。

さて、娘に対する私の一人称を『わたし』に変更した場合、娘も一人称が『わたし』になるのかな?と思った。
どうだろう。


2018年5月8日火曜日

イベント出展のお知らせ


イベント出展のお知らせ

『アリスの屋根裏』

開催期間:5月26日(土)~5月29日(火) 10:00~21:00

神保町いちのいち名古屋店 タカシマヤ ゲートタワーモール8階 
三省堂書店名古屋本店内



お人形、ぬいぐるみでイベントの出展致します。
お近くにお住まいの方、是非足を運んでみて下さい。

アトリエ1/4

2018年5月7日月曜日

激しい

娘が激しい性格である。あと4ヶ月で4歳である。

一日に一度、崩れるのである。

先日は、朝起きて、リボンの付いたズボンを着たかったのに、それが洗濯されていて着られなかった。というのが原因で、泣き崩れて、泣き叫んで、30分近く暴れ回るのである。

この程度の挫折で毎回騒ぐ訳ではない。
今回はこれが小さなきっかけではあったものの、この騒ぎの最大のポイントは、なんとなくムシャクシャした気持ちと、甘えたい気持ちがない交ぜになった気持ちではなかろうかと思う。
基本的には、理屈が通れば納得する娘なのだ。


暴れ回っている最中は、私は付かず離れず、近寄っては「あっちへ行って!」と怒鳴られて、あっちへ行くと「抱っこして!!」と怒鳴られる。
これを繰り返し、相手をし続けなければならないのだ。
(無視して本を読んでいると、すごい形相で怒って殴り掛かってくる。)

二人っきりの時にこれをやられると、私は辛いので、私は自分の心と体を切り離す術を駆使して娘と向き合うのである。



連休中は、私が娘と実家へ滞在したりして、娘は私と一日ベッタリ。
気持ちがリラックスしたのか、一日に二度この騒ぎを起こしていた。
本当に30分近く暴れ狂うのだ。

母は「こんな大変な子は見た事ないわ」
父は「普通の子の2倍大変だなあ」

4人育て、障害児まで育てている実家の両親もビックリ!な私の娘である。



そうだよな、私はけっこう子育てに苦労しているよな、と思えて安心である。


「保育園では泣いたりするの?」と娘に聞いたら、

「たまちゃんは保育園では泣かないの。転んでも泣かないんだよ」と自慢してくる。

保育園で良い子の娘。いろいろ我慢しているのが、家庭内で爆発しているんだろうなと思う。先生の話を聞いても、本当に良い子である。



しかし世の中には、本当に単にクセの強い子供がいるのだ。


しげるさんが「僕の癇癪と君の執念深さが遺伝したんだ」と言っている。


2018年5月6日日曜日

少年ケニヤ

友人が2年前にケニアに赴任していたので、ゴールデンウィークを使って会いに行きました。

サファリツアーで娘もとても楽しみました。






というのは真っ赤なウソである。

一番遠い所で3駅向こう。


実家にも滞在しました。

実家では竹を割って過ごしました。

そして本を数冊読めました。

2018年4月28日土曜日

名古屋


5月に、名古屋の高島屋にお人形を置いてもらえる事になり、それのための準備中です。

久々にお人形のお顔を描きましたら、なんとまあ可愛い子ができました。

本当に、なんて君は可愛いんだ、と言いながら髪の毛を縫い付けます。

お洋服はまだ作っていません。

どんな色が似合うかな、とドキドキしながらの作業です。




さていよいよゴールデンウィークです。
私はしばらく旅に出ます。

ごきげんよう〜

2018年4月27日金曜日

朝活

朝活と言う言葉が、少し前に流行った。

つまり、忙しいビジネスパースン(ナウい)が、早起きして、朝の出勤前に有意義な時間を過ごす、という言葉だったと思う。


娘が最近朝活をしている。

保育園へいく30分前に支度が終われば、

・本
・何らかの遊び
・早めに家を出て、途中の公園で遊ぶ

を選ぶのだ。


本日は公園。

娘が通うのは、市立の認定保育園なのであるが、広い園庭が付いている。


娘は晴れていれば、おやつとご飯と昼寝以外の時間、ほとんどを外で遊んで過ごすのだが、登園の前も、休みの日も、公園に行きたいと言う。

すごいな。外遊びってそんなに楽しいのか?

しかし、子供は放っておけば体と心にとって健全なものを欲するようにできているのだ。


先週の土曜日は、幾らでも遊べるようにお弁当を持って公園へ。

「3時間でも4時間でも幾らでも遊べよ、子供!」と私はレジャーシートで本を読んで過ごしていたが、2時間半経った所で眠くなったようで帰宅。


外遊びはどうやら大事らしい。

2018年4月26日木曜日

謎が解けた

私が小学生の頃、学校の図書室で借りていたシリーズ、松谷みよ子の『モモちゃん』。



一年程前に娘に買い与え、それ以来娘のお気に入りの本となりました。

この『ちいさいモモちゃん』は、このシリーズの第一弾のはずですが、私には不思議な点がありました。


登場したネズミが「僕は、ももちゃんが小さい頃に遊んでくれたネズミのチュッチュです」と言うのである。
モモちゃんが小さい頃、遊んでいた描写なんてこの本には無い。

不思議だなあ、と思っていた。



しかし転機は訪れる。

先日行った図書館で借りたこれ。

幾つかのお話が入っていて、モモちゃんの話も3つ程。
そしてその中に、チュッチュなるネズミが初登場しているのだ。


昨夜は娘が、「まつたにみよこおはなししゅうを、今日はぜんぶ読んで」と言うので、厚みのある本なので時間かかるかなあ、30分くらいで読めるかな。
と思って読み始めたら、読み終えるのに1時間かかった。

平日に、1冊丸々読む事はもう無いだろう。


しかも、さっさと本の時間に入れる子供ならまだしも、精一杯他の遊びをした後で、たっぷりの本の時間を求めるものだから、寝るのが10時になってしまった。

そして本が終わった後は、5分〜10分の小人になった娘を主人公にした『お話』を暗闇で聞かせる事が常なので、私のタスクはそれを終えるまで続くのだ。


ごはん中も、リラックスはしているが、家事と育児をやる人間というのは任務遂行中なのである。

本を読んでやっている最中も育児という任務遂行中である。



次はエルマーとりゅうを借りたいなと思っている。

さて私は、松谷みよ子の文章が好きである。
今、1人の時に読むかと問われれば読まないけれど。

松谷みよ子のお話は、きちんと訓練された人の、安定感というか、子供が読んでいて安心する文章という印象があります。

2018年4月24日火曜日

かえる


こちらの がまくんとかえるくん のシリーズは4冊出ています。

私の実家に数冊あったなあ、だから娘に買い与える事はしないでおこう。
と思っていたらいつまでたっても実家では見つからず。

図書館で借りたら娘の大好きなシリーズになりました。


「かえるくん。きみ、顔が青いよ。大丈夫?」

「だって僕、かえるだもの」

そんな冗談ばかりのユーモアたっぷりの内容で、娘は夢中。
ケラケラ笑いながら喜んで聞いています。

食事中、私が「君、顔が青いけど大丈夫?」と娘に聞けば、「だって僕カエルだもの!」と嬉しそうに返して来ます。

今、我が家ではガマくんとカエルくんの空前のブーム。


作者アーノルドローベルの文章はもちろん面白いのだろうけど、この三木卓さんの訳もまたなんとも言えない味わいがある。

ピーターラビットの石井桃子の訳と少し似ていて、すこし回りくどい感じ。

私の幼少期は全く文学少女ではなく、回りくどくて小難しいものを嫌っておりましたので、ピーターラビットもかえるくんも嫌いでした。


しかし娘は違うんだな。

オシッコをまだまだ漏らす娘ですが、回りくどいものは好きらしい。


ちなみに我が家にあるアーノルドローベルは以下の本。

どれもユーモアがあって、娘は大好きです。


図書館はとても素晴らしいけれど、贅沢を言えるなら所有している大好きな本があるというのはとても良い事だと思います。

それにしても、欲しい物が本だと財布のヒモが緩むのは、どうしてなんだろうか。

しかし、図書館のお陰で私は最近、本を全然買っていない。
あ、そういえば、アマゾンの割引券があったので、昨日一冊買っていたわ。フフフ

2018年4月23日月曜日


私は海苔好きである。
私は幼稚園生の頃、お出かけの際には焼き海苔をティッシュにくるみ、ポシェットに入れて持ち歩いていた。
幼稚園でもらった5歳のお誕生日のカードには『あゆこさんの好きな食べ物・のり』と記されていた。



さて問題は娘である。

しげる氏のご実家が海苔の産地と言う事もあり、お海苔を頂いたが、それらは冷凍庫で保管&食べる時に焼く事が必要だったので、娘は大人の海苔タイムに顔を出すしかできなかった。

しかし今度は、缶入りの焼き海苔を頂いた!!


娘がこっそり缶を開けて海苔を抜き取り、ちゃぶ台の下に隠れて海苔を食べるようになってしまった。


昨日は、「海苔ってどうして折ると固くなるの?」と聞いてくる。

つまりは海苔をパタパタと折り紙のように小さく畳んで行くと厚みができ、固くなるということなのだが、そんな食べ方しないで欲しい。

と思う気持ちもあるのだが、私もやっていた。

海苔を畳んで食べるあの喜びは、子供にしか分からないだろう。



2018年4月18日水曜日

長いようで短い

「本が好きな子は、字が読めるようになると楽ですよ」という保育士さんの言葉がキラキラ輝いている。

娘が平仮名を書きたいと言い出すので、とりあえず『た』を教えたが・・・

「しめしめ。このまま文字を覚えてくれたら、本の読み聞かせから少し解放されるかも」

と思ったが大間違いだった。
娘はまだじぇんじぇん字に本気ではなく、まだまだだった。
それきり字への興味は無くなった。

私の淡い不純な期待は打ち砕かれたが、私自身も小学校に入ってから字が書けるようになったので、まあ娘もそんな感じなのだと思う。

しかも『読み聞かせは10歳まで』が理想らしい。



私は

熱ニモマケズ

風邪ニモマケズ

娘に本を読んでいるが、「喉が痛いから今日は絵本は読めない」と言っても、娘はまだそれを聞き入れられる程大人ではないのだ。

しかしゼエゼエ咳き込みながら絵本を読んでいると、さすがに娘も私を哀れに思ってくれたらしく、読む本を少なくしてくれた。





インカ帝国も、アイヌ語も文字は持たないらしいが、『文字のない言語・文化で暮らすこと』と『文字がある事を認識しているが会得していないまま暮らす』ことって何が違うんだろう、と不思議に思います。

娘の観ている世界って一体どんな何だろうな、と気になります。



さて、私は宮崎駿の監督アニメ『未来少年コナン』を観て育ちましたので、私がまた観たいと言う気持ちと、娘も好きかなあという気持ちでおりました。

DVDが全26話セットで15000円もするので、買わないな、と思っていたら、ユーチューブで全部観られる!!!

日曜日から娘とはまっている。

未来少年コナンが面白い。

宮崎駿はすごいなあと思う。

2018年4月16日月曜日

親ばかに敵無し

娘が調理中の私に歌を歌えと言ってくる。

「ラピュタの歌」とか「魔女の宅急便の歌(ルージュの伝言)」とか。

娘は私の横で、冷蔵庫を鏡に見立てて歌に合う創作ダンスを踊るのだが、それがなかなか面白い。

「これはちょっと切ない感じだから、切ない踊りだよ」とかの解説つきである。
(『切ない』という言葉が娘の中でブームのようで、最近はやたらと使いたがる)


ラジオから流れる歌に合わせて踊ったり、無音で不思議な踊りをしたり。
その踊りが大変前衛的で、ピナバウシュを彷彿させるのだ。(親ばかに敵無しである。)

 
こんな感じね。


この映画はヴィムヴェンダースが撮ったのですが、今予告を見てみたら3Dだったようだ。
私は劇場公開で観たのですが、敢えて3Dを避けた記憶がある。

しかし振り返ってみると、3Dは劇場でしか観られないんだから観ておけば良かったかもしれない。


ついでに娘は不思議な言葉や俳句のような5と7の言葉が好きで、耳にしては自分で覚えたいようで「教えて」と言ってくる。
最近、娘と散歩中に近所で芍薬の花がとても綺麗に咲いているので、娘に「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」と教えたら、それを言いたいらしく練習していた。

娘「どういう意味?」
私「とても美しい人を表現した言葉だよ」
娘「たまちゃんみたいな人?」

これを否定できる親はいないだろう。娘の頭の中では、もはや「立てば芍薬」は自分を言い表した言葉のようである。


しかし親ばかは本当にすごい。娘が本当に美しく輝いて見えるのだ。
恋は続いて2年とか3年とかいうが、娘が誕生してもうすぐ4年だが未だ冷めやらぬ。



しかし一昨日は、公園で遊んでお腹が減り、疲れてグレた娘に殴る蹴るの暴力を振るわれ、私は娘を10分程放置した。

幾ら可愛いと言っても、憎たらしいこともよくある。

数時間後、娘が「ああいう時は、たまちゃんの所に来てよ」と対処の仕方を注意されたが、「だって蹴るし叩くじゃん。痛いんだもん」と娘に言うと、黙り込んでいた。

娘と私で、娘がイチャモン大魔王になった時の対処法を考えたが、妙案は浮かばなかった。

娘は生まれた時から激しい子であった。
生後11日目で、泣き叫んで足を踏ん張り上へ上へと移動したのだ。

すごい自己主張である。

2018年4月13日金曜日

ながいながい骨の旅


地球が誕生して、そして海が生まれて、単細胞生物が生まれて、背骨のある魚が生まれるまで。

そして人間の故郷が海である事。


を素敵なイラストで教えてくれます。

図書館で借りましたが、自然科学好きな娘にはどんぴしゃで、毎日一度は読んでいます。



最近お絵描きに夢中な娘は、朝起きて絵を描き、保育園から帰宅して絵を描き、絵を描き続けています。そしてとうとう「字を書きたいから教えて」と言うようになりました。

普通、読みたいと思うのが先なのでは?と思いましたが、仕方がないので『い』を教えました。

こうやって字を覚えて行くんだなあ、と、今度は私の中で『子供と文字』に興味がわいて来ました。

今度図書館で、その手の本を借りてみよう。


図書館に通い始めてからというもの、「読みたいな」と思う本は片っ端から借りて、これは買うに値する、と判断してから購入する生活になりました。



2018年4月12日木曜日

娘の目から鱗が落ちた。

前の記事にて、娘のプリンセスへの憧れを私が打ち砕き、娘がショックを受けた旨を記した。
よく考えてみると、それは『娘の価値観を母親が否定した』と言う事に娘はショックを受けたんだなと分かった。

確かに今まで、洗濯物を畳みながら「たまちゃんは洗濯屋さんになれるね」と言い、焼売を作りながら「たまちゃんは焼売屋さんになれるね」と得意げに言う娘を、私は褒め讃えていたのだ。

それが一転、憧れのプリンセスを否定されたのだから、娘としてはショッキングなのだろう。



それはさておき、先日から毎日読んでいる『いないいないばあ』である。
こちらの記事の続きとなる



昨日は「どうして赤ちゃんの本は短いの?」と聞いて来た。

私「それは、赤ちゃんが言葉を理解できないからだよ。簡単な言葉でないと、わからないから」

娘「え?モモ組さん(保育園の0歳児のクラス)とか?」

私「そうだよ。たまちゃんも赤ちゃんの時は言葉を理解できなかったんだよ。『ママ』とか『バイバイ』とかを最初に理解できるようになるの」

と説明すると、娘が『衝撃的な事実を知ってしまった』というような顔をしていた。

最近まで赤ちゃんだったのに、そんな事を知らないのだ。
0歳の子と一緒に遊んでいる娘なのにそんな事も知らないのだ。

というより、言語化して考えた事が無かったのか。


しかしそれは当たり前なのだ。

知的に言語を理解できるようになってから長期記憶が出来るのだから、言語を理解できていない時期の事を子供が記憶している訳が無い。

衝撃を受けている娘を見て、私も衝撃を受けた。

子供って面白い。本当に面白い。



2018年4月11日水曜日

灰かぶり

図書館で借りた、昭和55年初版発行のシンデレラ。



グリム童話に忠実で、カボチャの馬車は出て来ません。

姉達がシンデレラの靴を履こうとしても、靴が小さくて履けなかったときは、母親がナイフを持って来てかかとを切るように指示します。
二番目のお姉さんが履けなかったときはつま先を切るように指示します。
(逆だったかな?うろ覚え)

つまりグリム童話なのです。


娘が夢中になり、今朝も読んでくれとせがんできました。
(長い本で読むのに時間がかかるので、今朝は『めっきらもっきらどーんどーん』で妥協)


さて、こんな残酷な話なので、読み聞かせる事に微妙な迷いが。


と思って、私が小学生の頃大好きだったグリム童話集の『灰かぶり』を確認したら、内容はほとんど同じであった。


かちかち山で、たぬきがおばあさんでお汁を作り、おじいさんに食べさせて「それはババ汁だ!」という場面が最近の出版では割愛されている事には違和感があるのですが、かかとを切り落として靴が血だらけ、というお話を聞かせるのには抵抗がある。

矛盾している母心。




さて、娘には最近のキラキラなプリンセス系のお話は与えていないのですが、保育園でしっかりと学んで来て
「たまちゃんはプリンセスになりたい」とか言い出している。


昨夕は、食事中に「眠れる森の美女になりたい」とか言い出す始末。

しかし私はそれに憧れる娘に決してポジティブな感情が持てず。

そしてつい、
「森なんかで寝てて、臭いおっさんが来てキスされたら、その人と結婚しなけりゃならないんだよ」と言ったら、娘がショックを受けたようで、ちゃぶ台の下に入り込んでしばらく出てこなくなった。

本当に珍しく、昨夜は食後のお菓子も食べず、歯を磨いてさっさと絵本を読む時間になった。

娘は、私が思っている以上に精神の発達が進んでいる。

傷つけて悪い事をした。
プリンセスになりたいと言っても、放っておかねばならないのだ。

『プリンセスに憧れる娘』というのは、単に『フリルの付いたフワフワなドレスが着たい』という事なんだろう、たぶん。



その後「七五三なんてどう?」と娘が聞いて来た。かぐや姫に憧れているのか?

それにしても、七五三をやろうか、と迷う事さえせず、七五三の時期も知らずに過ぎてしまったので、機会があれば着物を着せてやりたいなと思った。
しかし娘は十二単が着たいのか??

女心がわからない。

2018年4月10日火曜日

無垢な子供

娘の大好きな本『おしいれのぼうけん』。


その1ページに「ベニヤいたの もようが、 まっくらやみの トンネルのように みえる」とあるのですが、この本を読んで以来、娘が木片を見ると「これはベニヤ?それとも無垢?」と聞くようになった。




先日はお邪魔したお宅のフローリングを指さし、「これはベニヤ板?それとも無垢板?」と聞いてくる。

我が家にある木製品は大体彼女の頭の中で、既にベニヤか無垢かは分類分けされている。

「さっき足を打っちゃった。あの和室の無垢のテーブルで・・・」と言う。

不思議な三歳児だ。


今朝は道で拾った編み棒と、どこかで拾って来た枝を畳の隙間に突き刺して
「これはお墓。大きいお墓がお母さんで、小さいお墓がたまちゃん」と言う。

私のお墓だけなら良いが、娘のお墓があるのがイヤで、「お母さんは、たまちゃんがおばあさんになってから先に死ぬから、まだ並べないでよ」と言ったら、「お母さん、死まないで!!」と朝から一悶着あった。




先日は、娘が紙に『字』を描いていた。(丸とか点とかだが)

娘「お母さんに、お手紙を書いているの」
私「なんて書いたの?」
娘「お母さんへ、死まないでくださいって書いてあるの」


死ぬ、はナ行の活用ですが、娘はマ行で活用している。




昨夕、空に鳥が飛んでいた。

「お母さん!アレ見て!」と娘が言うので見てみたら、カラスでもない、小鳥でもない、ハトでもない。ここら辺にいる鳥ではない。


カラスより大きい、茶色い鳥。
トンビかタカに見える・・・・


娘「あれは、翼のある恐竜だよ!!」

確かにそう見える。

私「でも恐竜は絶滅したよ」

娘「あれは1匹だけ残っていたんだ。。。。」

と真剣にショックな顔をしている。



絶滅と言えば先日、夜に20分程度外出せねばならない予定があった。

私「すぐ帰ってくるから、たまちゃんはお父さんとお留守番していてね」

娘「イヤ!一緒に行く!」

私「夜はオオカミが出るかもしれないから、子供は一緒に行けないよ」

娘「ニホンオオカミはもう絶滅したでしょ?大丈夫だよ」

本当に騙せない子供である。


娘は平均的な子供よりも、母親へ身体的に密着したがる傾向がある。
(まわりのお母さんの話を聞いていると、わが娘よりもさっぱりしている)

乳児期は、乳を吸わせながらでないと寝ず、乳離れをしてからしばらくは腕枕でないと寝ず、今では私の耳たぶを触りながら「お母さん!もっと真剣に抱きしめて!しっかりたまちゃんを抱いて!」と毎夜毎夜熱烈に抱き合いながらでないと寝ない。

夜中にも起きて私の耳を必ず探す。娘が私の耳を強く握るので、気分はいつも耳なし芳一である。痛い。

そしてさらに朝起きると肩こりで、肩が痛い。


16キロもあるくせに、昼寝は今でも抱っこで寝入ることが多い。


とてもかわいいのではあるが、もうすこし単純な子供であってくれたら楽なのになあ。



この本を、思わず図書館で借りたのだが、この絵の少女が娘に瓜二つで衝撃的です。

先日高畑勳が亡くなって、新聞に火垂るの墓のポスターが載っていた。

しげる氏が「節子がたまちゃんに似過ぎていて直視できない」と言う。

またまたぁ〜とからかいながら私は新聞を覗き込んだ。

節子と娘が似過ぎている。涙が流れた。
娘の髪型を少し変えることにした。

2018年4月9日月曜日

イカ

美味しそうな生イカをもらいました。

焼いて、食べ易いように細長く切って、ちゃぶ台に載せました。


まず、ゲソを娘がつまみ食いで全て食し、食事が始まる頃には身の部分も3分の1が消失。

これでは私としげる氏の分が無くなる、と思ったので、娘の分は別の皿に盛り、

「たまちゃんのはこれ。こっちのは、お父さんとお母さんのだからもう食べないで」

と言い渡しました。



しかし娘は、さらにしげる氏と私の皿からこっそり盗んだようで、結局しげる氏は1切れ。私には2切れしかイカが当たらず。



そして欲張った娘は、イカが喉に詰まって吐き出す始末。


ゼエゼエした後に、娘は「たまちゃんは、欲張りだから・・・」と言っていた。



娘の好物は、イカである。ホタルイカ、焼きイカ、塩辛、刺身のイカ、全て好きである。

一人っ子なのに、なんでこんなにがめついのだろうか。


一方、男3兄弟で育ったはずのしげる氏は、自分の取り分が少なすぎる事にさえ、気づいていなかった。

娘の食い意地は、明らかに私の遺伝である。


先日公園で、木の根っこが露出している部分があり、足が引っかかって転びそうになった。

私「これは罠みたいだね。たぬきを捕まえられそう」

娘「本当だね。両親が罠を作ったのかな?」

両親・・・・猟師の間違いです。



昨日は海苔を食べていた娘。

娘「海苔は海の底で採れるんだよ。両親が採って来たのかな?」

両親・・・・漁師の間違いでは。



2018年4月5日木曜日

細かい

先日、保育園へ行きましたら先生に

「たまちゃん、細かい絵本が好きだから、今日新しく来た絵本、絶対に好きだと思います」
と担任の先生に言われました。

その本はこのシリーズのどれかでした。



先生の予想通り、娘は本の文章を一部暗記して家で出だしを教えてくれました。

ああ、先日下北沢の古本屋で、この『14ひき』のシリーズが5冊で千円で売っていたのだ。
買わなかったのだが、買うべきだったのか?
私は後悔した。



そうか、それにしても細かい絵本が好きなんだ・・・知らなかった。
と思ったが、振り返るとしげるさんも私も細かい絵本が好きだったので、我が家には細かい絵本がけっこうあった。


さて、我が家には無いが、この絵本を先日図書館で借りた。

イタリアの農村の家の100年。
時には空き家になり、時には沢山の人々に囲まれたり。

見入ってしまう、素敵な絵本でした。
欲しいなあ。

物欲は尽きない。


進級して年少さんになった娘は、お姉さんのお部屋へも出入りが許されるようになり、「○○組のお教室には○○の絵本のシリーズが沢山ある」とかそういう絵本情報を逐一私に報告してくる。
私は園の保護者の中でも有数の保育園の絵本情報を握っている。


2018年4月4日水曜日

誰か花粉を止めて 〜混んだ病院へ行って2時間かかった〜

車内で娘と話していた。


なんやかんややり取りの後、

「一寸法師はお侍になったでしょ?花咲か爺さんにはお殿様が出て来たでしょ?お侍もお殿様も、もういないんだよ。あれは昔の話なの。」

と私が言いましたら

「え・・・・?あれは、昔の話だったの?桃太郎も?猿カニ合戦も?」

「そう。猿もカニもお着物着ているでしょ、和服。日本人は昔、みんな和服を着ていたでしょ」


そして雷に打たれたように、娘は固まった。

「じゃあ、桜のマークのシリーズの本は、全部昔の話ってこと・・・?」


桜のマークってなんだ?と思ったが、それを聞くと怒る恐れがあるのでテキトウに話を合わせて、後で調べてみた。
娘は、自分が云わんとする事を私が理解しないと怒るのである。




本当だ。桜のマークだ。

娘の世界は、私の生きている世界と視点が違う。
大人は文字が読めると、それ以外の情報を遮断してしまうんだなと思う。

しかし、声を出して本を読んでやっているのは私。娘は聞いているだけなのに、なぜか娘は本の文章を暗記できて、私は粗筋をぼやんと覚えているだけである。


羨ましい脳みそだ。


さて、「どうしてお殿様もお侍もいなくなったの?」と聞かれたが、難しい質問です。

日本史を勉強してこなかった私には、士農工商の廃止の経緯を3歳児に易しく説明出来る程の知識がない。

勉強は自分のためにしますが、子供ができた時に教えるためでもあったようだ。

しかし、小学生に対し『将来子供ができた時に説明できるようにしっかりと勉強したまえ』と言ったとしても全く無駄だな。


2018年4月2日月曜日

新たな楽しみ


この本は、私の9つ下の妹の絵本として、実家にありました。

私はこの本が好きで、娘が生まれた時に買い与えました。

先日読んだ五味太郎のエッセイか何かで『一年に一度は読み返す絵本』数冊のうちの一冊がこの本でした。
(五味太郎は絵本も素敵ですが、私はエッセイや本人のキャラクターが好きです。私の父が五味太郎の絵本が好きなようで、実家にはわんさか五味太郎。娘は私の実家に行けば、絵本を漁っています)


さて、『いないいないばあ』ですが、娘にはそこまでの執着はなく、あっという間にこの絵本を卒業しました。



しかし最近、再び娘の中でこの本がブームになっている。

平日の夜、寝る前に絵本を3、4冊読むのですが、この本はあっという間に読めるので『おまけ』として1冊としてはカウントしません。

さて、最近の娘のこの本の読み方が評論家のようなのである。

「どうしてクマやネコやキツネは『クマちゃんがほらね、いないいないばあ』という肯定文なのに、ネズミの場合に限って『今度は誰だろう?』と疑問文なのだろうか」という事で、毎回私に議論を吹っかけてくる。
それを三歳児の語彙でしてくるから面白いのであるが、絵本の内容を楽しむのではなく、絵本の構成について私と話をしたいようなのだ。

私は「赤ちゃんに読み聞かせるのに、全部肯定文で同じだと興味が失せてしまうので、疑問文を差し込んで変化を持たせているんだと思う」という内容を分かり易く説明するのだが、読むたびに私のこの考察を聞かせろとせがむのだ。

お前の狙いは一体何だ?と思ってしまう。
面白い子である。


さてメタ的楽しみ方ではなく、娘が純粋に夢中になっているのは『わんぱくだんシリーズ』である。





計20冊程のシリーズが出ているが、娘の執着心と私の努力(これ重要)で図書館で数冊ずつ予約しては借りを繰り返し、ついに全て読み終えた。

そうしたら「また海底探検の読みたいな」と娘。
輪廻!

私は再び、わんぱくだんのシリーズをせっせとパソコンで予約している。
しかしこのシリーズはすごく人気があり、10人待ちがザラなのである。

一体何巡したら、娘は飽きるのだろうか。

このわんぱくだんのシリーズを、20冊纏めて娘にプレゼントしたら、きっと狂喜乱舞だなと思う。
間違いなく、今現時点でお金で買える物で娘が最も喜ぶプレゼントは、わんぱくだんの本である。

それにしても図書館はありがたい。

朝起きて

娘が、保育園へ行く朝の支度の時に遊ぶ。

遊びはひとつなら良いのであるが、散々工作して遊んで、「さ、行きますよ」と言うと「本読んで!」となる。

これはたまらん。

『本読んでモード』になると、てこでも動かなくなるのだ。

であるから、その瞬間に娘に何を言っても無駄で、常日頃から『朝の心得』について話さねば効かぬ。


そうだ、支度とか、そういうのを図にすれば良いと、子育ての何かで読んだぞ。

と言う事で実践してみた。



(これは、保育園へ持って行く持ち物一覧)


結果はというと。。。。

「このシャツの描き方教えて!!」「この歯ブラシは?」「コップはどうやって描くの?」とペンとノートを持って来て、お絵描きが始まった。


この方法には向き不向きがあるようだ。




今朝は家を出るギリギリの時に「わんぱく団読んで!」と言われ、わんぱく団を読むはめになり遅刻ギリギリ。
車の中で娘に対し、散々ガミガミ言いました。

すると娘「わかった。じゃあ、朝は何も遊ばないから」と決心した様子で言うのである。
(この決心は3分で終わると思うが)

ちがうちがう。遊んでも良いのだ。
さあ出るよ、という時間になって突然本を読むのは無理だ、と言っているだけだ。



これもそれも、時計が読めるようになれば全て解決する気がする。

しかし、時計を読みたいという意欲がある訳でもない三歳児に、時計の読み方を教えるという不毛な努力をする気力は、私にはない。


2018年3月29日木曜日

ヤフフェ

「ヤフフェ ホショ シェーフェー」

と娘が突然話し始める。


見てみると、娘の前には必ずアルファベットがあるのだ。

「たまちゃん、英語を話せるの」と得意げである。



確かに私も幼稚園児の頃、クネクネとノートに線を書き、英語の筆記体を書いているつもりだった。
それは本当に書けていると思っている訳ではなく、憧れと、書いていると思い込みたいという気持ちが相まって、『書いている』と思っていた。




昨日、車の中で娘に
「実はさ、今咲いている桜は、夜中に花咲か爺さんが灰を撒いたから、咲いているんだよ」
と話をしたら、娘が
「じゃあ、インドの桜は?」
と聞いてくる。


「イ・・・インドにはインド人の花咲か爺さんがいるんだよ」
と私は辛うじて答えたが、今考えてみるとインドには桜は無いと思う。
たぶん。たぶん。

最近、娘の返しが侮れない。

2018年3月28日水曜日

思い出して

私が「それは分からない」とか「知らない」と言うと、娘が怒って「思い出して!!」と言う。

更に、「『あー、あれのことか』って言って!!」とまで怒って言う。

つまり娘は、母親は全て知っている上で、単に忘れているだけだと思っているようだ。


確かに私も、小学校低学年までは『大人になったら何カ国語も話せて、なんでも知っている』と思っていた事をハッキリと覚えている。







サプリメントの広告が新聞に載っていて、腸のイラストがあった。
娘がそれを見て、「あ、腸だね。なんて書いてあるの?」と説明を求めるので、腸に良い薬の広告だよ、と説明する。
すると、どうして腸に良いのか?という細かい点まで聞いてくるのだ。
娘は人体マニアなのである。
動物の図鑑よりも、魚や虫の図鑑よりも、娘は人体の図鑑が好きなのだ。

食後はよく「もうさっきの食べ物、腸へいったかな」と聞いてくる。
「まだ胃じゃない?」と私は答えるが、私もイマイチ分かっていない。
私は肝臓と腎臓と脾臓の役割をよくわかっていない。
これでは娘に説明できないではないか。

昨日、膀胱の話を娘がして欲しいと言うので、『おしっこを貯める袋』と説明したら、
「そういえば前に、それが破れた話があったよね?」と言う娘。
そんな話、あったかなあ・・・・

今思い出した。
それは娘と一緒であるとよく利用する身障者用トイレにある、オストメイトの説明を娘にさせらたことがあるので、その事かもしれない。






私は上野で今やっている『人体展』へ娘を連れて行きたい。

しかし、遠い。
朝早く出て、見て、お昼を食べてすぐ帰る、という計画を立てよう。


2018年3月27日火曜日

こだわりのファッション

娘のこだわりがなかなか強い。

この2週間程は、夏もののワンピースを5枚重ねて着ている。

今朝は6枚重ね着をして(半袖1枚、ノースリーブ5枚)保育園へ行き、園で普通の活動的な服に着替えさせてから娘を預けるのである。


お風呂上がりも同じである。
重ね着5、6枚。
本を読み、寝る直前にパジャマに着替える。

先週末は8枚着込み、絶対に脱がないと抵抗するのであせもになった。



しげる氏が「タマネギのようだ」と言ったが、確かにそうなのである。

むいてもむいても服なのだ。



しかし、洗濯は不可避であると理解しているようなので、不潔ではない。




さて、その他にはお正月にしげる氏のご実家で読んだ絵本について時々思い出し
「またあの本を読みたい」と言うのである。

随分前に、どこかで読んだ本の話を突然する事もよくある。
今朝は「小人の女の人が編み物するお話、あれなんだっけ?」と聞いて来た。

私には分からなかった。
「わからないなあ」と答えると、怒りながら「思い出して!!」と声を荒げる娘。

ようやく長いやり取りの末私は思い出した。

韓国の絵本『あかてぬぐいのおくさんと7にんのなかま』であった。

結構前に1度読んだ本である。素敵な本です。




それにしても大人はなんでも知っている、と子供は思うものである。

娘が保育園の花壇のお花の名前を、私に片っ端から聞いてくる。

「パンジー、ビオラ、マーガレット・・・・これは知らないから先生に聞いてみて」
と言うと、娘が怒りながら「思い出して!!」と言う。

『思い出して』の使い方が違うのだ。
困る。